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前田エマ初小説インタビュー「動物になりきれない悲しみと、人間であることのおもしろさ」

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同じ生き物なのに、人間だけが仲間はずれ?

――表題作の「動物になる日」は、「うどん」の主人公・きぬ子の幼い頃を描いたお話です。冒頭では、ピアノ教室のベランダの白いフェンスに触れると白い塗料がぺりぺりと剥がれ落ちたり、「金木犀がさわやかなふりをした甘ったるい香りを空気にのせていた」りと、感覚的で実感に根ざした描写が続いていました。淡々とした「うどん」とはまた違った作風ですね。 

前田:私には弟がいるのですが、彼がこの小説の冒頭を読んだ時に「比喩が多すぎて、この話大丈夫か?と思った」と言われてしまいました(笑)。誰の目も通さず、きぬ子が感じたように世界を見ている小説にしたかったんですよね。 

 「うどん」の執筆中、なぜきぬ子がこういう大人になったのかをすごく考えていて、彼女の幼少期を書いてみたいと思いました。「うどん」は何度も書き直したけど、「動物になる日」はきぬ子と、きぬ子にとって特別な友人であるユミちゃんが、自由にばーっと駆け抜けて行き、私はそれを楽しい楽しいと言いながら追っていくような感じでした。なので3日くらいで一気に書くことができました。

――人間と動物、男と女、生と死など様々な境界線への疑問を、きぬ子は手放さずに持ち続けていますね。 

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前田:「動物になる日」が書けた理由のひとつに、私の動物への感情が希薄だということがあると思います。たとえば子どもの頃、犬が歩いていると「わあ」と言って友達が近寄っていったり、猫の映像を見て「かわいい」と言ったりしていたけど、私はあんまり感情が湧かなくて。でも学校では生き物係を真面目にやり遂げたし、自宅ではゲンゴロウやカエルを飼ったり、人に頼まれて亀の世話もしたりしました。でも、その中で「全部同じ生き物なのに、なんで人間だけが仲間はずれのような気がするんだろう」と違和感があったんですよね。 

 私の心の中には、人間もそれ以外の動物も、それこそ虫や食べ物も全部どこか同じだという感覚がある。でも大人になるにつれて、動物になりきれない人間の悲しみのようなものも、人間であることの面白さも、どちらにも尊いところがある、と考えが変わっていきました。そのずっと抱えていた感覚を、書いてみたいとも思いました。 

――きぬ子の「境界線を引くことへの違和感」は前田さんにも通じるものだと思いますが、きぬ子と前田さんの関係は? 

前田:きぬ子はうどん屋で働く前は20個くらいバイトに落ちているのですが、私もバイトに全然受からなかったんです。そんなふうに重なっているところもありますが、自分をモデルにしたというより、生きてきたなかで風景として心に残っているものを集めて並べた感覚です。写真アルバムを作っている時に近いのかもしれません。心の中に残っている忘れられない風景や匂い、音なんかを並べ変えながらまとめていきました。 

絵や写真の経験が小説に生きている 

――これまでどんな本を読んできたか教えてください。 

前田:小学生の時は江戸川乱歩やダレン・シャンに夢中でした。「こそあどの森の物語」という森で暮らすゆかいな人物たちのシリーズもよく読んでいましたね。「大どろぼうホッツェンプロッツ」も好きでした。両親は外国の名作児童文学をたくさん買ってくれたのですが、あまりのめり込めなかったです。 

 中学では部活や塾などで学生生活が忙しくなりしばらく本から離れていたのですが、3年生の時に久しぶりに図書室に行って、きれいな本だなと思い手に取ったのが瀬尾まいこさんの『幸福な食卓』(講談社)でした。初めて“大人が読む本”を読んだのは、この時かもしれません。私は両親が結婚をしていない家庭で育ちましたが、そのことを不思議に思ったこともないし、家族の仲もとてもいい。瀬尾さんは家族のいろんなかたちを書かれていますが、いま思うと私にとっての“普通”が瀬尾さんの小説の中にはたくさんあったのかもしれません。 

 高校生になってからは、学校が本当につまらなかったので本ばかり読むようになりました。高校の図書室は狭くてショボかったんですけど、それでもそこにある本を片っ端から読んでいきました。今でもよく読む桜庭一樹さん、村上春樹さん、山田詠美さん、川上弘美さん、それから谷崎潤一郎や夏目漱石もこの時に読みましたね。 

 大学生になってからは村田沙耶香さんにハマって、「あ、わかる!」という感覚でたくさん読みました。特に『しろいろの街の、その骨の体温の』(朝日新聞出版)は、読んだときに「私にももしかしたら書きたいことがあるかもしれない」と思ったのを覚えています。『動物になる日』も影響を受けている部分がある気がしますね。 

――小説の執筆中に読んだ本はありますか? 

前田:人間と動物の関係について書かれた本をよく読んでいました。動物性愛の人たちを追った濱野ちひろさんのノンフィクション『聖なるズー』(集英社)や、オオカミが人を食べる「あかずきん」、人間のお姫様とカエルが結婚する「カエルの王子様」などを読み解く赤坂憲雄さんの『性食考』(岩波書店)などです。共感とは違うけど、なんとなくわかるような感覚で読んでいました。 

――韓国文学もお好きだとうかがいました。 

前田:一番好きなのはハン・ガンさん。人間の肉体や痛みを淡々と描写する努力と才能に焦がれています。扱うテーマなどにも、信頼を寄せている作家です。特に『少年が来る』(クオン)という光州事件を書いた小説には衝撃を受けました。詩集も出されていますが、詩集と小説の中間のような『すべての、白いものたちの』(河出書房新社)も美しくて好きな一冊です。この言葉以外ない、という言葉を見つけてくる力がすごくて、読むたびに感動します。

――前田さんはペインティングや写真など、いろんな表現の方法を持っています。その中で小説とはどんな存在ですか。 

前田:絵と写真は学生時代にはじめたものですが、どちらも「これを自分はやらなきゃならない、これをやって生きていきたいんだ」と強く思うものにはなりませんでした。 

 でも、言葉を書くことは、この二つとは全然違う感覚があります。寝ることの次くらいに好きだなあと思います。あ、でも読む方が好きなので、その次ですね。とにかく好きで、ずっと書いていたいなあと思います。 

 ただ、写真と絵をやっていたことが小説にも影響していると感じます。たとえば絵を描く時は細部を見て、後ろに下がって全体を見て、また細部に戻って……を繰り返すのですが、文章でも同じことをしていると思います。それから、写真で作品を作る時は、テーマに合わせて複数の写真を選び、並べかえたりしながらつくっていきますが、それは今回の小説を書く時にやった、自分の心の中にある風景を並べ替えてまとめていく作業と似ていました。絵と写真、両方をやっていたから今の自分の文章ができたと感じています。

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