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円楽さん死去 『笑点』歌丸さんから三波伸介さんまでレギュラーが“現役”のまま世を去る長寿番組の悲しき宿命

SmartFLASH

 番組開始から56年を超えた『笑点』。多くの人気落語家が出演してきたが、円楽さんのように番組のレギュラーの座にありながら、亡くなってしまった出演者も多い。記憶に新しいのは、2018年に死去した桂歌丸さんだ。歌丸さんは1966年の番組開始時からレギュラーとして出演。2006年には5代目の番組司会に就任した。

 

「歌丸さんは、亡くなった円楽さんに『おい、ジジイ!』と呼ばれ、それに応じるかけ合いが人気を博しました。後年は肺の病気に悩まされ、2016年に司会を春風亭翔太さんに譲って番組を引退しましたが、その後も『終身名誉司会』、亡くなったあとは『永世名誉司会』として、番組のオープニングにその名がクレジットされています」(同前)

 

 その歌丸さんと、1970年代に番組を大いに盛り上げたのが、四代目三遊亭小円遊さんだ。自らを「僕ちゃん」と呼ぶキザなキャラクターで、当時から薄毛だった歌丸さんを「ハゲ」呼ばわりし、それに歌丸さんが「化け物みたいな顔しやがって」とやり返すのが定番だった。「犬猿の仲」に見えた2人だったが、じつは大親友で、それゆえに呼吸のあった罵倒合戦が展開できたという。

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 1980年、小円遊さんは仕事で向かった山形県内で倒れ、そのまま帰らぬ人に。『笑点』では『追悼大喜利』がおこなわれ、歌丸さんや、当時の司会だった初代三波伸介さんが涙ながらに思い出を語った。

 

 その三波伸介さんも、『笑点』レギュラーのまま亡くなったひとりだ。1970年から番組の司会を担当。お笑いトリオ「てんぷくトリオ」のメンバーだったが、これ以降、ピン芸人としてさまざまな番組で司会をこなすようになり、1970年代後半を代表するお笑い芸人となった。

 

「しかし、司会を務めていた1982年に自宅で倒れ、亡くなっているところを発見されました。大人向けの『笑点』のほか、子供に大人気だった『三波伸介の凸凹大学校』(テレビ東京系)、家族で楽しめた『お笑いオンステージ』(NHK)にも出演していた大スターの急死に、日本中がショックを受けたことを覚えています」(同前)

 

 レギュラー出演者がそのまま亡くなるのは、長寿番組の宿命なのかもしれない。悲しくはあるが、最後まで現役で走り続けた人生に、「お疲れ様でした」の声を贈りたい。

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