各界で活躍する方々に防災についての取り組みなどを語っていただく「防災ニッポンボイス」。今シリーズは、俳優の横田龍儀さんです。横田さんは高校1年生だった2011年、福島県川内村の自宅で東日本大震災に遭い、避難のため地元を離れました。初回は、被災時の状況などについてです。
「地面が落ちるような」衝撃
東日本大震災が起きた時、僕は高校1年生で、福島県川内村の自宅にいました。その日は入試があり、在校生は部活がある人以外は自宅学習でした。僕は所属していたボクシング部が休みで、自分の部屋にいたんです。
頻繁に緊急地震速報…またかと気にせず
そのころ福島では頻繁に緊急地震速報が鳴っていましたが、起きた地震はそれほど大きくなかったんです。その日も携帯から速報のブザー音が鳴ったものの、「またか」と思い、ほとんど気に留めませんでした。
重いタンスがすぐ隣に!
ただ、その日は違いました。速報からまもなく、ドン!と地面が落ちるような、経験したことのない衝撃がありました。
激しい揺れで、部屋に置いてあったものすごく重いタンスが、僕のすぐ脇にバタン!と倒れ、慌ててこたつにもぐり込みました。
実際には2分ぐらいだったのかと思いますが、体感では5分以上も揺れていたように思えました。家の神棚が落ちる音や、台所で皿やコップが割れる音、隣の家からの悲鳴などが聞こえて、「ああ、死ぬんだな」と思いました。
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写真説明:震災時のことを振り返って語る横田さん
目の前で道路が盛り上がって割れる
揺れがいったん収まり、父親から「危ないから外に出てろ」と言われて、飼い犬を抱いて姉と一緒に外に出ました。まもなく来た2回目の揺れでは、目の前で道路が盛り上がって割れました。「こんなふうに割れるんだ」と割と冷静に見ていたのを覚えています。
母親が仕事で外出していたので、携帯に20回ぐらいかけ続けて、やっとつながりました。大熊町の介護施設に勤めていて、「今日帰れるかどうかわからないから、パパにそう伝えて」と言われ、無事が確認できたので安心して電話を切りました。なのにそれからしばらくして、母親が帰ってきたので理由を聞くと、「急遽、自宅待機になった」と言っていました。
津波の映像…現実とは思えなかった
地震から数時間後だったと思いますが、電気が復旧したので、倒れていたテレビを起こしてつけたら、津波の映像が目に飛び込んできました。とても現実に起きていることとは思えませんでした。
「死んでいたかも」と母
母親が、「もしかしたら私、津波に流されて死んでいたかも」とぽつりと言い、改めてこの災害の大きさを感じました。
地震のために自宅は少し傾き、中はめちゃくちゃになっていました。ただ、父親は人が多い場所が嫌いだったし、飼い犬もいたので、避難所には行かず、とりあえず一部屋だけ片付けて家族全員が集まって寝ました。父だけはほとんど寝ずにテレビを見て、情報を集めていました。