クジャクやペンギン、そしてイナゴ。阿加埜が物語で引用するのは基本的に人間以外の様々な生物の生態や生存戦略だが、所詮人間もヒト科の生き物。
すべてが当てはまるとは言い難いが、中には思わぬ共通点や心当たりのある話にドキっとすることも。
誰かが誰かのことを好きになる。そんな人の心や感情と直結する恋愛の話は、得てしてコントロールできないものとされがちだ。
しかしヒトの「好き」という感情も、結局は子孫を残す生存戦略の上に生まれるものだという阿加埜の話には妙な説得力も確かにある。
久慈のように、思わず「なるほど…」と唸ってしまう読者もきっと多いことだろう。
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だが一方で、そのように恋愛をがっちりと理論で固めてその仕組みを粛々と展開していく阿加埜の挙動にはどこかシュールさも漂う。
何より阿加埜本人も非常にクールで冷静な、ともすれば馬鹿真面目な印象すら受けるヒロインだ。しかし彼女が久慈に関わろうとする理由を探ろうとすると、途端にその印象は一転する。
執拗に生物学部の顧問になることを迫られる中で、徐々に阿加埜の素性を知っていく久慈。そこで彼は思わぬ形で彼女の過去に触れることになるが、そこでも二人のシュールなすれ違いが発生し…!?
私たちヒトの恋愛を論理立てて説明し、時には悩みを解決するヒントにもなり得る“生物学”。それを鍵とする二人の関係もすっきり解決するのは、まだまだしばらく先のことになりそうだ。
文=ネゴト/ 曽我美なつめ