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元カレと曖昧な関係を続ける24歳女…。思いを断ち切るためにしたコトとは

東京カレンダー

麻布には麻布台ヒルズ。銀座には、GINZA SIX…。

東京を彩る様々な街は、それぞれその街を象徴する場所がある。

洗練されたビルや流行の店、心癒される憩いの場から生み出される、街の魅力。

これは、そんな街に集う大人の男女のストーリー。

▶前回:慶應の音楽サークルで、三角関係に陥った男。親友の彼女を好きになってしまった結果…



Vol.9 『旅立ち前の、最後の身支度/GINZA SIX』咲(24歳)


「ねぇ、悠くんってさ。なんで結婚しなかったの?」

「結婚しなかった、って…まだこれからするかもしれないじゃん」

「しないでしょ、悠くんは」

「かもね」

土曜の夕方の、神泉のカフェバー。

来月に北欧への留学を控えた咲は、年上の友人・悠へ無邪気な質問をぶつけた。

咲と悠は、下北沢のライブハウスで出会った音楽仲間だ。年齢はひとまわり以上離れているものの、一緒にライブに出向いたり、こうしてなんでもないおしゃべりを楽しむ関係が続いている。

咲にとっては新鮮で貴重な、年齢差のある友人。けれど悠の側は、咲の年齢なんて気に留めたことすらないのかもしれない。いつだって悠は、老若男女を問わずたくさんの人に囲まれているから。

外見もよく性格も気さくな悠は、男女を問わずモテる。いわゆる、“人たらし”というやつだ。

そんな悠が37歳になっても独身を貫いている理由が気になり、旅立ちの前に聞いてみたのだった。

「何、咲は結婚したいの?彼氏に言ってみたら」

「いや…私、来月には北欧に行くし、自分のことでいっぱいいっぱいで。結婚とか、全く考えられないの。したいと思える日がいつかくるのかなって」

「うーん。俺は結婚、考えたことないな。毎日そばにいたいと思える人には、出会ったことあるけど」

「そっか。37年生きても、そういうものなのかぁ」

「そういう奴もいるってだけだよ。考えたからってしたくなるものでもないし。咲は前を向いて、北欧で頑張ってきな!」

「うん、ありがと」

悠に軽いハグをして別れを惜しんだ後、咲は夕日に照らされた道玄坂を下って渋谷駅へと向かった。


咲が向かったのは、銀座だ。

待ち合わせ場所のGINZA SIXに到着したのは、約束の18時半よりかなり早い時間だった。

ぽっかりと空いてしまった時間をどうしていいか分からず、とりあえず化粧室に入り、髪や化粧を整える。

― こんな感じで、大丈夫かな…。

時間がたっぷりあるからか、何度も鏡を見直す。

銀座には、街に似合ったキラキラと美しい女性たちがたくさんいて、自分が浮いていないか気になってしまう。

― 何年も一緒にいた人に会うだけなのに、なんでこんなに緊張するんだろう。

咲がこれから食事を共にするのは、大学の先輩であり元恋人でもある、克哉だ。

互いに嫌いになって別れたわけではない。咲が渡欧を決めたことをきっかけに、年末に別れを切り出したのだ。

学生時代、まだ恋人でなく仲の良い先輩後輩だったころから、克哉はことあるごとに咲にご馳走したがった。

会うたびに臆面もなく「可愛い」「好きだ」と咲に言い、たとえ周りに誰がいようと、いつでも愛情表現を惜しまないのが克哉のやり方だった。

― 笑っちゃうくらいに、毎日追いかけられたなぁ。重すぎる愛情だったけれど…。

5度目の告白を受けて、咲は覚悟を決めた。ここまで愛してくれるのならば「受け止めよう」と。

そして、恋人同士になってからは、猫可愛がりと言っていいほど愛してくれた。

咲に「愛される人生」という幸せを教えてくれたのは、間違いなく克哉だ。



しかし、克哉とふたりで会うたびに。克哉に触れられるたびに──咲は、小さな胸のつかえを感じていた。

他に好きな人がいるわけではない。

過去に未練があるわけでもない。

克哉が嫌なわけでもない。

ただ、克哉を異性として見ることができない。

― 克哉を好きになれば、最高に幸せになれる。好きになりたい、と何度も願ったけど…。

優しくされればされるほど、罪悪感が澱のように心に溜まっていく。

昨年からはついに、仕事が忙しくなったのを口実に、咲から連絡する頻度が落ちていった。

克哉からの電話は増え、声色から寂しさが伝わってきたが、いざ会ってもそっけない態度を取ってしまう。

これ以上傷つけたくない。

そんな自分勝手な思いを包み隠すように、留学を言い訳にして克哉に別れを告げたのが、年末のことだった。


化粧直しを終え、回想に浸りながらフラフラとウィンドウショッピングをしていると、いつのまにか時計の針は18時半を指していた。

約束の店『銀座 真田 SIX』に入ると、すでに着席していた克哉が、懐かしい笑顔で迎えてくれる。

「日本を離れる咲のために、美味しい和食とお蕎麦食べさせてあげたい」と、そう考えてくれたのだろう。

長野出身の咲を想って、故郷信州の味が楽しめる店を選んでくれた、克哉の心遣いが嬉しかった。

「咲、元気だった?渡欧の準備は進んでる?」

「元気だよ!ありがとう。手続きも落ち着いて、あとは簡単な身支度だけ」

ふたりが顔を合わせるのは、別れ話をした日以来のことだ。

― 「どうしても渡欧前に会いたい」と言われて、克哉からの誘いを受けてしまったけれど…。

断りきれなかった自分の判断は、正しかったのだろうか?

咲は、元恋人を前にしてどんな顔をすればいいのかわからず、遠慮がちに克哉の隣に腰掛ける。

「よかった。旅立つ前に咲に会えて」

克哉は、そんな咲の気持ちに気づいているのかいないのか、少年のように無邪気な笑顔を見せた。


別れても変わらない克哉の素直な物言いに、咲の心が弛んでいく。

― この感じだと、今夜は楽しく食事するだけ、でいいんだよね…?

良くも悪くも、旅立つ側というのは気持ちの整理がつきやすい。なぜなら、心が行く先を向いているからだ。

別れの後、しばらく気が滅入っていた咲も、留学準備が進むにつれて克哉のことを考える時間はゼロに近くなっていた。

一方の克哉は、別れを受け入れてからも度々、咲に連絡を入れている。

内容は多忙を気遣う言葉や、咲の留学先・北欧のちょっとしたニュース、共通の友人の近況などで、復縁を迫るような内容ではない。

それでも咲は、別れた恋人から変わらず連絡が来る状況に、少なからず困惑した。

恋人関係を解消したとはいえ情はあるし、6年来の先輩でもある。共通の友人だって、たくさんいる…。

克哉からの連絡を無下にできない咲は、「仲の良い後輩」として、あたりさわりのない返信をしていた。



食事もひと段落し、互いの近況も話し終えた頃、克哉が切り出す。

「咲はさ、来月北欧にいってしまうけど…。その後は?日本に帰ってくるの?」

「仕事が見つかれば、あちらに残りたいけど…まだわからない」

「そうか…。実は俺さ、会社の制度を調べたら、ヨーロッパ駐在の選択肢もあるみたいなんだ。それで、本格的に勉強を始めてみようかな?なんて思ってるんだ」

今まで国際志向のなかった克哉が口にした、意外な言葉。

咲は少し驚いたが、克哉がこちらの反応を伺っていることに気づき、サッパリと明るく返事をした。

「いいね!応援する」

それ以上、深くは聞かない。

まだ克哉が咲に未練があることを、彼の物言いから悟ったからだ。

― 克哉は、自分の未来を語っているんじゃない。ふたりの未来として、また一緒になる方法を探っている…。

咲は思う。

克哉のことが人として好きなのであれば、今夜を最後に、はっきりと距離を置くべきだ。

― 私は今、ひとりで歩きたい。克哉の未来まで、責任は持てない。

「克哉。私、お化粧室に行ってくるね」

席を立った咲はその足で会計を済ませ、素早く席に戻った。

「あれ?早かったね」

「うん。お化粧室じゃなくて、お会計済ませてきただけだから。今までたくさんお世話になったから…今日はご馳走させて」

「えっ。誘ったの俺だし…今日は咲の壮行会だろ」

「ありがとう。その気持ちがすごく嬉しかった。でも今日は私がご馳走したいの」

いつもの咲と違う様子に、克哉は寂しそうな表情を見せる。

しかしその表情は笑顔に変わり、諦めたように席を立ちながらこう言った。

「わかった。咲、ありがとう。行こうか」

店を出てエレベーターに乗ると、克哉は13階のボタンを押した。

「克哉、下じゃないの?」

「ちょっとだけ。最後に付き合って」

克哉に連れられてきたのは、最上階にある屋上庭園。

銀座で最も広い屋上庭園というだけあって、銀座の中空にぽっかりと浮かんだような、まさに天空を思わせる空間だった。

多様な樹種が生い茂り、ほんのりとライトアップされた回廊から銀座の街がのぞいているのがなんとも幻想的だ。

何を話そう…などと戸惑う間も無く、克哉が口を開く。

「咲、単刀直入に言う。俺は咲のこと諦めきれない。渡欧は応援するし、その間に俺も頑張る。もっといい男になるから…これからもパートナーでいてほしい」

あまりにもまっすぐな克哉の瞳。この強すぎる愛情を、咲は6年間注がれてきたのだ。

付き合う前も付き合ってからも変わらない。それどころか増していく熱量…。

― ああ…私がハッキリと離れていれば、克哉は別のことに情熱を注げたのかもしれない。私は克哉の時間を奪い、克哉を拘束していたんだ。

「ごめん。克哉とは、付き合えない。私…」

すべてを言い切る前に、咲は克哉に抱きしめられる。



咲は、無理にその腕を解くことはしなかった。お互いに、相手に涙を見せたくかったからだ。

「…わかった。咲、本当にありがとう。頑張ってな」

「うん。克哉も頑張ってね。ここでバイバイしよう」

銀座の薄明るい夜空を背にした克哉が、一度だけ振り返って笑顔を見せて──そして、館内へと消えていった。

藍色の空の中で輝く東京タワーに、咲はぼんやりと目の焦点を合わせる。

― 本当に、ひとりになっちゃった。

克哉に言った「渡欧に向けた簡単な身支度」なんて、本当はやることはひとつもなかった。

向こうでは新生活が始まる。この身ひとつ、あればいい。

今日からは、克哉からの何気ない連絡は、本当に来なくなるだろう。

今夜克哉と会う前は、克哉の前でどんなふうに振る舞えばいいか分からなかった。

克哉の気持ちには応えられない。だけど、克哉を傷つけたくない。でも、克哉との関係は続けられない…。

そんな堂々巡りを繰り返し、胸が痛んだ。

だけど…。

いざ本当に1人になった今、咲の気持ちは意外なほどに冷静だった。これからの未来を思って、前向きですらある。

― 私って嫌な女なのかな。でもいつまでも感傷に浸っていたら、新しい風は入ってこないよね。

ふと、夕方に悠が言った言葉を思い出す。

『毎日そばにいたいと思える人には、出会ったことあるけど…』

咲はまだ、克哉はもちろん、誰かのそばに毎日いたいと思ったことがない。

そんな咲が、「ずっと一緒にいたい」と願う克哉の気持ちに応えることは、どう考えてもできないのだった。

― そう、私はまだ出会ってないんだ。私だけの誰かに。そして、私だけの未来に。

咲の瞳には東京タワーがくっきりと浮かび、その背にはどこかへ旅立とうとする飛行機がピカピカと光っている。

これから先、どんな自分になるのだろう?

今の咲には分からないけれど、少なくとも次に日本に帰ってくる時には、銀座の街でも物おじしない、堂々とした女性になりたかった。

銀座の街を一望できる屋上で、咲は思い切り夜風を吸って深呼吸する。

克哉が去ってスペースの空いた心に、気持ちのいい風が入ってくるのを感じた。


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舞台は渋谷区・代官山。人たらしな37歳男の、忘れられないT-SITEの憧憬。


 
   

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