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蝶野正洋「猪木さんの最期の映像は本意ではない」/テリー伊藤対談(3)

アサ芸プラス

テリー 失敗も多かったですよね。

蝶野 多いでしょうね。また猪木さん世代の昭和のスターって、格が違うというか、取り巻きも何か違うんですよ。乗り遅れそうになったら飛行機も止められちゃうぐらいの感覚の人たちなんです。それに周りの人たちも感化されるというか、だいたい付き人とかマネージャーもアントニオ猪木になっちゃうんです。

テリー アハハハハハ。みんながアントニオ猪木になっちゃう。

蝶野 なっちゃうんです。そうすると何かおかしなことになってきちゃうんですよね(笑)。

テリー 僕がすごく覚えてるのはね、もうずいぶん昔ですけど、猪木さんが「エネルギーを発明したから、記者会見やる」って言うんですよ。

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蝶野 あれ、失敗したんです。動かなかったんです。

テリー 普通、そんな世紀の大発明だったら、大手企業をスポンサーにつけるとかすると思うんですけど、猪木さんと4、5人でやってるんですよね。俺、すげえなと思って。あれってプロレスと一緒ですよね。

蝶野 多分、プロレスラーって興行のトラブルがひどいんですよ。ビッグマッチなのに選手がドタキャンで来ないとか、すごい選手だって噂で実際に呼んでみたらポンコツで全然試合にならないとか。それでもどうすれば興行として成立させられるかって、昔は特にそういう臨機応変さって必要だったんですよね。猪木さんは、そういう臨機応変さにかけては天才的でしたから、とにかく記者会見も、やることが大前提だと。多分、そういう感じだったんでしょうね。

テリー ほんと、面白い人でしたよね。

蝶野 先は見てるんでしょうけど、その後で莫大な借金が来るんですよね(笑)。

ゲスト:蝶野正洋(ちょうの・まさひろ)1963年、米シアトル生まれ。1984年、「新日本プロレス」入門。海外遠征を経て、1989年に帰国以降は武藤敬司、橋本真也と「闘魂三銃士」として活躍、数々の名勝負から「黒のカリスマ」と呼ばれる。1996年、「nWo JAPAN」を結成し、一大ムーブメントを巻き起こした。2010年からフリーランスとして活動。以降はAED救命救急、地域防災の啓発、東日本大震災の復興支援など様々な社会貢献活動を行う。最新著書「『肩書がなくなった自分』をどう生きるか」(春陽堂書店)発売中。

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