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掟ポルシェ「サイゼリヤに文句を言ったらバチが当たります!」 不味いものを不味いと言える男のグルメ論

Real Sound

掟:不味い/旨いは個人の嗜好なので、本来は好き勝手言って良いはずなんですよ。例えば2015年に移り住んでいた福岡は自分の食の好みと真逆で、うどんが柔いんです。福岡の人は郷土愛が強いから、「うどんは柔くないとだめばい」と言う意見の方がほとんどだけれど、実際のところ全国に広がってないじゃないですか。でも、豚骨ラーメンは全国にあるでしょう? 本当に美味しいものなら全国区になりますから、うどんは柔らかいほうが美味しいと思ってるのは福岡の人たちだけだということが証明されているわけです。今の日本人が慣れ親しんでいるうどんの硬さは讃岐うどんのそれで、その前の基準はソフト麺でした。冷凍技術の向上によって讃岐うどんのあの硬さが冷凍食品として簡単に再現できるようになり、讃岐うどんの硬さが日本のうどんのデフォルトとして認識されました。今、全国に広まっているチェーン店だって、大体が讃岐うどん屋なのはそういうことです。そういう感想を、面白く読めるように配慮しつつも、多彩な罵詈雑言を駆使してボロクソに書きました。「ごめんなさいあくまでも個人の感想です!」とあらかじめ断っておけば何を書いてもいいと思っている最悪な本です!

――本には「信濃町にあるメーヤウのレッドタイカレーの味をコピーして自分で作った」という話も出てきます。まるで音楽をコピーするかのようで興味深く感じました。

掟:結局、自分の食の好みの基には“貧乏”がありますね。最初にあのカレーを食べたのは大学生の時で、付き合っていた彼女が信濃町に住んでいたんですよ。当時のメーヤウは駅前にあったバラック小屋で、慶応の学生をターゲットにしているからか、夏休みと冬休みがそれぞれ1カ月あるというかなりユルい営業形態で。「食べると気絶するくらい辛いらしい」と噂になっていて、どんなもんかと食べにいったんです。そこで一番辛い「大辛」を彼女が食べて、その下の「辛口」を自分が食べまして。「大辛」は本当に辛かったけど、「辛口」はオリジナリティに満ちた辛さと旨さで一発で虜に。で、「このカレー毎日食べたいけど、お金がない」ということで、じゃあ自分で作るかと。

――具体的にどのようにコピーしたのかも知りたいです。

掟:あのカレーの特徴は、サイコロ切りの大根が入っていることですが、最初はその下処理に手こずりました。大根をそのまま入れてみたら、臭みが結構あって煮込んでもエグ味が残る。だったら下茹でしてから入れなきゃダメだ、ということで生姜とともに柔らかくなるまで煮る、それも水をよく切らないといけない、と研究して少しずつ味を近づけていきました。音楽でいうと「あ、この曲って構造的には難しかったりするんだなあ。でもクセを掴めば簡単だ」みたいな。

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 それから、ある程度コピーできるようになると「そこまで似てなくても、美味しければいいかな」という方向性になっていきました。完成度を上げることにもそこまで燃えなくて、ある程度のコピーでいいやと。自分にとって必要なのは聴いていいと思える音楽とか、食べて美味しいと思える食べ物なので。最終的に今となっては「あまり似ていないカレー」になってますね(笑)。

――つまりコピーバンドを目指すのか、あくまでカバーなのか、という違い?

掟:あとは弾く楽器にもよるじゃないですか。ギターもストラトキャスターやテレキャスター、レスポール、SGかによって音色が全然違います。料理で言えば材料。それ風に作ろうと思うと、一番難しいのはそこなんですよ。例えば、本にも書いたのですが、ココナッツミルクの味ってブランドによってまったくの別物で。コピーする時はそれを特定して同じものを使うところから始めなきゃいけない。

 それから「リアルタイ」や「チャオコー」などの一般的に手に入るブランドは季節によって味が変わるんです。特に冬場に買うと脂っぽかったりして、似せて作っても油脂(=ココナッツオイル)が浮いてくるから、掬って捨てなきゃいけなくて。油脂は実際メーヤウのカレーにも結構入っているんですけど。

 そうしたらある日、買い物に行っている大久保の業務スーパーが「リアルタイ」と「チャオコー」の取り扱いを止めて、聞いたことのないブランドのココナッツミルクを置き始めたんです。それを使うとギターじゃなくてこれはもうベースなんじゃないかと思うくらい異常なまでに濃厚で、似ても似つかないものしか出来ない。そこで完コピは諦めました。

 それをイベント「スナック掟ポルシェ」で出すと「こっちの方が美味しい」という人もいるんですが、もうメーヤウの完コピではないので、自分で食べると「これじゃないんだよな」感がある。コピーするにも難しい材料しか手に入らないようでは無理なんで、自分独自のカバーくらいに着地しました。まぁ、最終的にうまけりゃいいんです。

――音楽でいうところの食材が、楽器や音色だと。

掟:そうですね。あとは調味料もそうで、あればあるほどいいです。本にも書いた通り「さしすせそ」だけでは旨い料理はできませんから。コピーしようと思ったら、できるだけ調味料のメーカーやブランドを同じにすることが大事。それから完コピじゃなくて「美味しければいいや」という方向に持っていくことですね。

――ラーメン屋「来来亭」での味のカスタマイズを、ギターのアンプのツマミに例えていましたが、食と音楽は近いところがある?

掟:音楽がすごく好きですから……やっぱり例えとして出てきやすいですね。似ているというより、この例えしかできないというのが実際のところです。映画が好きな人だったら「○○の映画風に」となるかもしれませんが、俺は映画もあまり観てないし、ゲームのこととかも一切知らないですから。いい音楽や美味しいものと出会うと「どうやって作ってるんだ?」と気になりますが、最終的に分析しきれないほど複雑なものが好きですね。

 同じジャンルが全部好きかといえば、そうでもないんです。自分はデスメタルではカーカスというバンドが異常なまでに好きなんですが、同じデスメタルでもカーカスの元メンバーであるマイケル・アモットがやっているバンド、アーチエネミーはカーカスのように変拍子を用いたりもしないし、意外とクリーンな音色でエモーショナルな音楽を目指しているから、自分の好きなポイントとはズレていて全然ダメなんですよ。

 料理も同じように、ラーメン好きかと聞かれれば「そうでもない」と答えるしかなくて。だからひとつの店を見つけたら、食べ歩きをやめて通い詰めるんです。90年代から流行ったスープカレーも東京で通い詰めた結果、結局「スープカレー」とは謳っていない五反田「かれーの店 うどん?」だけあればいいやと。デスメタルはカーカスだけあればいいや、という感覚と似てますね。

サイゼリヤは文句の付けどころがない

――サイゼリヤについて語った「美味さと安さの感動的な同居……『サイゼリヤ』最高!」という章があります。サイゼリヤ論は何かとSNSで炎上するトピックなのですが、それらはどう見ていますか?

掟: 文句を言う人の多くは場所と用途の話が前提にありますよね。例えば「美味しい店が色々ある都会」で、「デートに使う店としてはどうなのか」というのがよく炎上しているサイゼリヤ議論。例えば吉田豪さんはサイゼリヤを「値段相応の評価」としてますけど、彼は美味しい店がたくさんある新宿に住んでいる独身男性で、高いお金を払う価値のある店に行きやすいけど、自分の場合、嫁子供と家族で行くことがほとんどで、東京都下のあまりパッとしない飲食店しかない街に住んでいるのでサイゼリヤの価値が最初から違う。選択肢がほぼないうちの近所だとサイゼリヤは救いの女神にすら見えてきますよ(笑)。味や技術の向上もきちんと目指しているし、それでいて安さはキープしていて、感染症対策もしているから文句の付けどころがない。

 あとは、人によっていろんな意見が出てくるのは、その人がサイゼリヤの何をいつ食べたかにもよるのかなと。自分は「ファミレス」というジャンルで考えると、他の店が苦手でして。意外と高いじゃないですか、他のファミレスって。あの値段ならチェーン店じゃないちゃんとした店行くわって話で。サイゼリヤは安いのに旨い。しかも最近リリースされた新メニューではかなりのブラッシュアップが行われています。この前、小3の娘が食べていた「ラムのランプステーキ」や「たっぷりペコリーノチーズのポモドーロ」は、低価格で食べられるのが信じられないくらいクオリティが高かったです。

「値段相応じゃん」と言うかもしれませんが、それでもすごいこと。コスパ的にも500円出して800円くらいのものが食べられる感覚で、これって家族連れにはとてもありがたいことなんですよ。メニューに描かれた「間違い探し」で注文の品が出てくるまで子供と一緒に盛り上がれますし。文句を言ったらバチが当たります!

――企業努力といえば、この本のなかにも「昔のままの味」、「味の古いものが苦手」、「修業は大事」など、食に対して努力していることや、時代に合わせて味を更新することへの評価が度々出てきます。これについても改めて聞かせてください。

掟:同じアーティストでもファーストアルバムとサードアルバムで全然違ったりするように、店もいつ、どのメニューを食べるかで味が違うことがよくあります。いい時期に自分の好みの店に出会うことはとても重要です。ずっと通っているひつじそばの荻窪「人と羊」は、いくつかのメニューでは最初に行った時より今の方が格段に旨いですし、最新状況を知ることは絶対必要。よくいるじゃないですか、ファーストアルバムだけ聴いてそのすべてを判断してしまう人。あれ本当にもったいないなぁと思いますね。飲食店の場合は特に開店当初は不安定なことが多いですから。

 その点でチェーン店は、イメージが固定化されているから難しいと感じます。途中から美味しくなっても「どうせチェーンでしょ」と思われてしまう。でも、うちの嫁と息子は、松屋の「シュクメルリ鍋定食」を「今まで食べた料理の中で一番旨かった」と言ってましたね。俺は牛丼屋は吉野家一択なんで店に行くこと自体ありませんけど(笑)。

「体に良いから食べる」という考えが嫌い

――ジャンクフードについて「消化吸収の仕組みを無視した大人にのみ許された快楽」と書かれていたのも印象的でした。

掟:体に悪いものを分かっていながら摂取してやったぜ、という感覚は大人に許されている特権であり、文化ですよ。文化レベルが上がっていくと、食だったら「美味しい」だけがポイントじゃなくなっていくじゃないですか。俺は好きじゃないけど、ラーメン二郎の醍醐味も満腹感を超えたところにある、ランナーズハイみたいなもので。食への興味として、単なる食欲以外の部分があっていいと思うんです。

 最後に収録されている対談でサニーデイ・サービスの田中貴さんが言ってましたが、美味しいものは油と塩分でできているので、それをある程度強めにしないと現代の感覚では「特徴のないもの」として見過ごされてしまう。彼は両方を強めにする店の姿勢はわかるけど、自分の好きな店がそちらに傾いていくのを嘆いてましたね。ただ、現代のラーメンって異常に塩分濃度の強いしょっぱいものとかもそれなりにあると思いますが、それを普通に美味しく食べることもできるし、美味しさの向こう側にあるものとして味覚を超えた部分で享受することもできる。

 もちろん成長期の子どもにジャンクフードばかり食べることは勧めませんよ。でも大人になってから、ある程度は体に悪い物をたまに食べるのも娯楽の一環じゃないですか。昔から嗜好品って基本は体に悪いものですよね。タバコなんかもそう。だけどタバコには酩酊感を味わえるという利点もある訳で、辛い労働の後に一服すると疲労が取れたように感じたりする。大人には辛い労働があるのだから、何か紛らわすものが必要ですよ。

――たしかに今まで認められていた嗜好品が、過剰に悪とされる風潮は増えつつあるように思います。

掟:怖いのは、近い将来にお酒を飲むことも禁忌される世の中になるんじゃないか、ということですね。ストレスが溜まったときに酩酊して誤魔化すという逃げ道は、社会にちゃんと残しておく必要があると感じています。日常で溜まったストレスを味によって発散することもできる訳ですし、医食同源だけが食の価値ではないですから。だいたい俺は「体に良いから食べる」という考えが嫌いなんですよ。「旨けりゃ体に悪くてもいいじゃん! 何のために食事してるんだよ!」と常々思ってます。旨いが一番じゃない食事の選び方はおかしい。

 食の上で、過剰に健康に気を遣う風潮については『美味しんぼ』の影響も大きいと思います。『美味しんぼ』で悪とされる「うま味調味料」は、起源をたどるとたしかに昔は石油から精製していたんですが、今は生成方法も原材料も違うので体に悪くない。ちゃんと進歩している訳だし、俺はバンバン使いますよ(笑)。現代ではうま味調味料の味をアクセントに使った昔ながらのラーメンなんかも注目されてきているし、所謂「化調」を悪者にしていた時代はもう終わったと思っています。そして、食に関しては「体に悪い物はやめよう」という言説によって、旨さを犠牲にするのは良くないというのが俺の意見です。「まずは旨いかどうかだろ!」と。「旨くて体に良いもの」ですか? そんなの好きに決まってるでしょ(笑)。

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