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驚きの転身…引退後に予想外の進路を歩んだ元プロ野球選手5人。他競技へ挑戦したアスリートたち

ベースボールチャンネル

 
 2メートルの長身プロレスラーとして活躍したジャイアント馬場は、読売ジャイアンツに在籍した経歴を持っていることで有名だ。
 
 三条実業高校(現:三条商業高校)では好投手として名を馳せ、新潟県内でもその存在は広く知れ渡った。プロからも注目を集めた馬場は、スカウトからの勧誘によって高校を中退し、読売ジャイアンツに入団した。
 
 プロ2年目の1956年に急激な視力低下に見舞われたが、奇跡的な回復を見せて翌1957年にプロ初登板。初先発となった中日ドラゴンズ戦では、5回1失点という好投を見せた。しかし、同年は3試合登板にとどまると、その後の1軍登板もなく1959年オフに自由契約。風呂場でのけがによりグローブをはめることができなくなり、プロレスラー転身を決意する。

 

 
 1960年9月30日、馬場はアントニオ猪木とともにリングデビューを果たす。デビュー戦を勝利で飾ると、猪木との「BI砲」でプロレス界を盛り上げ、第一線で活躍を続けた。1999年に肝不全のため逝去したが、今もなお多くのファンから愛されている。

尾崎正司(ジャンボ尾崎)


投打:右投右打
身長/体重:181cm/76kg
生年月日:1947年1月24日
経歴:徳島・海南高

 
 ゴルフで輝かしい実績を残したジャンボ尾崎も、元々はプロ野球選手だった。
 
 徳島県の海南高校(現:海部高校)では、エースピッチャーとして活躍。3年春にはチームを初の甲子園出場に導くと、快進撃を見せて初優勝の立役者となった。
 
 1965年に西鉄ライオンズ(現:埼玉西武ライオンズ)に入団。投手としては結果を残せず、プロ3年目に外野手へ転向。しかし、一軍では計50打席で25三振、打率.043とプロの壁に苦しみ、1967年限りでプロ野球人生の幕を下ろした。

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 その後はゴルファー転身を勧められ、1970年にはプロテストに合格。圧倒的な飛距離を武器に活躍し、計12度の賞金王に輝いた。世界ゴルフツアーでは、通算113勝を記録。日本ゴルフ界を牽引し、現在は後任育成にあたっている。

木村昇吾


投打:右投左打
身長/体重:183cm/78kg
生年月日:1980年4月16日
経歴:尽誠学園高-愛知学院大
ドラフト:2002年ドラフト11巡目

 
 “野球の原型”ともいわれるクリケットで、日本代表入りも果たした木村昇吾。NPBでは計3球団を渡り歩き、貴重な戦力として活躍した。
 
 2002年ドラフト11巡目という順位で横浜ベイスターズに入団したのち、2007オフに広島東洋カープへトレード移籍。主に代走や守備固めといった起用法ではありながら、ベイスターズ時代と比較して出場機会が大幅に増加。試合終盤のスーパーサブとして重要な役割を担った。
 
 2010年には打率.324(規定未満)と打撃でもアピールしてスタメン機会を増やすと、2011年は自己最多の106試合出場を果たした。2015年オフにはレギュラー獲得を目指してフリーエージェント(FA)権を行使。しかし獲得に動く球団は現れず。その後、埼玉西武ライオンズの入団テストを受け、契約を勝ち取った。

 

 
 しかし、2シーズン在籍後に戦力外通告を受けた木村は、NPBに所属経験がある選手として初のクリケット選手に転身。身体能力を活かしてすぐさま頭角を現し、競技経験わずか3カ月ほどで日本代表にも名を連ねた。日本にはクリケットのプロリーグがないため、現在は関東地方に拠点を置くワイヴァーンズクリケットクラブに在籍しながら、海外リーグにも挑戦している。

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