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“生きること”の意味を問う『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』は劇場で体験すべき必見作

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 驚かされるのは、イタリアの松の木という頑丈な身体を持ったことで、おそらくは半永久的に死ぬことがないという利点と、時代を超えて生き続ける重荷を背負ってしまっているという過酷な運命を描いている部分だ。その描写は、幾度となく現れる暗い死の世界と、その住人たちによって象徴されている。「死」は、人間だけでなく生き物にとって、コントロールできない領域にある厳格な仕組みだ。ピノッキオがそのままならない世界のなかで、何を学び何をつかみ取るのかを描くことで、本作はピノッキオの物語の可能性を深掘りしていく。

 ストップモーション・アニメーションとは、動画用のカメラではなく、人形や粘土などを一コマぶんずつ動かしながら、静止画を撮るカメラによって撮影していくという、根気強い作業の積み重ねによって作り上げていくもの。そこには、作画によるアニメーションでは表現し難い“実体感”や、実写的な温かみがある。「ピノッキオ」という、生命のない人形が生命を得て動き出す物語と、生死の問題を表現するのには、うってつけの方法だといえるだろう。

 そして本作の物語は、「死」の意味を追求することで、逆に「生」の意味を考えさせるものに転化する。“生きている”とは、何なのか。生命は何のために生きようとするのか。本当の意味で“生きる”とは、どういうことなのか。この、多くの人間がいつかは向き合うことになる問題を、本作は扱っているのだ。その意味で本作は、黒澤明監督の『生きる』(1952年)にも繋がっているといえる。

 それを描くうえで重要な要素になっているのは、ファシスト体制への批判的な視点が存在することである。ムッソリーニが主導し、後にナチスドイツや大日本帝国とも連帯していくことになる、イタリアの国家ファシスト党……その独裁政治は、市民の人権を認めず、国家主義によって反対する人々を弾圧して戦争に向かわせるものだった。

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 ファシズムとは、国家の目的と市民の目的を一体にさせようとする政治体制である。とくに、戦争に兵士として参加させられたり、家族が戦闘の犠牲になるような一般の市民にたちにとって、そこに個人の幸せが、真の意味で見出せるだろうか。仮にそれが幸せな生き方だと感じている人がいるなら、それは独裁者によって幸せだと思い込まされ利用されている状態なのではないか。

 テレンス・マリック監督の『名もなき生涯』(2019年)は、ナチスドイツに席巻されたオーストリアの小さな村で、あくまで自分の持つ「良心」や信仰心によって、人を殺害したり、殺害に加担することになるだろう出征を拒否して当局に弾圧された、フランツ・イェーガーシュテッターという人物の実話を基に描かれた映画だった。このフランツに対して、驚くことに当時のカトリック教会の神父までもが、戦争に行くようにと促す場面もある。しかし彼は教会の意志にすら反して、自分の考える生き方を信じ通すのである。

 善悪の問題や政治、信仰の問題を抜きにしても、このフランツの選択に感じられるのは、時代の流れや、その場での他人の言葉に操られない、強い意志である。本作『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』の劇中においても、土壇場で自分の良心や、本来の自分の考えを取り戻し、自身の生き方に誇りを持ち、自主性を持った選択をするキャラクターたちが描かれている。

 これこそが真に“生きる”ということであり、“生”に意義を見出す道なのではないのか。劇中のピノッキオにも、ついにその瞬間が訪れる。そして、自分が自分であることを認められ、ありのままを愛されるという、彼の人生にとって最大の幸福が訪れることになるのだ。しかし、たとえその幸福を手に入れられなかったとしても、彼が彼自身の道を全うすることは、無意味なことではないだろう。

 人間の「良心」をテーマにするだけではなく、それに連なる、生きることの意味や、自分が自分らしくあることの意味を、深い部分で描き出すことになった本作の試みにかけた思いには、凄まじいものがある。人によっては、この作品に触れたことで、人生に二度とない気づきを与えられたり、生き方を変えるきっかけにすらなる可能性があるのではないか。だからこそ、われわれ観客一人ひとりの精神の冒険や、人生の答えにもなり得る『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』は、とくに劇場で体験してほしい映画なのである。

■公開・配信情報
Netflix映画『ギレルモ・デル・トロのピノッキオ』
一部劇場にて公開中
Netflixにて、12月9日(金)独占配信開始
公式サイト:pinocchio-jp.com

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