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傷ついた中年ヒーローの優しい成長譚 『ソー:ラブ&サンダー』茶一郎レビュー

映画スクエア

 『ソー:ラブ&サンダー』の軸となるソーの自分探しの物語ですが、ここで一つキーワード、テーマとなる「中年の危機」「ミッドライフ・クライシス」ですね。というのもタイ カ・ワイティティ監督、元々、前作から続編を作る予定はなかった所、何か語るべき物語があるかと模索して「中年の危機だ」と。ジェイソン・アーロンのコミック『ソー:ゴッデス・オブ・サンダー』でジェーンがソーのハンマー=ムジョルニアを手にしているビジュアルを見て、「ソーにとっては自分の立場・ポジションが奪われたような心理的危機を感じるはずだ」と、このビジュアルから「中年の危機」のモチーフを見出したという事です。「中年の危機」というのは、中年期に自分の能力の限界を感じたり、また自分より成功している同僚を見て劣等感を感じたり等々、そういった不安障害、第二の思春期と呼ばれるものですが、ここに監督はソーの二回目の物語のテーマをフォーカスしたという事だそうです。

 まさに予告でも印象的に使われています「マイティ・ソー」の代名詞、アスガルドの王の象徴とも言えるムジョルニアが、自分ではなく、別の人を選んだ。その様子を見てソーは「俺こそソーに、ムジョルニアにふさわしいんだ」と言わんばかりに鎧、鎧兜を装着する。新アスガルドにおいてもアスガルドの人々はソー以上に、新しいソーであるジェーンに尊敬の眼差しを向けている。どちらかというとソーは建造物を壊しまくる、災害の神として厄介がられているという。自分以上の「ソー」が目の前に現れる。やや自分のポジションを奪う存在ジェーンが、ソーにとっては「元恋人」という設定が乗っかってしまっているので、実は監督が意図している「中年の危機」というテーマが薄れている感覚はありました。中年期の不安というより、ラブストーリーが浮き出てしまっているというのは設定上の欠陥かなとは思います。

 ともかくこの「中年の危機」「ミッドライフ・クライシス」は、とても最近多いですね。しかもヒーロー映画で。偶然にもMCUとしては前々作の『ドクター・ストレンジ/マルチバース・オブ・マッドネス(MoM)』がそうでしたね。中年のヒーローが主人公で、かつての恋人が自分ではなく他の人と結婚する。自分の人生は「本当に幸せなのか?」「今の世界で満足しているか?」というテーマでした。印象的なセリフとしては自分でしか「メス」を握らなかった男が、愛を受け入れ「メス」を他人に託す事で成長すると。まさに『MoM』におけるセリフの「メス」が今回の「ムジョルニア」「ソーというポジション」と重なってくる訳です。他の作品を挙げたらキリがないですが、スター・ウォーズのドラマ『オビ=ワン・ケノービ』も、あまり上手くは語れていなかったですが、「メス」「ムジョルニア」が『オビ=ワン』では「フォース」もしくは「ライトセーバー」になっていました。ドラマ『ザ・ボーイズ』シーズン3でのホームランダーというキャラクターの物語も類似します。今までチームのリーダーだった彼が別の若い女性のヒーローにポジションを奪われてしまう。偶然にも作品のテーマがリンクしています。

物語のテーマ – 監督過去作から見る本作

 今まで王として、闘いのため、勝利のため、復讐のために生きてきた男ソーが、『エンドゲーム』で一旦の復讐を終え、大きな目的を失う。おまけに自分のポジンションを別の人に奪われてしまう、改めて「自分と何か?」を自分の心に問う物語が『ラブ&サンダー』ですね。タイカ・ワイティティ監督の過去作と本作を比較して見ると、より本作の輪郭を明確になります。一番、個人的に思い出したのが監督の長編映画デビュー作の『イーグルvsシャーク』という作品でした。この『イーグルvsシャーク』では復讐のために人生を費やした男がその復讐が、闘いが無意味だったと気付いてしまう、自分の時間だけ止まっていたんだ、そんな絶望の中、男は目の前の女性、愛に、まさに「ラブ」に気付くという、凄く似ています。監督作品は特に、主人公が「強くあれ」「弱さを見せる な」「闘い続けろ」という男性性、そういった男性的な世界に憧れる主人公が、そこではない別のものに価値を見出していくという物語が多いですね。

 しかも男性的なものの象徴を毎回、タイカ・ワイティティ監督ご自身が演じているというのが面白いです。これは監督の出世作の『ボーイ』とアカデミー脚色賞を獲得した『ジョジョ・ラビット』です。どちらも子供が主人公の物語で、その子供が男性的な存在に憧れていると、『ボーイ』では監督演じる主人公のお父さん。『ジョジョ・ラビット』では主人公の脳内にいるヒトラー。どちらも主人公に「強くあれ」「闘い続けろ」と言う。しかしそこではない所、やはり愛、ラブの美しさに気付いていく。『ボーイ』の父、『ジョジョ・ラビット』のヒトラーです。

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 本作『ラブ&サンダー』における主人公が憧れる男性的な存在は、ラッセル・クロウが最高の怪演を見せていますゼウスでしたね。そもそもこのゼウスという神様自体が、ギリシャ神話において浮気しまくりのダメダメ男なんですが、それをラッセル・クロウという役者に演じさせるというこの楽屋オチ感。最近『アオラレ』とか『ナイスガイズ!』とか暴力男ばっかり演じているラッセル・クロウですが、ご自身もプライベートで暴力沙汰を起こしまくっている方ですから、そんな俳優にゼウスを演じさせるという笑えないブラックなキャスティングですね。しかもそれに憧れているソー、そのソーの様子を見て呆れるジェーンとヴァルキリーと。キャスティングと構図がギャグにもなっていました。ソー、お前が憧れるその闘いの世界に本当に価値はあるのか?

 本作『ラブ&サンダー』の鏡写りとも言える作品は、タイカ・ワイティティ監督が1話の監督とプロデューサーを務めているドラマ『海賊になった貴族』“Our Flag Means Death”。これも地主階級(ジェントリ)の主人公が中年になり、子供の頃から憧れていた海賊の世界に足を踏み入れる。まさしく「中年の危機」がテーマとしてありますし、海賊という男性的な世界に憧れる主人公、しかもここで主人公が憧れる男性的な存在をまたまたタイカ・ワイティティ監督ご自身が演じていると。しかしそんな男性的な世界、海賊以上に主人公が人生の価値を見出していくという。これも本当に美しいラブストーリーなんですよ。ほぼ同じテーマ、題材を同時期に『海賊になった貴族』と本作『ラブ&サンダー』でやっているというのが面白いですね。

 ただ何度も言いますが、「中年の危機」モノのドラマとしては『海賊になった貴族』よりは若干弱い、ピンボケしているなという印象ですね。ソーが心の傷に向き合うドラマと並行して、もう一人の主人公とも言えるジェーンの物語もかなり深く描かれます。ジェーンも実はソー同様に「男性性」の呪いに苦しんでいるという描写ですね。これも驚きました。今回、重病を抱えている中、休まないといけないのに研究をし続ける。みんな大好きダーシーが「休もう」と言うけれども「私には私のやり方がある」と。なぜジェーンは休まないのか、これには亡き母親の「闘い続けなさい」という言葉。母の存在が影響していると描かれます。

 ジェーンとソーが抱えるのは「男性性の呪い」、何なら「ムジョルニアの呪い」と言っても良いかもしれませんね。「強い王」の象徴であるムジョルニアに見出され、ジェーン自身も闘い続けることで自分の病と向き合うことを避けていると。ソーとジェーン、実は同様の苦しみを抱えている。この設定はかなり興味深かったんですが、あまり有機的に絡まなかったのが残念でしたね。もっとこの設定が活かせていたら、もっとドラマが強固になっていたと思うんですが、タイカ・ワイティティはこのドラマよりアドリブ、コメディ、SFアドベンチャー的な要素に軸足を置く判断をしたということですね。

 あと、絶対に本作を語る上で言っておきたいのは悪役ゴアです。本当に素晴らしかった。MCU史上でもサノス、キルモンガー、ジモ、ヴァルチャー、ミステリオに続く魅力を感じましたね。なので個人的6位の悪役ですかね。これもひとえに、ゴアを演じたクリスチャン・ベール力ですね。映画始 まった段階で、『マシニスト』『戦場からの脱出』ばりに痩せ細ったクリスチャン・ベールがスクリーンを支配して、一気に『ラブ&サンダー』が映画的になった印象もありましたし、ゴア怖すぎ問題。小さいお子さんとか泣くだろうライトなホラー描写も驚きました。あと、影の星の描写、この惑星に着くと色は失われてほぼモノクロになると。前作から続いて本作も物凄くカラフルで、黄金とかピカピカなカラーの一方、後半はモノクロになるという映画全体のカラーリングのデザインとかもとても良かったと思いました。ちょっとこんなふざけた映画でクリスチャン・ベールを使ってしまうのはもったい無いくらいの役作りと演技でしたね。魅力的な悪役ゴアでした。

傷つく権利

 『ソー:ラブ&サンダー』は、物凄くまとまっているとは言いづらいですし、監督が意図したテーマも十二分に描かれているとは言えないですが、「ソー」の物語として愛おしい映画だったと思いました。まず冒頭で泣かされます。このソーの自分探しの物語。僕が最初に頭に浮かんだのはグレイソン・ペリーという方の「男らしさの終焉」という書籍でしたね。男性の生きづらさについてコミカルに書かれたコラムですが、このコラムの4章の中見出しにこういうものがあるんですね。「傷つくこと、愛することに開かれよう」まさしく劇中で「心を開いて」というセリフがあるので、そのままなんですが、グレイソン・ペリーはこの書籍でブレナー・ブラウンの「傷つく心の力」という言葉を引用して、自分の心の傷に気付くには力が、能力が必要なんだと言っている訳ですね。そしてこの「男らしさの終焉」の最終章の見出しが「男たちよ、自分の権利のために腰を下ろせ」なんですね。そしてその「男たちの自分の権利」とは何なのか?その一個がまさしく「傷ついていい権利」。

 「監督これ読んだ?」って感じなんですが、自分の心の傷に向き合わず、失うことを恐れて愛を避けてきたソー、闘い続けることで身体の傷から逃げてきたジェーン。「傷ついていいんだよ」ということですよね。その「傷ついていい権利」のために腰を下ろせと。「マイティ・ソー」「ソー」という腰を下ろす、権利を渡す、子供たちにソーの力を分け、今まで自慢話のように子供たちに語っていた武勇伝スペース・バイキング、ソーの物語の主人公は最後にソーではなく、ニュー・ソー、ジェーンの物語に置き換わった。ソーの物語の主人公をジェーンに託す。ソーは腰を下ろせた訳ですね。先ほども挙げましたが、偶然にもMCUの前作『MoM』で主人公が初めて他人を信じる、他人にメスを渡す様子と重なります。『MoM』の動画でも『ドライブ・マイ・カー』との類似を挙げました。『ドライブ・マイ・カー』では村上春樹さんの「木野」という短編のセリフを劇中に引用しています。「おれは傷つくべきときに十分に傷つかなかったんだ。(中略)本物の痛みを感じるべきときに、おれは肝心な感覚を押し殺してしまった」。

 心を開こう。傷つくこと、愛することに開かれよう。それにようやく気付く、長い長い愛の宇宙セラピーが『ソー:ラブ&サンダー』だったという事だと思います。1作目『マイティ・ソー』で父に鎧を奪われ、地球に追放されたソーが、その地球で出会ったジェーンとの愛を再び受け入れることで、今度は自ら「マイティ・ソー」という心の鎧を脱ぎ捨て、「男性性、闘いの象徴」とも言えるムジョルニアを他人に託し解放される、そういう4作目だったんじゃないかと思います。今まで呼ばれた時だけ行っていたヒーロー活動もようやく自らの意思で行う事ができるようになった。ソーのヒーローオリジンとして二回目のスタートが今まさに始まるという『ソー:ラブ&サンダー』。とてもソーというキャラクターを物凄く優しく成長に導く、ふざけてはいるんですが真面目な、誠実な映画でした。僕は作品のクオリティ以上の愛おしさを感じています。

【作品情報】
ソー:ラブ&サンダー
2022年7月8日(金)公開
© 2022 Marvel Studios

茶一郎
最新映画を中心に映画の感想・解説動画をYouTubeに投稿している映画レビュアー

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