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「台湾、アイヌ文化と自分をつなぐ『門』のような存在」━━トンコリ奏者 Bie Suo インタビュー

Qetic

アイヌの民族楽器、トンコリ奏者のBie Suo(本名:別所誠洋)が6月15日にアルバム『TONKORI SOUND SKETCH』をリリースした。 ベーシストとして音楽活動をはじめたBie Suoは、1986年に結成したエスノポップバンド・ナムチェバザールがアコースティック編成となったことを機にタブラ奏者となり、多くのバンドを輩出した伝説的なテレビ番組『三宅裕司のいかすバンド天国』にも出演。 1994年からは岡野弘幹が率いる「天空オーケストラ」のパーカッショニスト、タブラ、ディジュリドゥ奏者として、<フジロックフェスティバル>や<グラストンベリー・フェスティバル>に出演する等、国内外で活躍した。ソロ活動に転向して以降、2013年にトンコリと出会い、台湾アミ族との出会いを機に台湾30ヶ所以上でライブをし、現地のアーティストとの親交を深めてきたという。 今回は「トンコリと台湾」というテーマで話を引き出してみた。

「トンコリ」とは?

トンコリとは、アイヌ民族の中でも「樺太アイヌ※」に伝承されると言われている民族楽器。 カヌーのような細い木のボディに、弦が5本。開放弦で弾くため、ハープやお琴に近い演奏スタイルとなる。穏やかで優しい音色が特徴。 樺太アイヌ文化の中では、自分で弾いて楽しんだり、シャーマンと一緒に病人の枕元で、ヒーリングを目的として演奏するなど、個人的かつ限定された用途で使われていたと言われている。近年では伝承と普及のためお客さんに向けて披露するという形がとられる機会も多く見られる。 ※樺太アイヌ:今のサハリンで暮らしていたアイヌ系民族のこと。北海道アイヌ、千島アイヌとは共通点も多い一方、異なる文化、生活習慣を有していた。
Bie Suoによるトンコリの演奏風景。編集は台湾の若手映像作家のL.J氏によるもの

Interview: トンコリ奏者:Bie Suo

「突然ですがトンコリを弾いてください」 思わぬ出会いが契機に

━━台湾での活動について伺う前に、まずはトンコリとの出会いについて教えてください。 「天空オーケストラ」が15年間の活動を経て活動休止状態になった後、ソロでいろんな人のライブでパーカッショニストとして活動したり、レコーディングを手伝ったりしていたんです。そんな中、関西で活動していたアイヌ女性のボーカルグループから「アイヌの歌のCDを作りたいので、プロデュースしてほしい」という依頼を受けたことがきっかけです。 レコーディング初日に、そのグループの方がトンコリを持ってスタジオをに入ってこられて「別所さん、弾いてください」と言われたのが出会いでした。ただ、私にとってトンコリは初見でしたから、どうやって持つのかすらわからず(笑)。 でも、初めてトンコリを持った時に、「ものすごく自分の身体にしっくりくる」感覚がありました。それまでバンド活動で多くの楽器に触れてきましたが、こんなにしっくりくる感じがしたのはトンコリが初めてでした。 「チューニングはどうすればいいですか?」と聞いたら、「そんなの適当でいいんですよ」と。なので、収録する歌を聞かせてもらいながら、自分で色々考えてチューニングして録音したのがきっかけでしたね。その後、調べると、トンコリは地域や弾く人によってチューニングがあるという説もあり、当時言われた「適当で良い」は、あながち間違いではないことがわかりました。 そのボーカルグループのお手伝いとしてトンコリを演奏する機会も増え、アイヌの歌も少しずつ覚えていきました。 ━━本当に偶然の出会いだったのですね。Bie Suoさんは、タブラ奏者として音楽キャリアをスタートし、インドで本格的にタブラの教えを受けられたこともあるとか。バンド活動の中で多くの民族楽器に触れてこられたと思いますが、それらと比べてトンコリの魅力はどういったところだったんでしょう。 5弦を開放弦で弾くトンコリは他の弦楽器とは違って、たとえば開放弦でも弦がたくさんあり比較的自由にメロディを弾くことができるハープや琴と比べると、弦を太鼓のように叩いて演奏するような感覚があります。例えば、木琴とかカリンバとかハンドパンみたいに、打楽器寄りだけど叩くとメロディーを奏でられる、という部分が似ているのが打楽器のようだと感じるところです。 タブラは逆に、打楽器なのにメロディー楽器の要素もあるのが面白いです。大小2個の太鼓を並べて演奏するのですが、小さい方の太鼓は主奏者が演奏する楽器と同じピッチにチューニングします。 大きい方の太鼓は叩く時にギターのチョーキングみたいに手のひらで太鼓の皮を押さえたりして音程を変える事ができて、主奏者が演奏するフレーズとユニゾンしたりも出来るのが面白いところです。また、タブラ奏者のユザーンがよくやっているように、小さい方の太鼓を幾つも並べてひとつづつチューニングを変えてマリンバみたいに演奏することもできます。 もしかするとタブラのメロディー楽器的な要素とトンコリの打楽器的な要素が自分の中で上手く混ざり合ったので、トンコリにハマってしまったのかもしれないですね。「多くの制限がある中で、何ができるだろう?」と考えるのが面白いというか。

初台湾で先住民族の村に直行

━━では、台湾で活躍するようになったきっかけを教えてください。 2016年に、友人が企画した交流イベントが初めての台湾訪問で、ライブが目的で訪問したわけではありませんでした。空港に着いて台北を見ることなく、特急列車で花蓮へ。花蓮から更に車で台湾の先住民族であるアミ族の村に行って、一週間くらい、村の人と一緒に生活をする……ということをしました。 ━━初めての台湾でアミ族の村に直行した方、初めて会いました。 いきなりディープな初体験でしたね(笑)。トンコリも持って行きましたので、日本に帰る直前に、他のアーティストと一緒にちょっとしたコンサートをやりました。アミ族の方々の前でそこでアイヌの歌や、トンコリの演奏を披露すると「この曲は私の部族の音楽と似てる!」など反応がもらえて。次はライブしに来たいな、と思いました。 とはいえ、台湾の音楽関係者とつながりがあったわけではなかったので、帰国後、2018年4月の中ごろにFacebookで台湾のライブができそうなお店を探して、手あたり次第に英語で「今度台湾に行くので、ライブをさせてください」とメッセンジャーを送ってみたんです。すると3ヶ所からOKの返事がもらえて、とりあえず行ってみようと。 ━━行動力が高くいらっしゃる。 ありがたいですよね。実際に渡航して、あるお店でライブをしたところ、自分が思っていた以上に受け入れてもらえたんです。見に来てくれたアーティストやお店のオーナーが口コミで広げてくれて、滞在中にどんどん他のライブをアレンジしてくれて。最初は3ヶ所だけの予定でしたが、台北市・台東県・花蓮県・宜蘭市・新竹市・新北市など合計12ヶ所でライブができました。

2018年、台北市にある象山公園近くのアートスペース『柏林客廳』にて。左から風潮音楽のプロデューサーで古筝奏者のシュウ・マンシュエン(許嫚烜)、Bie Suo、ハンドパン&ディジュリドゥ奏者のチェン・ペイユァン(陳沛元)

帰国したあとすぐに、「次も10ヶ所でライブをアレンジしたから来てね!」とメールが来て、その次に渡航した際、2018年の年末から2019年の1月には鳳林県や台南市も含め、17ヶ所を回ることができたんです。

台北市にかつて存在したプライベート・ダンススタジオにて、ダンサーのLa hinaと

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これらの経験を経て気づいたのは、「台湾のアーティストは住んでいるところは関係なく、つながりが強い」ということでした。たとえば、台北であるミュージシャンと友達になったとします。その後、電車で4時間以上かかる台東県に行って、別のミュージシャンと話すと、「その人、知り合いだよ!」ということがよくあります。メジャー、インディーの区別が人間関係に大きく影響することもなく、気さくに会えるような関係性なんだな、と感じました。

2018年12月、新竹市の『江山藝改所』にて

━━人間関係を軸に活動が広がっていったんですね。それもBie Suoさんの音楽がアーティストをはじめ、聞く人の心に響いたからだと思うのですが、台湾文化の中で、アイヌの文化はどのように受け入れられているのでしょうか。 まず、台湾では先住民族のことを「原住民族」といい、政府に認定されているだけで16の原住民族があります。そして、それぞれの台湾のグループと、アイヌのグループが交流しているんですね。その先住民族のルーツを持っている人からの反応が熱くて。「アイヌの人たちはうちの村に来たことがあるよ」「このメロディは私の民族の歌とよく似てる」など、そういうことを言ってくれました。アイヌでは「ムックリ」と呼ばれる口琴と全く同じ楽器も、台湾の様々な部族にあります。 私は学術的なところは詳しくありませんが、音楽面以外でも、アイヌ、台湾原住民族に限らず、アジアの先住民族に伝わるデザインには共通点がありますよね。現代よりもビビッドな色使い、カラフルで鮮やかな模様です。それから、現代ではなかなか見られませんが、アイヌの「シヌイェ」、台湾の「紋面」に見られるように、伝統的な風習として顔や手に入れ墨を施す文化もありますよね。 そんな背景もあり、台湾の原住民族にルーツを持つ方々は、アイヌの文化をより身近な存在として深く理解してくれようとする姿勢を感じました。特に原住民系のミュージシャンの「食いつき」はすごいですね。毎回質問攻めになります。 ━━具体的に、どのようなミュージシャンと交流していますか。 原住民族アーティストとして広く知られるバライ 巴賴はパイワン族にルーツがあり、アイヌという日本の先住民族に興味があるようで、私のライブに来てくれて以来、よく話をしています。それから、中華圏に伝わる月琴奏者のチャン・ヤーチュン(張雅淳)は「今度是非一緒に演奏しましょう!」と言ってくれました。 パイワン族のアーティストでさまざまな賞を受賞している、ダカナオ(達卡鬧)は、台東でお世話になった民宿の女主人の、旦那さんとして知り合いました。最初は「滅茶苦茶お酒飲んでるおじさんがいるなあ……」と思って見ていたんですが、後から数々の賞を受賞しているアーティストと知り驚きました(笑)

2018年の年越しライブ。台東都蘭にあるダカナオ(達卡鬧)の奥さんが経営する民宿にて

2019年1月、3回目の渡航で帰国する前に、お世話になったアーティストの皆を誘って食事に行きました。その中には、日本でライブ経験のある女性シンガー・センファイ 詹森淮もいました。食事会のあと、豆花屋さんに行ったり、コンビニに行ったり街をぶらぶらした後に、みんな楽器を持っていたので、近くの公園に行ってセッションをして盛り上がった、ということもありました。

2019年1月。左端がセンファイ(詹森淮)

━━現地に根差すように活動していくことで、音楽とともにBie Suoさん自身もコミュニティに溶け込んでいったのですね。 2019年8月はミュージシャン、ダンサーに加え、台湾茶マスターの方も一緒に、日本を案内するツアーを企画して、北海道のアイヌの祈りの祭典<アイヌモシリ一万年祭>にも行きました。<アイヌモシリ一万年祭>はインターネットにあまり情報の出ないローカルな祭典で、アイヌに伝わる土着の文化を台湾の仲間と体験する、という貴重な経験ができました。

ニューアルバムは、台湾・アイヌ・自分をつなぐ門のような存在

━━そうした中、コロナ禍を経てリリースした『TONKORI SOUND SKETCH』の制作に着手した経緯やコンセプトを教えてください。ここまで話を伺った、伝統的な奏法でのトンコリの音色に加え、日本語歌詞、中国語歌詞など、様々なテイストの音楽が一つのアルバムに収録されていますね。 2020年にも台湾ツアーを企画していたのですが、コロナ禍で台湾に行けなくなってしまいました。加えて、岡山の田舎に住んでいるので、際立った音楽活動というか、自宅周辺以外にあまり外出できなかった期間にできることはないかなと考えていました。そこで、日々感じたことを「日記」のようなイメージでトンコリの音にして、曲を作ったり、YouTubeにアップしたりしたのがはじまりでしたね。それが50曲を超えたくらいに、これを形にして発表したいと考えて、アルバム用に練り直したのが原点になります。 ━━コロナ禍以前は、台湾のローカルシーンに溶け込み、一緒に活動していくことが持ち味だったと思います。自由が制限された中で、どういったことを考えられましたか。 トンコリを通して自分自身と向き合う、ということを丁寧にやっていきました。 トンコリ奏者と言えば、北海道アイヌにルーツを持つ加納 沖さんによる「OKI DUB AINU BAND」がありますよね。対して、アイヌ民族にルーツがあるわけではない、関西出身の自分がトンコリを弾くというのはどういうことなのか、アイデンティティとは何か。台湾で出会った原住民アーティストたちを思い浮かべながら考えていました。

新北市のアートスペース『酸屋 Acid house』にて

たくさん自問自答する中で、明確な答えは出ていないものの、日本人という大きなくくりの中で、特定の伝統文化や一つの民族グループに属していない自分だからこそ、一旦伝統を解体して、できることがある。そう腹落ちした時に、このアルバムに収録されているような、トンコリを様々な表現の中で活かし、伝えていくというスタイルができました。そして、自分はこっちに進んでいこう……という「門」が開いたように思ったのですよ。 ━━私はバンドサウンドと融合した“消息”が好きですね。

詳細はこちら 『TONKORI SOUND SKETCH』

今後は東アジアに拠点を移していく

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