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匈奴の侵略阻止の為、万里の長城を設け、秦の始皇帝が打倒百越の為に行なった一大土木事業とは?【始皇帝の話】

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南方の敵を攻略するために行なった一大土木事業

秦が中国を統一すると、北方の匈奴(きょうど)や南方の百越(ひゃくえつ)といった異民族が新たな敵国となりました。そのため、匈奴の侵略を阻止するために、北方には万里の長城を設け、南方には百越を破るために霊渠(れいきょ)という巨大な運河をつくりました。

百越とは、長江(ちょうこう)「揚子江(ようすこう)」より南側に住む民族の総称です。武将・蒙恬(もうてん)が率いた匈奴戦では、約30万人の兵士が送られましたが、百越には約50万人が送られたと伝わります。

また、始皇帝が百越にこだわった理由は、そのころに貴重とされた犀角(さいかく)「サイの角(つの)」、象牙(ぞうげ) 、翡翠(ひすい)、真珠などを手に入れたかったからだといわれています。

打倒百越のために行なわれた一大土木事業の運河事業は、禄(ろく)という人物に任され、前221年に開始し、前214年に完成しました。

霊渠の全長は約34キロメートルで、揚子江の支流の湘水(しょうすい)と、広東地方の西江(せいこう)へと流れる灕水(りすい)とを結んだ巨大な運河です。水路には36の水門が設置され、水位の調節をするという高度な技術も施されました。

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霊渠の完成で、南方へ軍隊と軍糧の輸送がしやすくなり、嶺南(わいなん)地方の平定が実現。秦が滅んだ後も、霊渠は嶺南地方と中原(ちゅうげん)地方を結ぶ大事な交通路として重用されました。

百越:古代中国において、長江以南からベトナム北部までの広域に住んでいた諸族の総称。人口の少ない未開拓の地だったため、北方の人々を強制的に移住させ開拓しようと考えられていた。

【出典】『眠れなくなるほど面白い 図解 始皇帝の話』
著者:渡邉義浩  日本文芸社刊

執筆者プロフィール
1962 年東京生まれ。筑波大学大学院博士課程歴史・人類学研究科修了。文学博士。現在、早稲田大学理事・文学学術院教授。大隈記念早稲田佐賀学園理事長。三国志学会事務局長。専門は古代中国思想史。主な著書・監修本に『眠れなくなるほど面白い 図解 三国志』(日本文芸社)、『始皇帝 中華統一の思想―「キングダム」で解く中国大陸の謎』(集英社新書)、『教養として学んでおきたい三国志』(マイナビ新書)などがある。

 
   

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