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東京帝大生が撮影した未曽有の災害 関東大震災のアルバム発見

防災ニッポン

崩れた家の周辺に人が集まっている写真には、<原田氏邸団子坂近クノ倒壊家屋>と説明書きがあります。写真からは、潰れた家屋から人を救出しようとする様子は見て取れません。写真につけられた「早ク潰レタ人ヲ引張り出セ」という記述は、孚さんの思いだったのかもしれません。

写真説明:倒壊した家の周りに、多くの人が集まっている様子(東京・団子坂付近)

孚さんはその後、肺結核を発症したとされ、大学を卒業した記録がないため中退したとみられます。その後、40歳でその生涯を閉じました。

孚さんの遺品は、妹の徳永しずえさんが長く保管していましたが、数年前、孚さんの弟の君島博次さんの長男、喜一郎さん(71)に譲り渡されました。喜一郎さんと妻の裕子さん(67)が遺品をあらためたところ、このアルバムが見つかりました。2023年が大震災100年だったことから、「何かの参考になれば」と読売新聞に情報を提供してくれました。

9月17日、被害が大きい横浜へ

都内の被害を見て回った後、孚さんは、「最も震災の被害が大きい」と耳にした横浜を9月17日に訪問したようです。

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写真説明:アルバムの1ページに書かれた、横浜までの行程。9月17日時点では、電車は横浜まで復旧しておらず、六郷川にかかる橋も歩いて渡ったとされている

アルバムには、品川から京浜電車で新小安まで行き、その先は徒歩で横浜に向かった、と記載されています。
小高い場所から、震災で起きた火災の被害を受けたとみられる街を見下ろした写真には、<横濵市を見下ス 所々ニ白イ煙ノ立チ昇ルハ大葬ノ煙カ><渺々(びょうびょう)タル焼野原>という説明がつけられていました。

「一般の人が記録のため撮影した写真は貴重」

関東大震災の被害や被災者の遺品などの収集・展示を行う東京都復興記念館(東京都墨田区)調査研究員の森田祐介さんは、「当時はカメラを所有する人は限られていました。一般の人が記録として撮影したとわかっている写真は少なく、貴重です」と話します。さらに、「几帳面な方だったのか、撮影場所がきちんと書かれている点も重要だと思います」とコメントしました。

喜一郎さんは、父から孚さんの話を聞いたことはほとんどなかったそうです。「孚さんと父は年齢が離れていたほか、祖父母が、期待していた長男である孚さんが結核で亡くなってしまったため、思い出したくなくて、弟たちにも話さなかったのかもしれない」と言います。

写真説明:孚さんのアルバムを見る君島喜一郎さんと裕子さん

孚さんの遺品はほとんど残っていないにもかかわらず、アルバムが関東大震災100年に近い時期に見つかったことについて、裕子さんは、「孚さんの『自分の生きた証しを残したい』という思いが、私たちにアルバムを見つけさせたような気がします」と話していました。

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