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子ども3人ママが末期がん告知で一念発起 余命2カ月を超えて走り続けるキッチンカー

女性自身

 

「はーい、いちごクレープ。お待たせしましたー」

 

できたての品を客に手渡しながら、横目でフライヤーの油温もチェックする。ひっきりなしに客が来るキッチンカーで、ポテトを揚げるのも、焼き上がったクレープに、生クリームや果物を飾りつけるのも、調理全般を秋吉さんは1人でこなす。パワフルで、エネルギッシュ、忙しく動き回るその姿は、元気はつらつに見えるのだが……。

 

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じつは8年前、秋吉さんは胃痛を訴え病院に。そこで胃がんと乳がんが発覚した。すでに末期のステージ4だった。以来、闘病を続けてきたが、昨年がんは大腸に転移。その際には主治医から「余命2カ月」とも告げられた。

 

そう、彼女がキッチンカーの営業を始めたのは、非情な余命宣告を受けた、その後のことなのだ。

 

「どうせ死ぬんやったら、やりたいことやろう、そう思ったんです」

 

秋吉さんはこう言うと、こともなげに満面の笑みをみせる。このバイタリティは、いったいどこから来るのか。あぜんとする記者をよそに、秋吉さんはまた、窓から子どもたちに声をかけた。

 

「はい、ポテト揚がったよ!」

 

やがて、キッチンカーの周囲には部活帰りの中学生たちが集まってきた。そこに自身の息子たちの姿を見つけ、秋吉さんは長男にこう声をかけた。

 

「龍青、発電機が止まっちゃったから。スタンドのおじさんにガソリンの配達、お願いしてきて」

 

「はーい」と応じた長男、少しのんびりとした調子で自転車に跨った。すかさず、母の叱責が飛んだ。

 

「早く行かんね! 冷凍庫のアイスが溶けるやろ!」

 

慌てて走っていく長男の背中を見つめる秋吉さん。キッチンカーの周りでは、次男やその部活仲間たちが、ふざけ合いながら、クレープやポテトを頰張っている。そんな子どもたちの様子を、愛おしそうに眺めていた秋吉さんは、不意にこうつぶやくのだった。

 

「こういう光景が、私の理想だった。この景色を見たくて、キッチンカー、始めたようなものだから」

 

 

■60歳まで頑張れたら、悔いはいっぱい残ると思うけど、悪くない人生やったと、思えるかな

 

ユキチャンキッチン閉店後も、自宅で取材が続いた。するとそこに、会社勤めをしている夫・敬介さんが帰宅。夫婦で並んでのインタビューに。

 

「妻は自分のことより、周りの人のために尽くす人間。それに、落ち込んだり、悲しんだりした姿を人には見せたがらない、弱音なんて漏らしたくない、そういう人です」

 

敬介さんは妻をこう評した。病気を境に、妻の変化した点を尋ねると「とくに変わったところはないと思う」とも。

 

「ただ、彼女の奥底に、覚悟みたいなものは生まれた気がします」

 

そう言った夫に「あんたは変わらんもんね」と、笑顔の妻のツッコミが入る。

 

その秋吉さんが、いまも忙しく営業を続けていることについては「もちろん心配だけど、それをやめさせてストレスになるほうが怖い」と、神妙な面持ちで続けた。

 

「ストレスはがんにはいちばんいかんと聞いてます。妻は、こうって決めたら、せんといかん人。先のこと考えてなんも動けんよりかは、好きなことして過ごしながら、その瞬間まで精いっぱい、生きよったほうがいいのかな、って」

 

いまも、ときおり容体が悪化し、夫の前でだけは苦悶の表情を浮かべることもあるという妻。そんな秋吉さんに敬介さんは「それでも」と、こう言葉をかける。

 

「いまの状態のまま、なんとか病気と共存しながら、せめて60歳まで頑張れたら。息子たちも、だいぶ大人になっとるけん、そこまで行けたら、もちろん、悔いはいっぱい残ると思うけど、そんなに悪くない人生やったと、思えるかなって」

 

少しだけ寂しそうに、夫の言葉をかみ締めていた秋吉さん。だが、次の瞬間、パッと顔に笑みを湛え、明るい口調でこう切り返した。

 

「あと15年? そんなに私が長生きすると思うとるけん、あんたは以前と変わらん態度なのね。なるほどね〜、あと15年も働かそうと思ってるんだ。こわか〜(笑)」

 

これには敬介さんも、苦笑いを浮かべるしかなかった。

 

息子たちは、母の病いをどう受け止めているのか。秋吉さんは「がんが見つかったときから正直に話してきた」という。敬介さんが続ける。

 

「でも、まだ当時は3人とも小さかったけん、よくわかってなかったと思う。ただ、僕からは当時も、最近も、『いつどうなるかわからんけん、ちゃんと一緒の時間をいっぱい過ごして。思い出、作れよ』とは言って聞かせてます」

 

8年前、秋吉さんにがんが見つかって以来、秋吉さんたち家族の間で一つ、大きく変えたことがあった。秋吉さんが言う。

 

「それまでは、各部屋でバラバラで寝てたんですけど。あの日からは、家族全員でリビングに布団を敷いて一緒に。それは、もう何年もたったいまも、そうしてます」

 

 

■「駅前のキッチンカーでみんなでクレープ食べたな」と思い出してくれれば最高に幸せ

 

「家の前にプレハブを建てて小さな加工場にする予定。加工場があれば、余った果物をジャムにしたり、まだ、できることがあるから」

 

現在の目標を尋ねると、秋吉さんは笑顔でこう話した。彼女の夢は、キッチンカーだけでは収まりきらないということなのだろうか。

 

「じつは、キッチンカーを手伝ってくれている女のコがいるんです。彼女、将来についていろいろ悩んでいるみたいで。でも、すごく真面目ないいコだから、私が力になれないかなと。加工場があれば、2年間、そういうところで働けば、調理師試験の受験資格が得られるんです。彼女が将来、どうなりたいか、それに私の体がそれまでもつかもわからないけど。資格が取れたら、それが彼女の何かのきっかけや、生きていく自信にもなると思うから」

 

うなずいていた夫。記者に向かって「言ったとおりでしょ」と、相好を崩してみせた。

 

「自分より誰かのこと。自分の子どもかどうかなんて関係なし。いつも彼女はこんな感じなんです」

 

横槍を入れた夫をジロッと睨みつけてから、秋吉さんが続けた。

 

「私は、息子たちはもちろん、地域の子どもたちの思い出になりたい。将来、大人になったとき『秋吉のおばちゃんのキッチンカーで、みんなでクレープ食べたな』って、思い出してくれたら最高に幸せ」

 

それは、巡りめぐって、いつかは3人の息子たちのためにもなると、秋吉さんは信じている。

 

「町の子どもたちには、そうやって信頼し合える仲間を作ってもらいたい。それは、息子たちもそう。私より、仲間のほうが絶対、長生きしてくれる。そして、仲間がいつか彼らの助けになってくれると信じてる。だから、私はキッチンカーを、命の限り続けたいんです」

 

【後編】ステージ4の末期がんを抱えながらキッチンカーを走らせる子ども3人ママへ続く

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