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「台湾、アイヌ文化と自分をつなぐ『門』のような存在」━━トンコリ奏者 Bie Suo インタビュー

Qetic

━━これまでの音楽キャリアを振り返って、いかがですか。 自分は1980年代後半から音楽をやっていて、「ナムチェバザール」ではテレビ番組にも出たり、「天空オーケストラ」時代には<フジロックフェスティバル>、<グラストンベリー・フェスティバル>など、大きい音楽フェスティバルでも演奏させてもらいました。大観衆の前、大きいステージでやるのは確かに気持ち良かったです(笑) ただ、大きなライブハウス、大きなステージは大抵「街」の中にあるので、ときどき自分がどこにいるのかわからないような感覚もありました。 ソロになってからは、街から離れたところでや、カフェ、ライブレストランバー、本屋さんでライブスペースがあるお店など、身軽さに音楽ができることが、昔と違っていいなと感じています。音響設備がないお寺に音響システムを自前で持って行くこともあります。主催してくれた方、来てくれたお客さん、と直接コミュニケーションができるのも良いですよね。

2018年12月、新北市の『酸屋 ACID House』にて。前列左端がチャン・ヤーチュン(張雅淳)

━━トンコリ奏者として、そして越境するアーティストとして今後やってみたい活動を教えてください。 一番は、やっぱり行けるようになって、台湾でライブがしたいです。そして、まだ会えていなかった方と会って話してみたいですね。フォーク・ロックバンド「シェンシャンバンド」(生祥樂隊)が大好きで、ギターを担当している日本人メンバーの大竹 研さんともTwitterを通してやりとりをしているので、直接お話してみたいです。 それから、ニューアルバム『TONKORI SOUND SKETCH』は、台湾の桃園空港近くにあるミュージックバー「深夜唱片行」を経営している方がプロモーションを手伝ってくれることになったんです。台湾でもアルバムがたくさん聴かれるといいなと思っています。

桃園県「Voice深夜唱片行」にて。背景にはジョン・レノンとボブ・マーリー。

━━最後になりますが、「Bie Suo」は、本名の中国語読みですよね。あえてこの名前にした意図は。 「脱・日本のアーティストになる」という意思表示で、今後は東アジアに活動の拠点を移すことを考えていきます。将来的には移住もできたらなと。そのために、トンコリ奏者として初めてのアルバムの発売に合わせ、アーティスト名を改めたんですよ。 ━━ありがとうございました。

Text by 中村めぐみ

INFORMATION

花蓮県『巢吧』にて

Bie Suo Official siteNew album 『TONKORI SOUND SKETCH』YouTubeTwitter

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2022年8月6日

提供元: Qetic

 
   

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