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先の見えない避難を経て芸能界へ 俳優・横田龍儀さん②

防災ニッポン

福島第一原発が水素爆発 家族と飼い犬で神奈川を目指す

各界で活躍する方々に防災についての取り組みなどを語っていただく「防災ニッポンボイス」。今シリーズは、俳優の横田龍儀さんです。横田さんは2011年、福島県川内村の自宅で東日本大震災に遭い、避難のため地元を離れました。2回めは、避難時の混乱した状況や、芸能界入りのきっかけなどについてです。

給油を巡りガソリンスタンドで怒号

自宅のあった福島県川内村から避難したのは、福島第一原発1号機で水素爆発が起こった翌日の3月13日だったと思います。
車に荷物を積み込み、両親と姉と僕と犬が乗って、神奈川を目指しました。

給油のため、近所のガソリンスタンドに寄ったら、車が大行列していた上、給油が一台10リットルまでに制限されていて、大人が「そんなんじゃどこにも行けねえだろ!」とか怒鳴り合っていました。仕方なく、そこでは10リットルだけ給油して、途中でさらに2回ぐらい給油しました。うちの車がいわきナンバーだったせいか、意地悪をされたりして悲しかったですね。

「働いて家にお金を入れよう」

避難先は、専門学校進学に伴って姉が春から住む予定だったアパートでした。僕は、高校がどうなるのかなど全くわからない状態で避難して、「高校なんて行っていられない。働いて、少しでも家にお金を入れたほうがいいだろう」と思っていました。神奈川に着いてまもなく、アルバイトも始めました。

両親「高校で好きなことをしろ」

震災から1か月ほどたった頃、福島の高校の担任の先生から連絡が来て、神奈川の高校に転入できると聞かされました。僕は行かなくてもいいと思ったけれど、両親は、「家のことは心配しなくていい。高校に行って好きなことをしろ」と言ってくれ、神奈川の高校に通うことになりました。

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写真説明:「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」の審査の時のことを振り返る横田さん

芸能界に興味…でも絶対無理

僕は子どものころから仮面ライダーが好きで、芸能界にも多少、興味がありました。ただ、被災した自分が、芸能界みたいな先の見えない仕事ができるのか?と考えると、絶対に無理だと思っていました。

「あんたの夢はその程度?」

高校で進路希望調査があり、友だちが目指すと言っていた調理師を自分も書いたら、普段は優しい母親が「あんたの夢ってその程度だったの?」と突き放したような冷たい口調で言いました。高校編入の時と同じように、「やりたいことをやればいい」と諭され、挑戦する覚悟ができました。

「ジュノン・スーパーボーイ」の最終審査に

僕の芸能界入りのきっかけは、「ジュノン・スーパーボーイ・コンテスト」での受賞です。応募は母が勝手にしていました。自分には無理だと思っていたけれど、一次審査通過の連絡が来て、「じゃあ頑張ってみるか」となりました。

当時は、候補者が100人まで絞られると雑誌の投票審査に変わり、数度の投票の結果、最終審査に10数人が残る仕組みでした。
僕は、福島の友だちに「オレ、雑誌に載るんだぜ」とめちゃめちゃ自慢していて、友だちも「雑誌買うよ」と言ってくれていました。母親も雑誌を大量に親戚に配って投票を頼んでいたので、最終に残れたのは福島の人たちのおかげだと思っています。

福島の人への感謝を込めて獅子舞披露

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