重すぎたエンジンと、シャシー開発能力の限界

エンジンとシャシーを一体で開発できる強みのあったホンダRA273だが、いくらパワーがあっても重すぎるマシンしか作れないホンダの未熟さは如何ともしがたく、急きょシャシー開発をローラに依頼した後継機、RA300が開発された

前年から排気量は2倍、420馬力を目指したRA273Eエンジンは常識的な縦置きマウントとなり、角バンクからメデューサの髪のごとく太い排気管が後方に伸びます。

目標値には達しなかったと言われるもののライバルより強力なパワーを誇ると言われますが、それに耐えうる強度を持たせたモノコックボディは重く、凝りすぎて重いエンジンと合わせて最低重量を大幅に超過しました。

多少エンジンに難があっても軽量なマシンで走るライバルに対し、RA273はまるで強力なエンジンを積んだトラックのようで、ストレートの速さだけならともかく、コーナリングも含めたコース全体で速く走ることなど、思いもよりません。

しかし規則改正に各チームが混乱しているうちなら、あるいはタナボタ的な好成績、あわよくば…と下心を出し、3戦目(最終戦)のメキシコGPではリッチー・ギンサーが4位入賞を果たしたので、一応は目論見通り。

翌1967年にはフェラーリから移籍した1964年のF1王者、ジョン・サーティスを迎え、開幕戦の南アフリカGPで3位表彰台、第6戦イギリスGP(6位)、第7戦(4位)と入賞し、一見すると好成績に見えます。

ただしこの1967年は、後にF1エンジンの名機として誉れ高い「フォード・コスワースDFV」(3リッターV8)がロータス49へ積まれてデビューした年であり、軽量・高性能・高い信頼性と3拍子揃ったエンジンが軽量マシンに積まれましたから、もはや勝ち目ナシ!

重たいV12エンジンでどうにかするにはマシンの軽量化しかありませんが、4輪車メーカーとしては新興もいいところでレーシングカーの経験も浅く、エンジンも小排気量のうちは2輪のノリで何とかしてきたホンダにとって、オールホンダ体制はここまでが限界でした。

結局、1967年シーズンの途中から、サーティースのコネで渡りをつけたイギリスのシャシー・コンストラクター「ローラ」へ開発を依頼したRA300へ切り替える事となり、RA273はついに未勝利で終わったのです。

しかし創業者の本田 宗一郎氏が「走る実験室」と呼んでいたホンダF1にとって、オールホンダ体制の限界まで頑張ったという意味で、RA273はその役割を十分に果たしたと言えるでしょう。

(厳密には、空冷マシンRA302という「悲劇で終わった限界」が、その先にもありましたが…)

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