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『ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー:VOLUME3』彼らの旅路を音楽とともに振り返る

Real Sound

 ガモーラの旅路は、“愛を探す時間”だった。ネビュラと同様、サノスの娘として育てられた彼女は目の前で実の両親を彼に殺されている。そして彼の強い戦力となることを強いられた姉妹は、普通の子供が得られたはずの青春時代も、誰かを信じる気持ちも奪われてしまったのだ。ガモーラはただ生き延びるために、子供の頃から妹でさえ信用しない、誰にも心を開かずに大人になった。そんな彼女が出会ったのが、ピーターとガーディアンズのメンバーである。めちゃくちゃな倫理観のメンバーに対し目を回したり、正しいことを言ったりと残酷なキャラクター性が崩れ、真面目さも垣間見えた第1作。惑星ザンダーの人々をロナンの虐殺から救ったことは、今思えばかつて自分の星を壊滅させたサノスに何もできなかった過去への償いかもしれない。

 仲間と過ごす時間で誰かを信じ、信じられることの大切さを理解したガモーラは次第にピーターに惹かれるようになった。その大きなきっかけでもあり、“踊らないタイプ”だったガモーラが初めてリズムに身を任せることの心地よさを知るシーンで流れたのが、Elvin Bishopの「Fooled Around and Fell in Love」である。これは遊び人が本当の愛を知ったことを歌う曲で、ピーターからガモーラに向けられたラブソングだが、この曲が彼女を大きく変えた意味では彼女の曲でもある。

 悲しいことに、本シリーズの中でガモーラは愛を知り、愛に殺される運命を辿ってしまった。ソウルストーンを得るためには“愛する者の命”を犠牲にしなければならない。『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』で、ガモーラはサノスが自分を愛しているなんて思ってもみなかったので、彼を石の在り処まで連れていく。しかし、本当は愛されていたことを知ると絶望し、必死に抵抗した。命だけでなく、最愛のピーターとの再会まで奪われてしまった一連の出来事は、ピーター自身にも精神的に大きな影響を与える。しかし、『アベンジャーズ/エンドゲーム』では、ガーディアンズに出会う前の時間を生きていたガモーラが再登場。ピーターと再会するも、彼が愛した彼女とは全くの別人だ。

 『GotG3』がこの設定に対して払った大きな敬意を讃えたい。このガモーラは“あの”ガモーラではないことを、劇中で何度も強調している。第1作と同じように、ガーディアンズの面々と時間を共にすることで、彼らのことを好きになるし、ピーターのこともまた理解していく過程が描かれる。しかし、彼女が彼に再び恋に落ちることはない。もう海賊ラヴェジャーズという仲間やホームがあって、彼女なりに“愛を見つけた”人生があるのだ。ハリウッド映画お決まりの「男女のキスで終わるハッピーエンド」などのクリシェに抵抗し、別々の道に向かわせたジェームズ・ガン監督の選択からは、ガモーラというキャラクター本人が持つ考えや人生への尊重が伝わった。

・ドラックス、マンティスと「Fairytale of New York」(The Pogues)

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 ドラックス(デイヴ・バウティスタ)は初登場の時から可哀想な過去を持つキャラクターだった。サノスに最愛の妻と娘を殺され、“ザ・デストロイヤー”として復讐を誓う。怒りや憎しみに満ちたキャラクターだったが、ガーディアンズと出会い、彼らと過ごした時間のおかげで再び“家族”を得ることができた。そういう意味でシリーズ3部作は、メンバーのみんなが失った“何か”を取り戻す過程を描いたとも言える。

 そんな彼と特別仲良くなったのが、第2作で仲間になったマンティス(ポム・クレメンティエフ)だ。元々エゴ(カート・ラッセル)に仕えていた彼女は、それが間違いであることに気づき、ガーディアンズに忠告をしようとする。エゴが倒された後、彼の支配から解放された彼女は必然的にガーディアンズの一員となって旅を続けてきた。『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』では彼女がいなければ、サノスからガントレットを奪うことは不可能だった(結果的にピーターが怒りに任せて起こしてしまうけど)。それくらい実はかなり優れた戦闘力を持って活躍していたことも忘れてはいけない。

 ドラックスとマンティスの関係は面白い。初対面の頃から彼女に「醜い」など酷いことを言うドラックスに対して、マンティスは「バカ」と言い続ける。その関係はまるで『マーベル・スタジオ スペシャル・プレゼンテーション:ガーディアンズ・オブ・ギャラクシー ホリデー・スペシャル』の冒頭で流れたThe Poguesの「Fairytale of New York」で歌われる、お互いを罵り合いながらなんだかんだ愛し合うカップルのよう。しかし、彼らの関係が男女の異性愛ではなく、徹底して家族愛として大切に想い合う関係だったことも素晴らしい。

 『ホリデー・スペシャル』では、これまで他のメンバーに比べてあまりスポットライトが向けられなかった2人が主人公になることで、彼らの良さがより際立った。しかし、『GotG3』ではドラックスがコメディリリーフな存在だったことをメタ的に指摘するなど、さらに深いところまで彼らについて触れられている。最終的にネビュラに「あなたに、ここにいてほしい」と言ってもらえるようになったシーンは、 “賢いだけが人の良さではないし、どんな人にもその人にしかできないことがある”というメッセージを含めて、ドラックスのキャラクター性、その存在意義を昇華した。そして、解放された子供たちに必要な存在として求められるラストは、娘を失い家族を求めていたドラックスの旅の美しい帰結を意味している。

 マンティスがガーディアンズから抜ける決意表明も、結局のところエゴの求めることに従い、そのあとはガーディアンズが求める旅に参加していたことをキッパリと認めること自体がすごく正直で力強いシーンだ。みんなが旅を終えたのに対し、彼女はこれからようやく自分自身の旅路を歩めるのである。

・ピーター・クイルと「O-o-h Child」(Five Stairsteps)

 『アベンジャーズ/エンドゲーム』の「トラウマ」をテーマにしたフェーズ4に引き続き、『GotG3』はピーターのトラウマに焦点を当てる。『ガーディアンズ』3部作の主人公である彼は、第1作で母を、第2作で父を、『アベンジャーズ/インフィニティ・ウォー』で愛する女性を亡くす。そんな彼の旅路が表すものは、まさしく“喪失”と“再生”だ。地球という故郷やそこでの青春時代、家族を失った彼はその後、ガーディアンズとの出会いを通して再生していく。最期に手を握ってやれなかった母の代わりにガモーラの手を握ったことで力が漲ったり、育ての親であるヨンドゥこそ探し続けていた本当の父親だったことに気づいたり、これまでの物語はやはりピーターのパーソナルな問題が物語の主軸になることが多かった。しかし、面白いのは、結局ピーターの抱える問題がガーディアンズそれぞれの抱える問題や悩みと呼応していることである。そして、『GotG3』がピーターにとって母でも父でもなく、“自己”についての映画だったように、自分自身の過去を振り返るロケットや、自分の気持ちをさらけ出せるようになったネビュラ、誰かにとっての過去ではなく自分の道を歩み始めたガモーラ、破壊者ではなく父である本当の自分を思い出せたドラックス、アイデンティティ探求の旅に出たマンティスといった具合に、みんながやはり今作で同じテーマに向き合っているのだ。

 自分が怒りに身を任せてしまったせいでサノスからガントレットを奪い損ねた。最愛の女性も失ってしまった。そのトラウマに苛まれ、酒に溺れて簡単に立ち直れない本作のピーターは痛々しい。誰一人としてもう仲間を死なせることに耐えられないし、自分の人生がここから明るいものになるとも思えない。そんな彼の姿を見て思い出すのは、第1作のラストでロナンに対してダンスバトルを持ちかけた時、歌っていたFive Stairstepsの「O-o-h Child」の歌詞だ。

<大丈夫、そのうち楽になるよ。大丈夫、きっと未来は明るくなる。いつの日にか、僕らで力を合わせて良い方向に変えて行こう。いつの日にか悩みが消えてなくなったら、美しい太陽の光を浴びて歩こう。いつの日にか世界が輝いて見える時が来るから>

 その歌詞は、単に敵・ロナンを撃ち負かしたテーマソングではなく、それから失い傷つき続けたピーター自身の再生の応援歌として心に響く。ガモーラとちゃんとしたお別れができなかった彼は、本作で違うガモーラを通して自分の気持ちに整理をつける。そしてようやくピーターは旅を終え、自分が最初から求めていた自分の家族に会いに、帰路に着いた。

 カセットテープを聞いていた幼い自分を病室に呼び、母からのプレゼントをバックパックにしまってくれたおじいちゃん。何年もの間、帰りを信じて待っていた彼の元を訪れ、受け入れられたピーターはようやく“ホーム(故郷)”に帰ることができたのだ。エンドクレジットシーンは、そんな彼と祖父がシリアルを食べながら他愛もない会話をしている様子だけが映される。なんでもないシーンだけど、この“なんでもない光景”はピーターにとって初めてのものだった。

・シリーズを支えたグルート、そして新メンバーのアダム・ウォーロック

 今まであえて触れてこなかったロケットの相棒グルートは、他の仲間と比べると自身の物語があまり描かれていないし、最初から何かを失ってここまで来た、というキャラでもなかった。しかし、そんな彼だからこそ第1作で、自分の肉体を失うことで仲間を助けようとする。ベイビーグルートが第2作の冒頭でElectric Light Orchestraの「Mr. Blue Sky」に身を任せて踊る姿は今後も語り継がれていく名シーンだが、グルートという存在そのものがガーディアンズにとって(そして観客の私たちにとって)の“青空”だったと言えるだろう。赤ん坊から幼少期、思春期と描かれてきた彼の身体的な成長は、ガーディアンズの心の成長と呼応する。だからこそ『GotG3』のクレジットシーンで、第1作の時よりも太くて立派な幹になっていたことが嬉しい。

 そのラストシーンで肩を並べていたのが、なんと新メンバーとして加入したアダム・ウォーロック(ウィル・ポールター)である。彼は興味深いことに、ガーディアンズのメンバーが本来3部作を通して経験してきたことを全て『GotG3』の1作で体験しているキャラクターなのだ。母親の死、自己の追求もそうだが、何より善行をすることで生まれ変わった点が重要である。

 ロケットを瀕死に追いやった張本人でありながら、母親の死を通して徐々に何をすることが正しいか自分で判断し、最終的に宇宙で死にかけたピーターの命を救う。このシーンの構図がミケランジェロの『アダムの創造』を引用している点も面白い。アダムの名前である彼は、ミケランジェロの絵で言うアダムの位置ではなく、アダムに命を授ける神の位置にいる。つまりピーターに命を吹き込む行為は、その善の行いをする“新しい自分”に命を吹き込む意味もあるのだ。このアダムが体現する「セカンドチャンス」は、監督降板劇という苦い体験をしたジェームズ・ガン監督本人が、どうしても大切なことだとして本作で打ち出したメッセージのように感じた。

 誰もがセカンドチャンスを与えられるべき。決してヒーローとは言えない問題児たちが銀河の守護者と呼ばれるようになったこの3部作は、惑星ノーウェアでのお祭り騒ぎで幕を閉じる。その場所ではかつてコレクター(ベニチオ・デル・トロ)という男が、自身のエゴで珍しい種の生き物を閉じ込めていた。そして今、そこは支配から逃れ自由を勝ち取ったものたちの街なのである。彼らのトラウマや傷の修復と重なる、ノーウェアの復興。傷が完璧に癒える日は来ないかもしれないけど、“Dog Days Are Over”、負け犬と呼ばれる日々は終わったのだ。

(文=アナイス)

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