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三島有紀子監督最新作『一月の声に歓びを刻め』に、高崎俊夫、西田宣善、関口裕子の三氏より、映画を読み解く奥深い批評がシネフィルに到着!

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映画監督の中には、普段より映画をたくさん見る人と、逆に見ない人がいる。監督になるような人だから、若い頃は、ある程度の映画ファンであるのは普通だろうが、自分が監督になってからは、映画を見なくなる人もかなりいる。逆に、監督になってからも、熱心に映画を見ている人もいる。根っからの映画好きなのだろう。三島有紀子監督は、普段から映画が好きで、今もかなりの数の映画を見ている。幼少期の頃から、大阪の名画座に通い、映画を見ていたという。新作『一月の声に歓びを刻め』には、映画好きらしく、彼女がこれまでに見てきた映画の様々な要素が紛れ込んでいる。

三島監督は、自らの最も好きな映画監督として、フランソワ・トリュフォと神代辰巳をあげている。新作では、どのような映画作家の作品の影響が見られるのだろうか。

例えば、テオ・アンゲロプロス。このギリシャの巨匠も、自然の中に佇む人間を多く描いてきた。『霧の中の風景』は、三島が大好きな映画だというが、洞爺湖編での冬の美しい水の描写は、アンゲロプロスと共通する美しさだ。

例えば、デイヴィッド・リーン。『アラビアのロレンス』で知られるイギリスの巨匠の名前を、好きな映画監督として三島はあげることも多い。本作の八丈島編。波が強く打ち上げられるシーンでは、リーンの『ライアンの娘』を思い出させる。

例えば、アンドレイ・タルコフスキー。ロシアの孤高の映画詩人も、三島に影響を及ぼしている。彼は、自身の原風景を映画で何度も描くすのだが、三島は大阪編では、生まれ故郷である堂島で撮影し、自らの原風景に対峙した。

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例えば、溝口健二。日本が生んだ世界的な巨匠は、自己のスタイル、長廻しを世界に浸透させたが、三島が本作で基調としているのも、長廻しである。大阪編で、前田敦子の口の周りに血がついた姿は、溝口の『祇園囃子』で客の舌を噛み切った若尾文子の唇についた血からのオマージュだろうか。

また、三島の製作スタイルも独特だ。自身の過去の辛い出来事をもとにした、個人的な想いのあるストーリーだが、前田敦子、哀川翔、カルーセル麻紀というスターたちに主人公を演じさせた。ここで思い起こすのは、フランスの著名な小説家、マルグリット・デュラスだ。映画監督としても数々の作品を遺した彼女の作品は、実験的な作品ばかりだ。だが、ジャンヌ・モロー、ジェラール・ドパルデュー、ビル・オジェ、デルフィーヌ・セイリグといったヨーロッパを代表するスターが出演した。これは、デュラスや三島の撮る映画ならば、きっと後世まで残る映画になるだろうという俳優たちの思いがそうさせたのだろう。映画作家の思いが、有力なキャストを呼び寄せて、名作を生む。これは映画の王道だろう。

さて、本作で私が最も近いと思う映画作家といえば、筆者はイングマール・ベルイマンだと思う。このスウェーデンの巨匠は、神と人間をテーマにして、人間の原罪をも描いてきた。三島は、本作で、「罪」をテーマに据える。前田敦子扮するれいこは、幼少の時、男からの暴行を受ける。彼女は、被害者である自身が、汚された自身が周りに及ぼす影響で、罪の意識を感じてしまう。神戸女学院で学んだ三島は、キリスト教の影響を受けている。これは、日本人の監督には珍しいことで、彼女の独自性を表している。

三島有紀子は、この映画を自主映画から出発させた。そこから始めて、3つの舞台、実力派俳優たちを揃えて、大きなスケールでの力作を発表した。このことは、インディーズの映画作家たちに大きな希望を与えるのではないだろうか。

おいしいものを食べたとき、祈りは込められる

関口裕子(映画評論家、編集者)

長靴で雪を踏みしめる音がスクリーンいっぱいに響く。その音は、気づかせてくれる。私たちが、におい、音、感触、味、映像の五感で記憶をする生き物なのだと。

三島有紀子監督『一月の声に歓びを刻め』は、北海道の洞爺湖の中島、東京の八丈島、そして大阪の堂島という、3つの島での物語を、三つの章に分けて描いている。そんな第一章・洞爺湖編で、ある女性の人生を日本の伝統料理「おせち」に語らせるアイデアに感服した。

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洞爺湖畔に向かって雪を踏みしめ、歩いていたのは、47年前にこの湖で幼かった娘れいこを亡くしたマキ(カルーセル麻紀)。道を尋ねるふりをして近づいてきた男に性的加害を受け、たぶん何かしらその影響なのだろう。れいこは亡くなった。マキを演じるカルーセル麻紀の歩みは、私たちの感情を激しく揺さぶる。

カンテラを持ち、彼女が夜明けの湖に出たのは、魚を捕まえるため。マキは、釣ったマスを昆布巻きに、干した大根をなますに、素手で割ったレンコンを酢レンコンにした。釣りも含め、彼女がしているのはおせちの準備だ。リンゴを使ってきんとんを作り、取ってきた松葉で黒豆を刺して正月飾りまで作る。ホタテ貝や数の子など近くで取れた食材を使って。

彼女は娘が亡くなったこの地から離れることなく生きようとし、また生きることに困難を感じる者には糧を提供しようとしてきたのだろう。生命力を感じさせる彼女の料理は、長いこと手を抜かずに調理をしてきたことを分からせてくれる。

マキの作るおせちは生きるための糧だ。そして、それは娘を失った痛みを片時も忘れずに47年を過ごした人間とその家族の、最後の晩餐でもある。マキにはもうひとり娘がいる。長女の美砂子(片岡礼子)、54歳。この正月も、夫と娘の3人で帰省してきた。孫である美砂子の娘はマキを「マキちゃん」と呼ぶが、美砂子は「父さん」と呼ぶ。かつてマキは、姉妹の父親だった。

美砂子は、積年の恨みを込めて嫌味を言う。昆布、黒豆、数の子、リンゴ――。マキの作るおせちは「れいこの好きなものばかり」だと。れいこの事件以降、自分はマキの意識外に追いやられてしまったと感じているのだ。

確かにれいこの死によって、マキの心は激しく苛まれたはずだ。たぶん、まだ事件の犯罪性をよく理解できずにいたれいこに、大声で「もういい!」といい、話そうとしていたことをさえぎったのだ。父親からの拒絶は、子どもにとって絶望でしかない。激しくうろたえたためにそう言ってしまったとしても、マキは悔い足りないだろう。しかし、だから美砂子への愛が変わったわけではない。マキはマキなりの方法で美砂子を愛してきた。彼女の好きなものも覚えている。でももうそれも伝わらない。最後の晩餐会はお開きになってしまったから。ただ「生きてほしい」という願いは、食とともに美砂子の腑に落ちたと思いたい。

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おせち料理にはさまざまな意味がある。語呂合わせの昆布巻きは「よろこぶ」、黒豆は「マメマメしく働く」、海老は「腰が曲がるまでの長寿」、レンコンは「先を見通す」など。現在ならハラスメントと言われかねない数の子の「子だくさん」などというのもある。

でもマキにとって重要なのは、語呂合わせで祝祭を彩ることではない。大切なのは、家族という考えの異なる人間に、生きる糧と食べる楽しみを提供すること。家族に、サーブし続ける人や台所に立ち続ける人を生み出さない形で。だからマキは、さまざまな料理の詰まった1人前のお重を、平等に人数分用意する。これが、マキが考えるおせち、家族のあり方だ。

それを、ダイニングテーブルを真上からとらえたアングルが表現する。食が多くを語る映画として『バベットの晩餐会』を思い出すが、『一月の声に歓びを刻め』の洞爺湖編のおせちはそれ以上に雄弁だった。おいしいものを食べたとき、話すことを自分に禁じた人々が語らずにいられなくなるのと、祈りが込められるのはどちらも同じ。食べるシーンが生み出すなんでもない台詞が、物語を醸成し続ける。

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かつて父親だったマキは、れいこの死をきっかけに性を変えた。ただし彼女が性別適合手術を受けた理由は、娘の死だけではないように思う。それは語られないが、マキはそれ以前から、出生時の性に違和を感じていたのではないか。だからこそ、れいこの事件を思い出すとき、男性器に許しがたい思いを感じるし、手術を受けたのではないか。

性的加害は、れいこの命を奪った。第三章・大阪堂島編に登場するれいこ(前田敦子)は、同じように幼少期に性的加害を受けるが、自分で自分の命を奪わぬよう耐えた。ただし、自己肯定感は奪われる。人を恋する未来も。淀川あたりを彷徨していたれいこは、レンタル彼氏を自称するトト・モレッティに声をかけられる。彼は声をかけた理由を「マイノリティの共鳴」だとれいこに告げる。当初、彼は揶揄しているのかと思ったが、たぶん彼自身もマイノリティだと感じているのだろう。

れいこはどんな恋をしてきたのだろう? 彼女が堂島に帰ってきたのは、5年前に別れた拓人の葬儀に出席するため。れいこの言う「すごく好きな人」が彼なのだとしたら、2人は一度もセックスすることなく別れている。それもひとつの愛の形。肌を合わせない愛もある。

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『一月の声に歓びを刻め』は、封印した記憶についての映画だ。なんらかのきっかけで感触がよみがえったとき、我々は、いつかは向き合わねばならない過去の痛みに連れ戻される。れいこは、拓人の好きだった映画『息子の部屋』の監督ナンニ・モレッティと同じ、モレッティを名乗る青年との出会いをきっかけに。いや、痛みを想起させたのは、横断歩道の点滅音、または事件の日に咲いていたピンク色の花なのかも知れない。

トト・モレッティは、盗み描きしたれいこの絵に火をつけ、ピンクの花をくべる。それがまるで荒ぶる魂を静めるお焚き上げのように感じられた。

マキは叫ぶ。れいこを肯定する言葉を。一面雪に覆われる洞爺湖の湖畔で。太陽が彼女を照らしている。打ち寄せる波の音が止まない。

人にはさまざまな愛し方がある。なかには相手に伝えない愛や、愛するがゆえに引いてしまう愛もある。本作は記憶についての映画であると同時に、そんな愛と名のつくものすべてを肯定しようとする映画だと感じた。いわゆるラブストーリーのハッピーエンドとは似ても似つかないが、マキが、れいこが、登場人物すべてが、ひとり静かに愛を抱えている。これはある種のハッピーエンドなのだ。特にラストのマキの慟哭は、観る者の愛をも肯定する力に満ちていた。

<STORY>
北海道・洞爺湖。お正月を迎え、一人暮らしのマキの家に家族が集まった。マキが丁寧に作った御節料理を囲んだ一家団欒のひとときに、そこはかとなく喪失の気が漂う。マキはかつて次女のれいこを亡くしていたのだった。それ以降女性として生きてきた“父”のマキを、⻑女の美砂子は完全には受け入れていない。家族が帰り、静まり返ると、マキの忘れ難い過去の記憶が蘇りはじめる。
東京・八丈島。大昔に罪人が流されたという島に暮らす牛飼いの誠。妊娠した娘の海が、5年ぶりに帰省した。誠はかつて交通事故で妻を亡くしていた。海の結婚さえ知らずにいた誠は、何も話そうとしない海に心中穏やかでない。海のいない部 屋に入った誠は、そこで手紙に同封された離婚届を発見してしまう。
大阪・堂島。ほんの数日前まで電話で話していた元恋人の葬儀に駆け付けるため、れいこは故郷を訪れた。茫然自失のまま歩いていると、橋から飛び降り自殺しようとする女性と出くわす。そのとき、「トト・モレッティ」というレンタル彼氏をしている男がれいこに声をかけてきた。過去のトラウマから誰にも触れることができなくなっていたれいこは、そんな自分を変えるため、その男と一晩過ごすことを決意する。
やがてそれぞれの声なき声が呼応し交錯していく。

【三島有紀子監督 インタビュー】& 予告

出演:前田敦子、カルーセル麻紀、哀川翔 坂東龍汰、片岡礼子、宇野祥平 原田龍二、松本妃代、⻑田詩音、とよた真帆

脚本・監督:三島有紀子
配給:東京テアトル

© bouquet garni films

公式 X:@ichikoe_movie /公式 Instagram:@ichikoe_movie

テアトル新宿ほか全国公開中!

映画『一月の声に歓びを刻め』オフィシャルサイト

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