受け皿のないその器はさながら、角砂糖の入れ物といった感じか。水のコップにしては形が不自然だが、いずれにせよ和彦が席についてから二人は隙間なく会話を続けており、ウェイターが器を置くようなシーンはなかったのである。
「おそらくこの場面ではもっと長い会話が撮影されており、それを編集した結果、器の出現がおかしなタイミングになったのでしょう。編集ミスではあるものの、こういった入れ違いは映像作品ではザラにあります。ただ問題は、編集した結果の本編映像にて重子の発言にすり替えが発生したことです。脚本にもともと一貫性がなかったのか、それとも編集したことで一貫性のなさが強調されてしまったのか。ともあれ突然の器出現は、視聴者の違和感が表出してしまった象徴に思えてなりません」(前出・テレビ誌ライター)
家柄の違いは永遠に埋められないが、「仕事をする女性」への認識なら変えられるかもしれない。そんなご都合主義が、今回の“すり替え”を生んだのかもしれない。