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若き庵野秀明らが生んだ伝説『王立宇宙軍 オネアミスの翼』4Kソフト化&劇場公開!~オタクの、オタクによる、オタクのためのアニメ~

BANGER!!!

1987年3月14日に劇場公開された長編アニメーション映画『王立宇宙軍 オネアミスの翼』が2022年に35周年を迎えたことを記念し、本編の4Kリマスター化が決定、同時に10月28日からリバイバル公開も行われることになった。

『オネアミスの翼』は日本のアニメ史における重要な位置を占める作品であり、4Kリマスター版はもちろんであるが、劇場でも一見する価値は十分にある。

アニメへの情熱を実現させた夢企画

この作品、今でこそ日本を代表するクリエーターとなった面々が大勢参加している。公開当時26歳で作画監督を務めた庵野秀明をはじめ、企画:岡田斗司夫28歳(『トップをねらえ!』[1988年/1989年]:企画・原作・脚本)、プロデューサー:井上博明28歳(『MEMORIES』[1995年]、『PERFECT BLUE』[1998年]:プロデューサー)、キャラクターデザイン・作画監督:貞本義行25歳(『ふしぎの海のナディア』[1990~1991年]、『新世紀エヴァンゲリオン』[1995~1996年]シリーズなどの作画監督)、作画監督:飯田史雄26歳(『トップをねらえ!』、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』[2009年]:原画)、作画監督:森山雄治27歳(『うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー』[1984年]:作画監督・美術設定、『幻想魔伝 最遊記』[2000年]:キャラクターデザイン)、前田真宏24歳(『FF:U 〜ファイナルファンタジー:アンリミテッド〜』[2001年]:総監督、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』[2012年]:監督)、助監督:樋口真嗣21歳(『シン・ゴジラ』[2016年]、『シン・ウルトラマン』[2022年]:監督)、美術:小倉宏昌32歳(『ふしぎの海のナディア』、『フリクリ』[2000年]:美術監督)などが参加しているが、当時は、一般には全くの無名だった。

そもそも監督・脚本を務めた山賀博之自身、それまで自主作品と『超時空要塞マクロス』の各話演出・絵コンテしか手掛けた経験しかない弱冠24歳の若者。庵野秀明の商業監督デビューは28歳、新海誠も28歳、細田守が31歳、アニメーターから監督に転向した宮崎駿は37歳であったことを考えると異例の若さであり、そのキャリアを考えるとこれまた異例の抜擢である。

エグゼクティブ・プロデューサーにバンダイの山科誠、音響監督に『宇宙戦艦ヤマト』の田代敦巳、音楽監督にYMOで一世を風靡した坂本龍一(同年公開の『ラストエンペラー』でアカデミー賞作曲賞受賞)、設定スーパーバイザーに日本SF文学界の重鎮・野田昌宏などがしっかりと脇を固めていたとは言え、ほとんど実績のない若者が企画し、メインスタッフとなった作品に対し、当時としては破格の制作費8億円(現在でも破格だが)が投じられたのは「蛮勇」とも言えるものであったが、その後大躍進を遂げるバンダイという会社にはそんな大胆な賭けが許される土壌があったのである(ガイナックスの企画を受け入れ実現に奔走することになったバンダイの渡辺繁プロデューサーも製作経験のない若者であった)。

自分の見たいアニメをつくった若者たち

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日本のアニメ史でオネアミスの翼が持つ一番大きな意義は、自分が見たいアニメをアニメファンが自らつくったという点にある。

アニメは子どものものであり、小学校を卒業すると一緒にアニメも卒業するのが当たり前であった(日本以外の国は今でもそうだが)1970年代中盤に、小学校を卒業してもアニメを見続ける若者が日本に出現した。視聴率が伸びず、最終回を待たずして打ち切りになった1974~1975年放映のテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』は、高校生や大学生の熱心なファンの要望に応えて1977年に劇場編集版の公開が決まった。すると、上映数日前から待ちきれないファンが渋谷の劇場を取り囲んだのである。

その当時の社会では、「“漫画映画”を見るために“いい若者”が徹夜するなど前代未聞」と、徹夜で待つ姿が新聞などで大きく報道された。だが、そんな大人を尻目に、ヤマトは上映した多くの劇場で動員・興行の新記録を樹立したのである。

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