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石原慎太郎さん 殴らず、叱らず…良純を気象予報士に導いた“非スパルタ”ヨット交流

女性自身

 

食べ物の好みも近く、酒量も同じくらい。大人になってからは、よく一緒に飲んだり、ゴルフに出かけていましたよ。

 

いつもほかの兄弟は、おっかなびっくり慎太郎さんと接していましたが、良純さんは違いましたね。

 

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良純さんが小学生のころ、家族全員でヨットに乗り、悪天候で揺れてみんな吐いていたのに、良純さんだけが我慢して吐かなかったそうなんです。このとき慎太郎さんは、“良純はヨットに向いている”と勝手に解釈して、以来良純さんを乗せることが増えたと聞きました」

 

2022年2月4日、レギュラーで出演する『ザワつく!金曜日』(テレビ朝日系)で、良純は父と自身の共通点について明かしていた。

 

「僕が子供のころ、親父に『逗子の海岸に走りに行くぞ』と言われて一緒に行くんだけど、親父はバーッて走っていって、自分一人で遊んでいるだけ。

 

でも、僕なんかも気がついたら、自分の子供をベビーカーに乗せて走ってた(笑)。そんなところが似ているのかもしれない」

 

 

■父と乗るヨットの上で天気に興味を持った

 

良純は、大学在学中の1982年に俳優デビューし、叔父が率いた石原軍団の一員として、映画やドラマの世界で活躍。

 

50代になってからは、バラエティ番組を中心に多数のレギュラー番組を抱えるブレークぶりの一方、芸能界では珍しかった気象予報士の資格を持っている。「天気予報との出会い」は、“父とのヨット”がきっかけだった。石原家を知るテレビ局員はこう語る。

 

「良純さんは慎太郎さんと乗ったヨットの上で、“雲ができる仕組みや風向きが変わる理由を不思議に思ったことがきっかけ”で、気象に興味を抱き、気象予報士を目指そうと思ったそうです。

 

試験当日、良純さんは慎太郎さんに、『そんなのやめてゴルフに一緒に行こうよ』と誘われて、言葉を失ったと笑っていました」

 

だが良純によれば、慎太郎さんから口やかましく指図されたことはまったくなかったと、過去のインタビューで明かしている。

 

《親父は何にも言わない人です。ただ大枠で、「自己発信する人間になりなさい」と。

 

それは役者でも物書きでも、政治家だろうが銀行員だろうが画家だろうが、仕事は関係ない。ですから、僕の仕事についてとやかく言われたこともない》(『読売ウイークリー』2003年12月21日号)

 

慎太郎さんには、1969年に出版された『スパルタ教育』(光文社)というベストセラーがある。体罰を肯定するなど、“強き父”を前面に打ち出した主張は、当時多くの物議を醸した。

 

だが驚くことに、実際の慎太郎さんは、破天荒さとは程遠い“子育て美学”を貫いていたという。 2001年2月に本誌のインタビューで、良純はこう明かしている。

 

《よく“お父さんのスパルタ教育で育てられたんですか”と聞かれますが、親父に怒られたこともめったにないし、ブン殴られた記憶もありません》

 

殴らず、叱らずーー。

 

慎太郎流スパルタ教育を、良純はこう受け止めていた。

 

《社会に出て一人前の男と扱われるようになって、親父の言うスパルタ教育の意味がわかってきました。男は自分の信じる正義に向かって、信念を曲げずに困難に立ち向かっていく。石原家の親父の実践は、男として家族とどういうふうに接していくかの理想を示しているようにも思えるのです》

 

 

■良純が近所の人を気遣う一幕も

 

慎太郎さんは、2014年にテレビ番組で良純と対談したとき、四兄弟の教育について、こう語ったことがあった。

 

「人間それぞれ違って、百人百様のものを持ってるんだから。子供だから、“俺に準じてものを考えろ、感じろ”と言ってもしょうがない」

 

この対談で、慎太郎さんは伸晃氏、宏高氏、延啓氏の仕事ぶりを案じつつ、良純に対してはーー。

 

「ハラハラしてるね。特に、政治家になっちゃった2人はね。お前は、今でもかわいいよ」

 

四兄弟のなかでも、良純は慎太郎さんが最後の日々を過ごした実家を頻繁に訪れていた。

 

「良純さんは近くにお住まいで、奥さまのお勤め先も近くでしょう。いつもこの辺をジョギングしてますし、ちょくちょく実家に様子を見に来ていましたよ。

 

良純さんは慎太郎さんが亡くなった翌日、一軒ずつ近所に挨拶回りをしていました。『これから取材や警備で騒がしくなるので、申し訳ない』と謝られて……。ご兄弟のなかでも、やはり良純さんにいちばん親しみがあります」(慎太郎さん宅の近隣住民)

 

通夜の途中、良純は母の典子さん(84)が乗る車いすを押して、慎太郎さん宅の玄関から出てきた。送迎の車に乗り込む母に、「母さん、明日もね」などと、窓越しに優しく声をかけていた。

 

慎太郎さんがもっとも愛した次男坊。きっとこれからも、彼は人々に愛され続けるのだろう。

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