top_line

「エンタメウィーク」サービス終了のお知らせ

元NHKアナウンサー・鈴木健二「私に1分間時間をください」~物議を醸した『あの一言』大放言うらおもて~

週刊実話WEB

しかし、この本を出版した理由はもっと別にあって、当時の鈴木は腎臓に重い病気を抱え、仕事ができなくなる恐れがあった。

そのため、まさかに備えて家族にお金を残したいという思いから、入院中にベッドの上でこの本を完成させたのだという。

番組と書籍の大ヒットにより国民的存在となった鈴木は、83年から大みそかの『紅白歌合戦』で白組司会を任される。

その2年目、84年の紅白は先に引退を発表していた演歌歌手の都はるみが、ラストステージを務めることで大きな話題を集めていた。

“本当のハプニング”を誘発

本番当日、大トリの都は『夫婦坂』を歌唱後、深くお辞儀をしたまま体を震わせていた。

広告の後にも続きます

その姿を見て観客席から、大きな拍手とともに「アンコール」の大合唱が巻き起こる。

すると、鈴木は唐突に舞台中央へ飛び出し、客席に向かって「私の話を聞いてください!」と呼びかけた。

そして、都が事前に『夫婦坂』を歌って燃え尽きたいと語っていたことを明かした上で、「私に1分間時間をください。今、交渉してみます」と後方で涙ぐんでいる都に駆け寄る。

そして、彼女の肩を深く抱きながら「1曲歌う気力がありますか?」と問いかけた。

すると都の代表曲である『好きになった人』のイントロ演奏が始まり、鈴木が「お願いします!」と繰り返すと、都は涙を拭きながら「はい」とうなずきマイクへ向かった。

鈴木はその背後から寄り添い「はるみちゃん、いこう!」と声をかけ、正真正銘のラストソングが始まった…。

実のところ、この一連のくだりは元から予定されていたが、ハプニング的なリアリティーを高めたいということで、このときの鈴木のセリフは台本がないアドリブだったという。

こうした演出が功を奏し、瞬間最高視聴率は80%を超え、番組全体でも70%超の高視聴率(ビデオリサーチ調べ、関東地区)を記録した。

しかし、その一方で都が2曲目を歌い出すまでの間が、どこか押しつけがましい鈴木の独り舞台となったことで、「なんで都は紅組なのに、白組の鈴木がしゃしゃり出てきたんだ」などと批判的な声もあった。

また、歌唱後にはドタバタの展開に焦った総合司会の生方恵一アナが、都のことを「ミソラ」と呼ぶ本当のハプニングまで起きてしまった。

そのせいもあったのか、翌年の紅白は視聴率が大幅ダウン。これ以降、70%を超えたことはない。

鈴木はこの85年を最後に紅白の司会を降り、88年に定年退職すると、その後はテレビに出演することがほとんどなかった。

これはもしかすると、「後輩アナたちの邪魔をしたくない」という鈴木流の「気くばり」だったのかもしれない。

鈴木健二◆すずきけんじ 1929年1月23日生まれ~2024年3月29日没。東京都出身。東北大を卒業し、1952年にNHK入局。東海道新幹線の開通やアポロ11号による人類初の月面着陸など、同局の顔として歴史的な中継を担当した。著書も多く、82年に刊行した『気くばりのすすめ』は大ベストセラーになった。映画監督の鈴木清順は兄。

  • 1
  • 2
 
   

ランキング(エンタメ)

ジャンル