top_line

「エンタメウィーク」サービス終了のお知らせ

新日本プロレスVS全日本プロレス<仁義なき50年闘争史>「長州離脱後の全日本を救ったのは天龍革命!」

アサ芸プラス

 この長州の新日本復帰の半月前の5月16日、小山ゆうえんちスケートセンター大会で、ジャンボ鶴田に次ぐナンバー2に位置していた天龍源一郎がアクションを起こした。

「現状は現状として受け止めなければ仕方ないけど、お客さんには常にフレッシュ感とインパクトを与えなければ失礼になる。ジャンボの背中も見飽きたし、輪島の御守りにも疲れた。俺はジャンボ、輪島と戦いたい」とぶち上げたのだ。

 全日本は馬場の統制下で選手のランクがきっちりと決まった、強固なピラミッドと言っていい。この天龍発言は体制批判と取られかねないもので、実際に馬場はすでに決まっているカードを変更せず、その後も天龍を鶴田、輪島と組ませた。

 希望が通らない天龍はイライラを募らせ、鶴田と輪島は天龍と距離を置くようになって、全日本内は微妙な空気に。遂には「天龍も全日本離脱か?」という報道も出るようになった。

 しかし天龍の本意は全日本を建て直すこと。6月1日、石川県産業展示館におけるタイガーマスク(三沢光晴)の「猛虎七番勝負」の相手として、天龍は低迷中だったタイガーマスクの力を目いっぱい引き出した。それを目の当たりにした馬場は天龍を認めた。

広告の後にも続きます

「素晴らしい試合だった。タイガーは負けたけど、これから伸びていくだろう。これは他の選手にも言えることだと思うし、ファンが望むならドンドンそういうカードを組んでいきたい。俺も挑戦するかもな」と、天龍のプランを受け入れることを明らかにし、翌2日の富山大会終了後に正式に天龍にGOサイン。

 これを受けて天龍はオフ日の4日に阿修羅・原と名古屋のシャンピアホテルで話し合い、タッグを組んで龍原砲として全日本正規軍と戦うことを決めた。

「これから阿修羅と2人で突っ走って、ジャンボ、輪島を本気にさせて全日本マットを活性化させる。最終目標は全日本代表として長州、藤波(辰巳=現・辰爾)と戦うこと」と高らかに宣言した天龍。この天龍の行動は天龍革命と呼ばれた。

 天龍革命の特筆すべき点は体制への反逆ではなく、団体のトップの馬場の信頼を得て実現した無血革命だったことだ。

 龍原砲は6月6日の長門大会から発進。6月11日の大阪大会では鶴田&タイガーマスクと激突し、鶴田を本気で怒らせ、テレビ解説の馬場は「今までジャンボに欠けていたものが、この試合に出てきましたね!」と声を弾ませた。

 天龍革命勃発直後には新日本では世代闘争が勃発して長州、藤波、前田日明らがニューリーダーズとして注目を集めていたが、馬場は「天龍が他のニューリーダーたちとどこが違うか。それはな、私利私欲がないことなんだよ。どうすればプロレス界が、ウチの会社がよくなるかを常に考えて行動している。だから俺は天龍が何を言おうが、何をやろうが、全然心配しとらん」と、天龍に全幅の信頼を寄せていた。

小佐野景浩(おさの・かげひろ)元「週刊ゴング編集長」として数多くの団体・選手を取材・執筆。テレビなどコメンテーターとしても活躍。著書に「プロレス秘史」(徳間書店)がある。

  • 1
  • 2
 
   

ランキング(スポーツ)

ジャンル