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手取り12万円・ボーナス無しからの返済生活…奨学金を借りた漫画家が「30歳で200万円を返すまで」

日刊SPA!

学生時代に奨学金制度を利用した人たちのライフストーリーを通じ、奨学金を借りたことで価値観や生き方に起きた変化を描くドキュメント『奨学金、借りたら人生こうなった』 (扶桑社)がコミカライズされ、『奨学金借りたら人生こうなる!?~なぜか奨学生が集まるミナミ荘~』(祥伝社)として、11月17日より各種電子書店で配信されている。
本作に携わる久松ゆのみ氏は、奨学金を借りた経験を持っている漫画家だ。いったいどのようなキャリアを歩んできたのか。学生時代から今に至るまでを振り返ってもらった。

◆奨学金を借りて専門学校に進学

「父が高校1年の頃に病気で亡くなったんです。弟の進学も考え、もともとは高卒で事務職に就くつもりで高校は商業高校に進んでいたんですが、方向転換を余儀なくされましたね」(久松ゆのみ氏、以下同じ)

子供ながらに親にお金をかけさせたくないと考えていたという久松氏だが、漫画好きで中学の頃には同人活動を始めていたことも影響し、高校生の時にバイトとして印刷工場で働き始めたことが人生の転機となった。

「当時のバイト先の印刷会社の社長から、『これからの時代はフォトショップとイラストレーターを使ったデザイン業だ』と、よく聞かされていて。デザイナーの仕事なら同人活動の経験も少し活かせそうだし、食いっぱぐれもしなさそうだなと。高校生ながらに『事務系の仕事より職人っぽい仕事のほうが自分は向いているな』とも思い、日本学生支援機構から200万円ほどの奨学金を借りて、デザイン系の専門学校へ進学しました」

◆手取り12万円で始まった「返済生活」

久松氏は専門学校を卒業後、就職氷河期のなかデザイン会社に入社する。しかし、初任給は額面にして16万5000円。手取りは12〜13万円ほどで、食費を月1万5000円以下に抑えるような“切り詰めた生活”を余儀なくされる。

「生まれも育ちも愛知なんですが、実家から会社のあった名古屋まで通勤するのが物理的に難しくて……。やむを得ず家賃が5万円弱の部屋で一人暮らしを始めました。ただ、その印刷会社は、いくら長時間働いてもボーナスはゼロ。普通に時給バイトしたほうがいい暮らしができることに気づき、1年で退社しました」

◆「ボーナスをもらった経験」はないものの、30歳で完済

その後も久松氏は不況下で務め先の倒産なども経験。印刷やデザイン業界の会社を中心に5〜6社ほどブラック企業を渡り歩くことになった。

ちなみに日本学生支援機構の奨学金の返済方法には、毎月一定額のほか毎年1月・7月のタイミングも合わせて併用返還する「ボーナス払い」に似た返還方法がある。久松氏はこの「月賦・半年賦併用返還」という方式で奨学金を返済していたようだ。

「社会人になってから年1社ほどのペースで会社を転々としていて、その間も奨学金を返済し続けていましたが、完済したのは30歳ぐらいだったと思います。とくに夏と冬の年2回、1回4万円くらいの返済がキツかったです。ほとんどの会社で私は正社員として雇用されていたんですが、一度もボーナスをもらった経験がないので……」

◆毎年金欠だった時期は…

半年に1回の返済額が年8万円として、約200万を10年ほどで返済したとなると、月賦返還の金額は1万円ほどの計算だが、当時の久松氏の収入的にはなかなか重い負担だったに違いない。

「転職を繰り返すうち『人生どうにでもなれ』とヤケクソな気分になって、そこから“同人ゴロ”を本格的に始めるようになったんです。書店での売上も含めてまとまった現金が入るのはコミケ後の8月〜9月と12月末〜1月。しかも、当時は印刷会社への支払いも現金払いだけだったので、7月は毎年金欠でした。最終的には印刷代や奨学金の返済金を母に借り、コミケの売上から返すようにしていましたね」

※同人ゴロ:流行りの人気ジャンルにいなごのように群がり、小銭を稼ぐ人たちのこと

◆奨学金を借りたことに後悔は?

東名阪で行われる大規模な即売会で同人誌を売り捌くため、ダンボールを積み込んだ軽自動車で高速を飛ばして、まさに東奔西走。数年間の同人ゴロ生活を続けた末、久松氏は20代後半で漫画編集者にスカウトされて商業デビューを果たす。

「広告の仕事も経験したことがあるんですが、『クライアントの希望する版下をつくる』という意味では、いまの漫画の仕事もほぼ同じですね。もちろん、漫画家の仕事のほうが作家性みたいなものが入ってくるんですけど。あくまでデザインの仕事の中に漫画があるという捉え方というか」

今回のコミカライズの話が舞い込んだきっかけも、そんな自身の経験もあってこそのようだが、デザイナーとして働いた経験や知識はプロ作家になってからの漫画制作にも大いに活きてきたという。

「視線誘導とかを考えながらバランスよくレイアウトをとる作業が得意で、ネーム描くのもまあまあ早いんですよね。同人活動自体は中学ぐらいからバリバリやっていたので、専門学校に進学しようがしまいが結局、何かしらのかたちで漫画を描く人生になったような気はしますけど(笑)。デザイナー的な視点を持つ漫画家になれた、という意味で奨学金を借りて基礎を学べたことは大きかったと思います」

<取材・文/伊藤綾>































































【伊藤綾】
1988年生まれ道東出身、大学でミニコミ誌や商業誌のライターに。SPA! やサイゾー、キャリコネニュース、マイナビニュース、東洋経済オンラインなどでも執筆中。いろんな識者のお話をうかがったり、イベントにお邪魔したりするのが好き。毎月1日どこかで誰かと何かしら映画を観て飲む集会を開催。X(旧Twitter):@tsuitachiii
 
   

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