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東京国立博物館 特別展「本阿弥光悦の大宇宙」

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金蒔絵の箱なのだからこの金属の帯もやはり貴金属の銀で、経年に伴う酸化作用で黒くなっているのかと思えばそうではない。

なんと、ただの鉛だ。

国宝 舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵

黒々とした鉛のぶっきらぼうな金属感と、大胆に断ち切られた縁の荒々しさは、「黒楽茶碗 銘 時雨」の美学に通じ、金属や物質はその社会的な貴賤の意味づけを超越して、土の楽茶碗があたかも刀の鋼鉄のような存在感を放っているように、鉛と金はそれぞれに物質そのものの特性が美へと昇華される。

国宝 舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵

広告の後にも続きます

貴金属の金を地、いわばただの背景にして、ただの鉛を主役として際立たせる発想はあまりに大胆で、華麗な金蒔絵の硯箱でもこの直前・桃山時代の、成金趣味と言われそうな贅沢さを見せつける意識は、完全に払拭される。

そんな地の部分、背景に見えていた金地は、写真では見づらいというか教科書の図版程度ではほとんど再現されないが、緻密な装飾紋様で埋め尽くされている。

波と、三艘ほどの小舟だ。

国宝 舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵

上蓋の全面には、平安時代にまで遡る「葦手」の、文字を絵に織り込む手法で、

  「東路の 佐野の舟橋 かけてのみ 思いわたるを 知る人ぞなき」
                  (源等、「後撰和歌集」)

という和歌の語句が、上の句を鉛の帯の上に、下の句のうち「思いわたるを知る人ぞ」がその黒い帯の上の金地に、末尾の「なき」が下に書かれている。

ところがつなげて読もうとすると、上の句のうち「舟橋」の二字がない。

「舟橋」とは現在ではほとんど見かけないが、江戸時代まではよくあった即席の橋で、川を横切るように舟を並べてその上に板を敷く浮き橋のことだ。水中に頑丈な橋脚を立ててその上に橋桁を並べて板を敷く橋よりも遥かに手っ取り早い。この硯箱のモチーフ自体がつまりは舟橋で、無骨でありながら紛れもない鋭利な洗練を見せる鉛の帯は、並べた舟の上に渡された橋の板を表していたのだ。

上蓋自体が舟橋なのだから書くことはない、絵を読め、という遊び心に溢れた趣向なわけだ。

国宝 舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵

刀研ぎと刀剣鑑定の最高権威一族から出現した天才

重要美術品 短刀 銘 兼氏 金象嵌 花形見 志津兼氏 鎌倉〜南北朝時代・14世紀
町人階級であっても武士に準ずる家格だった光悦が所持していた指料と伝わる短刀

もっとも、本阿弥光悦の美意識に武人のようなシャープさ、殺気にさえ通じる研ぎ澄まされたなにかを感じるのは、小説「宮本武蔵」に触発された妄想だけでもないだろう。俵屋宗達との書と絵の共作が琳派の誕生を導くなど、江戸時代に華開く町人文化の祖のような光悦は確かに町人だったが、武家と深い関わりを持ち、武家の文化の中でも中核の、肝心要の要素のもっとも重要な担い手でもあった。

桜山吹図屛風 色紙: 本阿弥光悦 屛風: 俵屋宗達 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵

というのも本阿弥家の家業、光悦のいわば「本業」は、刀剣研磨の研師にしてもっとも権威ある鑑定人の一族だった。町人であっても家格は武家に準じ、武家のような二本差しではなくとも帯刀も許されていた。そんな光悦が自ら所持した差料と伝わる短刀 銘「花形見」がその洗練されたシャープさを、本展の最初の展示室の中央からから発散している。

戦国時代には武器の需要の高まりから大量の刀が作られたはずだが、武将・大名たちはそんな新造の刀との差異化を図るためか、平安時代や鎌倉時代にまで遡る古い刀をステータスシンボルとして所持することを好み、贈答品としても活用した。

国宝 刀 無銘 正宗(名物 観世正宗) 相州正宗 鎌倉時代・14世紀 東京国立博物館蔵

だが刀剣はあくまで実用の武器でもあり、古く由緒正しい名刀の刀身でも、戦闘形態の変化に応じて長さを縮めたりする必要があった。鎌倉時代の太刀は騎馬の一騎打ちで使われるため長く重かったのが、戦国時代に必要だったのは白兵戦を前提にしたより短く軽量化した刀で、持ち方も刃を下にして吊るす太刀の拵えではなく、刀を鞘から抜く動作のまま敵に振り下ろせるように、刃を上、峯を下にして腰に差す「打刀」が一般化する。

写真の正宗の名刀「無銘 正宗(名物 観世正宗)」には、茎(なかご)に柄(つか)を装着する際に固定する目釘の穴が二つある。茎を切って刀身だった部分を茎にして、長さを変えたためなのだが、この茎に作者の名前などの銘があってもこうした改造の際に削られてなくなってしまうので、誰が作った刀なのかが分からなくなってしまう。

国宝 刀 金象嵌銘 城和泉守所持 正宗磨上 本阿(花押) 相州正宗 鎌倉時代・14世紀 東京国立博物館蔵

この写真の、また別の正宗の名刀も、おそらく太刀だったものを短くして打刀に改造したもので、その過程で茎に彫られていた銘がなくなってしまった代わりに、金の象嵌で新たな銘が付けられていて、鑑定したのが本阿弥家の当主であることの証明に「本阿」の2文字と花押(サイン)も象嵌されている。

国宝 刀 金象嵌銘 城和泉守所持 正宗磨上 本阿(花押) 相州正宗 鎌倉時代・14世紀 東京国立博物館蔵
銘文の末尾に「本阿」、その下に本阿弥家の花押も金象嵌で刻印されることで、本阿弥家が正宗の作と鑑定したことが保証されている。

由緒ある古刀が高価な贈答品にもなれば、当然のことながら偽物が作られたり作者や由緒を偽って値を釣り上げることも横行するだろう。そこで重要になるのが、刀身の形や表面の質感、刃文のパターンなどから作者を見極める鑑定や、古今の刀鍛冶やその流派の特徴を整理して優劣を格付けることで、安土桃山時代から江戸時代にかけてその最高権威を担ったのが本阿弥家だった。

重要美術品 短刀 銘 来国次(名物 鳥飼来国次) 来国次 鎌倉時代・14世紀 兵庫・黒川古文化研究所蔵

武人が着飾り、武器にも実用性と同時に美意識も探求するのは洋の東西や文化圏を超えた、日本に限ったことではない事象だが、普段は鞘に収まって目に触れることがない刀身の美を追及したのは日本の武士に独特の文化だろう。

武器がここまでの深い哲学性すら帯びた芸術として受け入れられた文化圏は他にはちょっと稀だろうし、そんな文化の深化に最も寄与したのが、本阿弥家だったと言える。

折紙 江戸時代・宝永2(1705)年 兵庫・黒川古文化研究所蔵
上の写真の「名物 鳥飼来国次」を本阿弥家宗家13代・光忠が極めた鑑定書。こうした本阿弥家の鑑定書「折紙」と呼ばれ、慣用句の「折紙つき」の語源にもなった。

元々は実用性の観点から切れ味と折れない強靭さの双方の、金属器としては本来相矛盾する機能を最大限追求した(切れ味を追及すれば硬度を増すことになるが、そうすると柔軟性がなく強い衝撃で折れてしまう)のであろう刀作りが、あまりに緻密で洗練された工程を経るようになった結果、鉄の質感の醸し出す人為と自然科学現象の偶然性がせめぎ合う美への意識が極端なまでに発達したのが、日本刀の芸術だ。

刃の部分に肝心の切れ味を確保するための硬さの一方で、折れないための強度と弾性を高めるように、何度も何度も鉄を折り重ねては叩いて伸ばしてまた折り曲げて重ねる工程を繰り返す。そのため磨き上げると無数の鉄の層の重なりが、表面に微細で複雑な質感となって浮かび上がる。

国宝 短刀 銘 備州長船住長重 甲戌 長船長重 南北朝時代・建武元(1334)年

刃には、鍛造の最終段階で切れ味を高めるために焼きを入れる際に泥を塗って(土置き)、熱伝導を調整するのだが、その塗り方によって様々な刃文を焼き込むことができるのも、日本刀の重要な見どころであり、もっとも目につく個性だろう。

そうした鉄の質感そのものに織りこまれた美しさや個性、刀工の作為と鉄の自然現象のせめぎ合いから産まれる微細な紋様や輝きの変化を最大限に引き出すのが研師の仕事で、そこから真贋を判定したり美に叙階を設ける鑑定の権威として、天下人となるような武家の権力者たちに重用されたのが本阿弥家だった。

今回出品されている中でも屈指の傑作である、国宝に指定されている長船長重の「短刀 銘 備州長船住長重 甲戌」(「甲戌」という干支は刀が打たれた年を表す)は、恩賞の領土の代わりとして刀剣を与えることを政治的手段として巧みに活用した豊臣秀吉にとって欠かせない存在になった本阿弥光徳が、その秀吉から贈られた。光徳は光悦の叔父にあたる。

国宝 短刀 銘 備州長船住長重 甲戌 長船長重 南北朝時代・建武元(1334)年
光悦の叔父・本阿弥光徳が豊臣秀吉から拝領した名刀。秀吉は恩賞の代わりに家臣に刀を授けることが多く、本阿弥家の鑑定による権威付を非常に重宝した。

太刀や打刀のような長い刀の反りは、刃と峯で鉄を冷やした際の収縮率を変えて、峯の側に引っ張られて刃が曲線になるのだが、これは刀を振り下ろす動きがそのまま手前に引く運動に変換されることでよく切れることを狙った工夫であると同時に、どのような美しい曲線を描くのかは鉄の特性を熟知した刀鍛冶の計算と、鉄を一瞬に冷やした際の偶然性の微妙なせめぎ合いによって決まる。

刀 金象嵌銘 江磨上 光徳(花押)(名物 北野江) 郷(江)義弘 鎌倉〜南北朝時代・14世紀 東京国立博物館蔵

この上品な、緩やかな反りの曲線を描く刀を作った郷義弘(江義弘)は、本阿弥家が評価したこで格が高まった刀工だ。目釘の穴が三つ開いていて、そもそも磨上で刀身の長さを変えていることから、様々に刀装を変えて使い続けられて来たことが分かる。

金象嵌で刻まれた銘の署名と花押は本阿弥光徳のものだが、「江磨上」という銘文は、書家としても名高い光悦の筆と伝わる。

刀 金象嵌銘 江磨上 光徳(花押)(名物 北野江) 郷(江)義弘 鎌倉〜南北朝時代・14世紀 東京国立博物館蔵

またここで写真は紹介できないが、本展には徳川家康から尾張徳川家に伝わった名品中の名品の、「短刀 銘 吉光(名物 後藤藤四郎)」も出品されている(愛知・徳川美術館蔵)。やはり家康が所持していた東京国立博物館所蔵の短刀、「名物 厚藤四郎」と並び立つ、短刀の名手・粟田口吉光(鎌倉時代13世紀の京都・粟田口で活躍した刀工。通名が藤四郎)の最高峰にして、鍛え抜かれた鉄のオブジェとしての日本刀の美が凝縮された逸品だ。

埋忠銘鑑 江戸時代・安政3(1856)年 東京国立博物館蔵

まあ刀の、多様で複雑な鉄の質感の魅力というのは本物を、刀身を動かすかこちらが動いて視る角度を変えることで光の反射に浮かび上がる移ろいを肉眼で見ないと、本来わからないものだ。写真ではしょうがないので、ぜひ会場で現物をじっくりと、上から、下から、斜めから、視点を動かし光の反射の移ろいに注視して、ご覧ください。

国宝 刀 金象嵌銘 城和泉守所持 正宗磨上 本阿(花押) 相州正宗 鎌倉時代・14世紀 東京国立博物館蔵

刀 金象嵌銘 江磨上 光徳(花押)(名物 北野江) 郷(江)義弘 鎌倉〜南北朝時代・14世紀 東京国立博物館蔵

国宝 短刀 銘 備州長船住長重 甲戌 長船長重 南北朝時代・建武元(1334)年

こうした刀の、鉄の質感が生み出す個性をくまなく観察し、研師として全身の力を込めてその物質的な存在に内在する美を引き出し、その一本一本の刀を使い手の武士たち以上に密接に知り尽くし、間近に見て学び続けたことで鍛えられた観察眼と感受性が、本阿弥光悦という稀代の美術家にして美術プロデューサーを生み出した根底にあったのは間違いないだろう。

またこの展覧会は冒頭で刀剣をまず見せることで、素材の質感や微妙な反射、陰影、曲線の美などのデリケートなディテールに至るまで敏感になるように、我々の美意識を準備してもいる。

重要美術品 短刀 銘 兼氏 金象嵌 花形見 志津兼氏 鎌倉〜南北朝時代・14世紀

つまり、刀剣とは刀工の作為の塊であると同時に、鉄という素材そのものの最も純粋な姿が物理化学反応によって具現化したものでもある。

その作為はあくまで鉄という素材と高熱のせめぎ合いの偶然性を見極めることで、金属を美しきオブジェに変換するための複雑な作業の手順ひとつひとつに他ならず、刀は武器という実用品、はっきり言えば殺人の道具であると同時に、その意味性を超越した純然たる美しきフォルムと鉄そのものの質感を堪能するオブジェでもある。

重要美術品 短刀 銘 兼氏 金象嵌 花形見 志津兼氏 鎌倉〜南北朝時代・14世紀
(右・刀装)刻鞘変り塗忍ぶ草蒔絵合口腰刀 江戸時代・17世紀
本阿弥光悦自身が所持した指料と、その拵え

光悦が生きたのがまた、刀剣が武器を超えた意味性を変遷させて行った決定的に特殊な時代だ。戦闘の主力が刀や槍、弓矢から鉄砲に急激に移行した安土桃山時代に、実戦での役割が減じた刀剣とその周辺文物の美術的な権威権力の象徴としての価値は逆に高まったのだ。

続けて泰平の江戸時代の訪れとともに、刀剣そのものが実用で武器として使われることはほとんどなくなる。

たとえば刀装(拵え)も、戦国時代の実用本意に留まる必要も、もはやなくなった。

重要文化財 柏樹文鐔 銘 埋忠明寿 埋忠明寿 安土桃山時代・16世紀 東京・宝永堂蔵
本阿弥家と関わりが深い京の金工・埋忠家の中心人物、明寿による、真鍮に銅を象嵌して磨き上げた刀装の鐔

時代の転換期に突如出現した新しい美と洗練と〜光悦蒔絵の世界

光悦がそんな時代の大転換機に刀剣鑑定で活躍したことは、刀剣の文化とその芸術にとっても、光悦自身の刀剣の周辺に留まらない創作の飛躍にとっても、とても重要なことだったように思われるし、それは刀剣とその原料であった鉄に留まることでもないのかも知れない。

国宝 舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵

舟橋蒔絵硯箱で金蒔絵を無骨に横切る鉛は、戦国時代後期に鉄砲の弾丸の原料として急速に需要が高まった金属だ。長篠の合戦では織田=徳川軍が用いた鉄砲の弾丸はタイ産の輸入品だったことが近年の研究で明らかになっているし、徳川家康はそのずっと前、三河を平定した時に鉛の鉱山も掌握していた。戦国時代には10万丁とも20万丁とも言われる鉄砲が日本にはあったようだが、江戸時代の到来でその鉄砲も、鉄砲に使う鉛の弾丸も、需要が激減した。

(刀装)刻鞘変り塗忍ぶ草蒔絵合口腰刀 江戸時代・17世紀

写真は光悦自身が所持したと伝わる「短刀 銘 兼氏 金象嵌 花形見」の拵え(刀装)だ。武家ではなく上級町人の指料だけに、実用性の追及はことさら必要もなかったことだろう。

もっとも、デザインの元になっているのは本来は実用本意で鞘に革紐や頑強な植物の蔓などをびっしり巻き付けて強度を高めた弦巻の拵えで、その形を模しつつ意味性を換骨奪胎した艶やかな漆塗りに、繊細な蒔絵で植物の文様が施されている。

重要美術品 刀絵図 埋忠寿斎 筆 江戸時代・元和元(1615)年 

鑑定士としての本阿弥家の仕事には、埋忠家などの刀装を担当する職人の協力もまた不可欠だった。「花形見」の刀装の製作に光悦自身が関わったかどうかは不明だが、日常的に外出時に持ち歩く指料なのだから、本人の趣味・美意識に沿ったものなのは確かだろう。

一方で光悦の創作は、そうした刀剣関連に留まらず、近世の工芸全般、とくに漆芸・蒔絵に大きな足跡を遺した。

重要文化財 花唐草文螺鈿経箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 京都・本法寺蔵

光悦が直接に製作した漆工芸の作品はそう多数伝来しているわけではなく、いわば「真作」と確定しているもので今回展示されているのは舟橋蒔絵硯箱(国宝)と、京都の日蓮宗寺院・本法寺に寄進した経巻の入れ物である花唐草文螺鈿経箱(重要文化財)の2点だが、「伝本阿弥光悦作」とされて来た作品は多々あり、江戸時代初期の漆工芸、蒔絵の工芸に最も大きな足跡を遺した。

重要文化財 芦舟蒔絵硯箱 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵

書家として桃山時代から江戸時代初期にかけてのきっての名筆でもあった光悦だけに、光悦蒔絵にも筆記具を収める硯箱が船橋蒔絵硯箱を筆頭に数多く、かつ最も特徴的だ。

フォルムは旧来の四面四角な箱から大胆に逸脱し、この芦舟蒔絵硯箱ならばまず極端に薄い。角は丁寧な丸みを帯びて処理され、上蓋は緩やかな曲線で微妙に盛り上がっている、その全体のフォルムの与える印象のモダンさ、簡潔なエレガンスは、現代のプロダクトデザインにまるで引けを取らない。

漆に繊細な金蒔絵を施して伝統技術の粋を見せながら、そこに無骨なまでにゴツゴツした立体感を残して整形された長細い銀の塊が闖入するかの様に対角線状に画面を横切って、朽ちた芦舟(木材ではなく長い芦の茎を束ねて内側を広げて小舟としたもの)を表している。

書状 新兵衛尉宛 本阿弥光悦 筆 奈良・大和文華館蔵【展示期間終了(2月12日[月・休]まで)】
漆工芸の工房に宛てた光悦の書簡

洗練されたフォルムの箱と繊細で気品のある高度な技術と、違和感たっぷりに対比される金属そのものの存在感。

だがその全体が、なんとも言えぬ寂寥感を漂わせながら、洒脱な造形の華麗さはまったく失われない絶妙なデザイン・センスは、舟橋蒔絵硯箱を斜めに横切る大胆な鉛の帯の存在感にも通じる。

国宝 舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵

こうした「光悦蒔絵」と呼ばれる独特の美学を反映した作例は数多く、そのほとんどは光悦自身の助言や指導の下に作られたか、光悦の関わった工房でその強い影響下に作られたと考えられている。

重要美術品 忍蒔絵硯箱 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 

丸みを帯びた蓋や丁寧に面取りされたコーナーなどは、木材の加工段階から高度な技術が要求され、豪華な金蒔絵で緻密な図柄を表すなど、とても贅沢なものだが、その贅沢さを誇示するようには決して見せないところが、光悦蒔絵の真骨頂だろう。

蓋の裏にまで絵柄や装飾を配すること自体は伝統的な硯箱でも珍しいことではないが、この忍蒔絵硯箱はその蓋裏にも表と同じ忍草の文様をびっしり敷き詰めつつ、そこを鉛の黒ウサギと螺鈿の白ウサギが描かれている。

重要美術品 忍蒔絵硯箱 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵
蓋の裏に螺鈿で埋め込まれた白ウサギ。

こうした図柄の選択を含めてモチーフになっているのは「古今和歌集」の

   「みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに みだれむと思ふ 我ならなくに」

という源融(みなもとのとおる)の歌で、蓋の中央には大胆に、上の句の末尾の「たれゆゑに」という言葉が仮名ではなく漢字の当て字で、埋め込んだ鉛の立体的な文字で配されている。

ウサギの図様は源融をモデルにした謡曲「融」で、その霊魂が月に住むという言及があることから、月→ウサギ、という連想だろう。

重要文化財 舞楽蒔絵硯箱 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 

船橋蒔絵硯箱でも「後撰集」の歌が取り入れられているが、このように「光悦蒔絵」では平安時代に遡る和歌などの古典や、能楽の謡曲を題材にしていることが多い。

『源氏物語』などの古典文学的なモチーフを生活用品でもある工芸品に持ち込むこと自体は、日本の文化の中でそう新しいことではない。だが光悦蒔絵では題材の解釈が捻りが効いた遊び心に満ちて、戦国時代が終わって文化にゆとりが出来た時代のインテリ趣味を絶妙にくすぐりつつ、そのモチーフの図像化が斬新で、大胆だ。

左義長蒔絵硯箱 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 

解釈と切り取り方の感覚の新しさはまた、元になった物語性を踏まえなくても強烈に印象的で、400年近く経った今でもまったく色褪せてない。洗練された蓋の膨らみとコーナーにラウンドをとったフォルムがいかにも美しい左義長蒔絵硯箱の「左義長」とは、宮中で古くから行われていた火の祭だが、この祭礼で使われる道具などを大胆なアップで切り取ってデザイン化した意匠を、金、銀、錫などの金属で盛り上げた半立体的な表現で配している。

モチーフによっては元の意匠がなんなのか判然としないほど大胆に部分的に切り取られ、フォルムの意味性が換骨奪胎されてその物質性が解放される感覚は、20世紀西洋絵画のキュビズムの実験を300年ほど先取りしたものにも思える。

左義長蒔絵硯箱 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 

そういえばキュビズムの実験の最盛期になった第一次大戦直前の時代、ピカソやブラックは画面に新聞紙を貼り込んだり、絵の具に砂を混ぜて立体的な質感を与える実験を繰り返していたが、「光悦蒔絵」における金属素材の使い方には、その実験性に相通じるものを読み取れはしないか?

重要文化財 扇面鳥兜蒔絵料紙箱 江戸時代・17世紀 広島・滴翠美術館蔵

重要文化財 子日蒔絵棚 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 

重要文化財 子日蒔絵棚 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 

重要文化財 子日蒔絵棚 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 

斬新さを支えた古典的教養と信仰

そんな大胆で斬新なデザイン性と比べると、光悦の「真作」と確定していて、制作年代が記録から確定しているため基準作にもなる重要文化財・花唐草文螺鈿経箱は、絶妙なバランスですっきりとした端正な作りとはいえ、オーソドックスな四面四角の漆塗り全面に草花の文様を散らした、保守的な作風に見える。

重要文化財 花唐草文螺鈿経箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 京都・本法寺蔵

たとえば子日蒔絵棚では立体的に盛り上げられた扇のモチーフが大胆に天板からはみ出して直角に折れ曲がっていたりするが、花唐草文螺鈿経箱の螺鈿装飾は、それぞれの面にきっちり収まっている。この箱がはっきり光悦作と確定できるのは、菩提寺である本法寺に自ら寄進した法華経のための容器で、自筆の寄進状などの記録が残っているからだ。

漆塗りで全面に草花を図像化した金蒔絵や螺鈿の宝相華文で貴重な経巻を納める箱を飾るのは、平安時代に遡る古典的な約束事だ。

中に納められていたのは、紫の染料で染めた紙に金泥(金粉をにかわで溶いたもの)で書写された、平安時代の装飾経だ。平安時代の名筆・小野道風の筆になるとして伝来し、光悦が入手して本法寺に寄進した。

重要文化財 紫紙金字法華経幷開結 平安時代・11世紀 京都・本法寺蔵 ※会期中部分巻替えあり

重要文化財 寄進状(紫紙金字法華経幷開結付属) 江戸時代・17世紀 京都・本法寺蔵

その寄進状の書体がまた、この法華経が小野道風の筆と伝わっていたことに合わせて、光悦の書体も道風を意識したものになっている。

重要文化財 紫紙金字法華経幷開結 平安時代・11世紀 京都・本法寺蔵 ※会期中部分巻替えあり

重要文化財 紫紙金字法華経幷開結 平安時代・11世紀 京都・本法寺蔵 ※会期中部分巻替えあり

保守的に見える花唐草文螺鈿経箱は、そこに納める経巻の由来・格式に合わせて意図的に古風な形式を踏襲したものなのだ。大きめの螺鈿をダイナミックに配し、円を基調に抽象図案化された花を優雅な円弧の曲線で結ぶ典雅なデザインが秀逸だ。

重要文化財 花唐草文螺鈿経箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 京都・本法寺蔵

重要文化財 花唐草文螺鈿経箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 京都・本法寺蔵

小野道風の筆と伝わる法華経を菩提寺の本法寺に奉納したところには、「古今和歌集」などの平安時代の和歌が「光悦蒔絵」のモチーフになっていることにも共通する、光悦の古典伝統への憧れと深い造詣が見て取れる。

本阿弥家が所持して来た「古今和歌集」の写本の断簡、通称「本阿弥切」も、小野道風の筆として伝来したものだ。

重要美術品 古今和歌集断簡(本阿弥切) 伝 小野道風 筆 平安時代・11-12世紀 京都・本法寺蔵 【展示期間終了(2月12日[月・休]まで)】

京都・本法寺と日蓮宗信徒としての本阿弥光悦の仏教美術

重要文化財 花唐草文螺鈿経箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 京都・本法寺蔵

京都市上京区の本法寺は法華教・日蓮宗の本山で、檀家・門徒として知られるのは光悦ら本阿弥家に留まらず、楽茶碗の樂家や、安土桃山時代の絵師・長谷川等伯とも深い関わりがある。

京都市上京区・本法寺

寺宝としてとりわけ有名なのが、その長谷川等伯の高さ10mもある巨大な「涅槃図」だが、光悦ゆかりの寺宝もこの法華経や花唐草文螺鈿経箱など多々あり、また本堂の扁額も光悦の筆だ。

本法寺 本堂扁額 本阿弥光悦筆 江戸時代・17世紀 ※本展には出品されていません

当時に屈指の名筆として知られた光悦は、本法寺以外にも江戸における日蓮宗の中心寺院・池上本門寺などの扁額も揮毫している。

扁額「本門寺」 本阿弥光悦筆 江戸時代・寛永4(1627)年 東京・池上本門寺蔵

扁額「妙法花経寺」 本阿弥光悦筆 江戸時代・寛永4(1627)年 千葉・中山法華経寺蔵

また本法寺の書院・客殿の庭も光悦のデザインした「巴の庭」だ。

本法寺 書院庭園『巴の庭』本阿弥光悦作庭 江戸時代・17世紀

実はもう一人、日蓮宗の信徒で本法寺と所縁の深い芸術家がいることに、この庭を見て気づかれる読者がいるかもしれない(なにしろ本サイトの専門は映画なので)。溝口健二の最高傑作のひとつ『西鶴一代女』で、田中絹代のお春が宇野重吉演ずる夫の死後、出家しようと身を寄せる尼寺のシーンが、まさにこの庭だ。

溝口のことだから確実に光悦のことも意識しての選択だろうが、一連の尼寺のシーンではお春が寺を離れる庫裡も本法寺の庫裏だし、プロローグと最終盤の夜の寺のシーンも一部は本法寺でロケされている。

本法寺 書院庭園『巴の庭』本阿弥光悦作庭 江戸時代・17世紀

写真は春なので季節外れなのだが、『西鶴一代女』では夏のシーンで、細長い石で囲われた池には蓮が咲いている。その手前の円盤状の石は、横方向に一本の線が入っている。つまり円形によって日輪を表し、かつ線が横切ることで漢字の「日」にもなっていて、蓮池と合わせて「日蓮」の名を表しているのも、光悦蒔絵にも通じる洒脱な視覚的言葉遊びだ。

本法寺 書院庭園『巴の庭』本阿弥光悦作庭 江戸時代・17世紀

溝口も日蓮宗の熱心な信者で、『西鶴一代女』でヴェネチア映画祭に招かれた時には受賞を願ってホテルに閉じこもって一心不乱に「南妙法蓮華経」と唱えていたらしいが、光悦の信仰の熱心さはさらにその上を行くものだったことがうかがわれる作品が、この展覧会に出品されている。

日蓮のもっとも重要な著作「立正安国論」など日蓮宗の重要な文献の、光悦自身の手になる写本だ。

重要文化財 立正安国論 本阿弥光悦筆 江戸時代・元和5(1619)年 京都・妙蓮寺蔵

重要文化財 始聞仏乗義 本阿弥光悦筆 江戸時代・元和5(1619)年 京都・妙蓮寺蔵

光悦がこうしたテキストを書写していたことの教義上・信仰的な重要性はもちろん、まっさきに印象的なのはその視覚的な美しさだ。

遠目に全体を見るのは、内容を読解しようとするなら意味はないことだろうがそれでも、遠目にも文字の大小や線の太さの絶妙な配置がいかにもリズミカルで、テキストの内容や意味性を度外視して、まず思わず惹きつけられてしまう。

重要文化財 立正安国論 本阿弥光悦筆 江戸時代・元和5(1619)年 京都・妙蓮寺蔵

重要文化財 立正安国論 本阿弥光悦筆 江戸時代・元和5(1619)年 京都・妙蓮寺蔵

日蓮道歌 本阿弥光悦筆 江戸時代・元和5(1619)年 京都・樂美術館蔵

光悦の書と書画の共演・俵屋宗達と本阿弥光悦

重要文化財 法華題目抄 本阿弥光悦筆 江戸時代・17世紀 京都・本法寺蔵  ※会期中巻替えあり

光悦が書写した日蓮宗の理論書などの仏教文献は、その性質からして装飾性のある料紙などは用いられず、ただ白い紙と墨の黒の文字だけなのに、なんと華やかなことか。読むよりもまず(というか漢文でもあり現代人には読解はなかなか難しい)その視覚的な美しさに目を奪われてしまい、見飽きない。

重要文化財 法華題目抄 本阿弥光悦筆 江戸時代・17世紀 京都・本法寺蔵 ※会期中巻替えあり

重要文化財 法華題目抄 本阿弥光悦筆 江戸時代・17世紀 京都・本法寺蔵 ※会期中巻替えあり

文字が判読できないほどの距離から見ても、逆に文字としての意味性を判別できないからこその濃淡の自在でリズミカルな配置に、思わず目を奪われてしまう。

重要文化財 如説修行抄 本阿弥光悦筆 江戸時代・17世紀 京都・本法寺蔵

重要文化財 如説修行抄 本阿弥光悦筆 江戸時代・17世紀 京都・本法寺蔵 ※会期中巻替えあり

文字は意味伝達の機能を超えて線の太さと細さ、墨の濃淡、人間の手による筆使いの運動性を反映した直線と曲線の純然たるフォルムの美しさに輝く、そんな自在で闊達な光悦の書の華やかで装飾的な世界は、こと下絵のある紙に和歌を書写した作品で最大の魅力を発散する。

蓮下絵百人一首和歌巻断簡 本阿弥光悦筆 江戸時代・17世紀 東京・サントリー美術館蔵【展示期間終了(2月12日[月・休]まで)】

「蓮下絵百人一首和歌巻」は百人一首の全百首を蓮を描いた紙の上に書写した長大な大作だったはずだ。関東大震災で半分以上が被災し、現在は断簡の形で各所に分蔵されている。上の写真では鉛色に描かれた蓮は蕾の状態だ。

蓮とその生命のサイクルは、法華宗・日蓮宗において特別な意味を持つ(宗祖・日蓮の名に「蓮」の字が入るだけでなく、特に重視された法華経の「法華」つまり仏法の花とは、蓮だ)はずだ。断簡の状態では絵の連続性が失われてよく分からなくなってしまうが、今回の展示で各所に分けて所蔵されていたものが並べて見られると、下絵自体の持っていたストーリー性が見えて来る。

蓮下絵百人一首和歌巻断簡 本阿弥光悦筆 江戸時代・17世紀
左)京都・樂美術館蔵

つまり、鉛で描かれた蓮は蕾だったのが花開き、満開になり、やがてその花弁が散っていく。

蓮下絵百人一首和歌巻断簡 本阿弥光悦筆 江戸時代・17世紀 京都・樂美術館蔵

「百人一首」は平安時代の栄華が終わり武士の時代が到来した、承久の乱の後の鎌倉時代に、藤原定家が和歌の歴史の名作100首を選んでまとめたものだ。蓮の花の一生の絵は定家が選んだ100の和歌の内容と直接の関係がない、別のストーリーを語っているはずが、光悦ならではの視覚的にリズミカルな書と同じ画面に融合した時に、歌の内容それ自体の意味性と、蓮の一生という意味性を超越した何かが、例えば栄枯盛衰と失われてしまった美しい過去を懐古する選者・定家の物語が、そこに生まれていはしないだろうか?

摺下絵千載和歌巻 本阿弥光悦筆 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵

「摺下絵千載和歌巻」は色とりどりに漉いた紙を貼り合わせた巻物に書写されている。こうした巻物は平安時代にも見られるもので、光悦の古典と王朝文化への崇敬がよく現れている。

摺下絵千載和歌巻 本阿弥光悦筆 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵

近づいて、角度を変えて見ると紙に雲母を漉き込んだのか、上から雲母で描いたのか、光沢のある模様が浮かび上がるところにも注目したい。

花卉鳥下絵新古今集和歌巻 本阿弥光悦筆 江戸時代・17世紀 【会期中に巻替えあり】

松山花卉摺下絵新古今集和歌巻 本阿弥光悦筆 江戸時代・17世紀

同じように角度を変えて見ると反射や光沢を楽しめるのは、金泥や銀泥で豪華に装飾された下絵に和歌を書写した作品でも忘れないでおきたい。

松山花卉摺下絵新古今集和歌巻 本阿弥光悦筆 江戸時代・17世紀

そうした金銀の豪華な下絵がある墨跡では特に、琳派の創始者・俵屋宗達とのコラボレーション作品、宗達の下絵に宗悦が三十六歌仙の歌三十六首を書写した重要文化財・鶴下絵三十六歌仙和歌巻のすべてが、全長13m以上を巻き替えなしで、全巻を広げて展示されている。

重要文化財 鶴下絵三十六歌仙和歌巻 本阿弥光悦筆 俵屋宗達絵 江戸時代・17世紀 京都国立博物館蔵

今回の展示では奔放な大小と濃淡のリズミカルな変遷の文字をよく見たいのなら近づいて真上から、一方で少し距離を置いて、1メートル半ほど下がって見ると、金と銀で描かれた宗達の下絵に凝った照明が反射して光り輝いて見えるのが楽しい。

近くで見ると1首目の作者・柿本人麻呂の名が「麻呂」を「丸」の当て字で書いたはずが、「人」の字が抜けてしまって後から細い文字で横に書き足しているのはご愛嬌というか、宗達のこれだけ豪華な下絵を提供されながら、光悦の筆が慎重になるのとは真逆に、ますます自由闊達な勢いで、嬉々として三十六歌仙の和歌を書写して行ったことが見て取れるように思える。

それとも、まさかとは思うが…この一行目は「柿本人丸」の4文字より「柿本丸」3文字の方が、確かに視覚的に、構図として座りがいい。もしかして、わざと間違えたのだろうか?

重要文化財 鶴下絵三十六歌仙和歌巻 本阿弥光悦筆 俵屋宗達絵 江戸時代・17世紀 京都国立博物館蔵

重要文化財 鶴下絵三十六歌仙和歌巻 本阿弥光悦筆 俵屋宗達絵 江戸時代・17世紀 京都国立博物館蔵

宗達の絵の方は、水辺に群れる鶴たちがやがて波打つ海辺から飛び立ち、天高く雲の合間を舞い上がって群れをなして大空を旅し、別の土地に降り立つという、渡り鳥の生態を長大な絵巻として描写している。

重要文化財 鶴下絵三十六歌仙和歌巻 本阿弥光悦筆 俵屋宗達絵 江戸時代・17世紀 京都国立博物館蔵

その絵には、三十六歌仙の歌とのテーマ的な関連性は特に見られない。そもそもこの歌集自体、歌自体の内容はバラバラで、鶴の群れの旅というひとつのストーリーでまとめる必然はどこにもない。

重要文化財 鶴下絵三十六歌仙和歌巻 本阿弥光悦筆 俵屋宗達絵 江戸時代・17世紀 京都国立博物館蔵

なのになぜか、光悦のリズミカルに奔放な書と鶴たちの躍動が不思議にマッチして、ひとつの作品として完璧な統一感を持ってまとまっている。

重要文化財 鶴下絵三十六歌仙和歌巻 本阿弥光悦筆 俵屋宗達絵 江戸時代・17世紀 京都国立博物館蔵

土の茶碗を刀剣に代えた光悦の楽茶碗

舟橋蒔絵硯箱などの「光悦蒔絵」が、多くの職人を巻き込んで自らの厳正な指示に基づいて創作した、いわば共同作業の成果で、光悦の役割がデザイナー、プロデューサーのようなものであったのに対し、本阿弥光悦がほぼ自らの手で造り出したのであろう作品はまず書、そして「光悦茶碗」と呼ばれる一連の楽茶碗だ。60代で中風を患って手に不自由が出るようになった後、茶碗造りに没頭するようになったようだ。

重要文化財 赤楽茶碗 銘 加賀 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 京都・相国寺蔵 [主催者提供写真]

楽茶碗は、千利休の注文に応じて陶工・長次郎が作り出した究極の侘び茶の理想の茶碗だ。

利休が求めたのは茶碗の存在そのものを消し去るような茶碗であり、見た目の装飾性を極限まで剥ぎ取り、それ以前の最高級の茶器だった中国・宋代の陶磁(唐物)に理想化されたフォルムの端正さすら意図的に排除するため、ろくろの使用すら禁じた。

これは実のところ、作り手にとって非常に厄介な造形物でもある。

白楽茶碗 銘 冠雪 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 京都・樂美術館 【展示期間終了(2月18日[日]まで)】[主催者提供写真]

輪をかけて大変なことになったであろうと想像に難くないのは、現16代にまで続く樂家の長次郎の後継者たちにとってだ。なにしろ初代の長次郎がすでに、あまりに完璧に利休の理想を具現化してしまっている。

最後の展示室では、光悦の楽茶碗と赤楽の香合と比較するかのように、長次郎が一代で完成させた楽茶碗の中でも究極にシンプルさを突き詰めた赤楽茶碗の、その名も銘「無一物」と、もっとも素っ気いないからこそ凄まじい存在感を持った「万代屋黒」が展示されている。

この二点のような長次郎の圧倒的な茶碗を前にすると、なにも太刀打ちできない、としか言いようがなくなるのではないか?

樂家も宗派は日蓮法華宗であり、光悦は二代の常慶と親交があったようで、本展でもその常慶に宛てたと考えられている書状が前期、後期それぞれ展示される。

書状 吉左衛門尉殿宛 本阿弥光悦筆 江戸時代・17世紀 京都国立博物館蔵【展示期間終了(2月12日[月・休]まで)、2月14日(水)以降はこの解説文にもあるNo.75の樂美術館蔵「書状 ちゃわんや吉左殿宛」を展示】

樂家の系譜が最初の段階でどのようになっていたのかは、今ひとつ判然としない。確かなのは長次郎の妻も楽茶碗の作品を遺していたり、その妻の実家の田中家が長次郎の重要な協力者で窯の経営も担い、その妻の祖父にあたる田中宗慶が長次郎の没後に「樂」の印を豊臣秀吉から賜り、その次男つまり長次郎の義兄ないし義弟にあたる常慶が楽家二代の「樂吉左衛門」を名乗ったことだ。

以降、樂家の当主は代々この吉左衛門を名乗り、三代の道入以降は隠居すると「入」の字が入った法名を名乗って現代に至る(なお今でも襲名時に家裁で改名続きをとって本名を「樂吉左衛門」とし、代を譲った後は再び家裁に申請して法名を本名にしているそうだ。先代なら生まれた時の名前は「樂光博」、襲名して樂吉左衛門になり、2019年に息子の篤人氏に代を譲った後は「樂直入」)。

長次郎が完成させた楽茶碗は「作為に満ちあふれた無作為」「徹底的な作為で作り込まれた究極の無作為」とも評される。

色は石を砕いた漆黒の釉薬の黒楽か、焼いた土の赤みを見せる透明釉の赤楽のふた通りしか許されず、完璧な正円では逆に円が円であることのフォルムが意識されるため、ろくろの使用も禁じられている。

土を整形するのは手づくねで、後はヘラで掻き落とすことくらいしか許されない。

黒楽茶碗 銘 村雲 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 京都・樂美術館蔵 [主催者提供写真]

普通に考えれば制約が厳し過ぎて創作の自由などまるでなさそうだ。しかも目指すべきとされるのは、茶碗の存在を意識させない茶碗である。作家の個性や感性を反映させる余地がほとんどない上に、初代の長次郎がその制約を活かし切った究極のミニマルな造形を、すでに完成させてしまっていたのだ。

その長次郎の跡を継いで三代目ともなると、初代を模倣するにも厳しい制約に従っているだけなのか、初代の美学を引き継いだ創作なのかも判然としなくなりそうで、常慶が樂家を創始して長次郎を継いでは見たものの、その子の道入の代にもなればどうしたら茶碗作りを続けて継承していくのか、ひどく悩まされたことだろう。

ただ形だけ長次郎を模倣するというのも、そもそも無作為で形が無に限りなく近い理想を長次郎が完成させているのだから、模倣することすらできない。

白楽茶碗 銘 冠雪 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 京都・樂美術館 【展示期間終了(2月18日[日]まで)】[主催者提供写真]

そんな樂家の茶碗造りを、なにをしようが超え様がない初代・長次郎の圧倒的な孤高と向き合い続け、あがかき続けねばならぬ堂々巡りの苦悩から救い出したのかもしれないのが、光悦だった。

ろくろは使わず形を作るのは手づくねで、使っていい道具はへらだけ、という制約を樂家の伝統から踏襲しながら、光悦はたとえばそのへらで口縁部をバッサリ切断したエッジを残すような、装飾性を排除した中での装飾性という大胆な造形コンセプトの逆転を、楽茶碗に持ち込む。

このいわば光悦ショックの刺激こそが、その後の樂家が今日の十六代に至るまで新たな想像を開拓しようともがき、初代・長次郎の孤高の超越と格闘し続けることを可能にする、いわば伝統の裂け目・突破口を作り出したとも言えるだろう。

そんな光悦の刺激を受けたのであろう新世代の樂家の茶碗、三代・道入の黒楽茶碗・赤楽茶碗も一点ずつ展示されている。

黒楽茶碗 銘 村雲 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 京都・樂美術館蔵 [主催者提供写真]

そして刀剣の研磨と鑑定を通して、鉄という物質が高熱と接して生み出す無限の偶然性の個性と刀工たちの作為のせめぎ合いの生み出した美と向き合うことで鍛えられた本阿弥光悦の美意識と作為・創意もまた、晩年に(鋼鉄と同様に高温で焼成される)土という素材と、長次郎のすべてを切り詰め削ぎ落とされた美学とせめぎ合うことで、最終的な究極の高みに達したのではないか。

土は土でありながら、激しい高温で日本刀の鍛えられた鉄のような存在感を帯びる。

光悦が中風で不自由になったであろう手で土をこねて整形して生み出した茶碗は、「土の塊としての茶碗」の意識を徹底させる楽茶碗の厳格さを踏襲しながら、鋭い刃物、研ぎ澄まされた日本刀のようなオブジェでもある。

花卉鳥下絵新古今集和歌巻 本阿弥光悦筆 江戸時代・17世紀 【会期中に巻替えあり】

そんな「光悦茶碗」たちは、長次郎が千利休とともに完成させた楽茶碗の精神に忠実に、究極にシンプルでありつつ、存在そのものが遠目にも目を引くほどのフォルムの華やかさを発散している。

それは光悦の書において文字が表意文字としての意味伝達の機能を超えて線の太さと細さ、墨の濃淡、人間の手による筆使いの運動性を反映した直線と曲線の純然たるフォルムの美しさに輝き、あるいは光悦蒔絵において鉛が金銀のような貴金属と同等に扱われ、モティーフを表象すると同時に物質としての立体感・存在感を放っているのと同様に、物質やフォルムが社会的・実用的な意味性を超越して新たな意味を持ち、新たな美を発散するのとも共通する、創造の世界ではないだろうか?

国宝 舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵 

特別展「本阿弥光悦の大宇宙」
Special Exhibition: The Artistic Cosmos of Honʼami Kōetsu

「光悦」印・「光悦」印影 年代不詳

会期 2024年1月16日(火)~3月10日(日)※会期中、一部作品の展示替えあり。

会場 東京国立博物館 平成館

開館時間 午前9時30分~午後5時 2月16日(金)からは毎週金・土曜日は午後7時まで
※入館は閉館の30分前まで

休館日 月曜日

観覧料(税込) 一般:2,100円 大学生:1,300円 高校生:900円
※中学生以下、障がい者とその介護者1名は無料。入館の際に学生証、障がい者手帳等をご提示ください。
※本展は事前予約不要です。混雑時は入場をお待ちいただく可能性がございます。
※最新の券売情報の詳細は展覧会公式サイトをご確認ください。

主催 東京国立博物館、NHK、NHKプロモーション、東京新聞

協賛 光村印刷

協力 日本文化芸術の礎

お問合せ 050-5541-8600(ハローダイヤル/午前9時~午後8時、年中無休)

※展示作品、会期、展示期間等については、今後の諸事情により変更する場合があります。最新情報は公式サイト等でご確認ください。

JR: 上野駅公園口、または鶯谷駅南口より徒歩10分
東京メトロ: 銀座線・日比谷線上野駅、千代田線根津駅より徒歩15分
京成電鉄: 京成上野駅より徒歩15分

国宝 舟橋蒔絵硯箱 本阿弥光悦作 江戸時代・17世紀 東京国立博物館蔵
写真は特記以外は撮影:藤原敏史、主催者の特別な許可により展覧会紹介のため撮影・転載厳禁
Photos: ©2024, Toshi Fujiwara, Canon EOS RP, RF50mmf1.2L, RF85mmf1.2L, RF35mmf1.8

招待券読者プレゼント

重要文化財 鶴下絵三十六歌仙和歌巻 本阿弥光悦筆 俵屋宗達絵 江戸時代・17世紀 京都国立博物館蔵

下記の必要事項、をご記入の上、「本阿弥光悦」@東京国立博物館 シネフィルチケットプレゼント係宛てに、メールでご応募ください。
抽選の上5組10名様に、招待券をお送り致します。この招待券は、非売品です。
転売業者などに転売されませんようによろしくお願い致します。
☆応募先メールアドレス miramiru.next@gmail.com
★応募締め切りは2024年2月27日(火)24:00
記載内容
1、氏名 
2、年齢
3、当選プレゼント送り先住所(応募者の郵便番号、電話番号、建物名、部屋番号も明記)
4、ご連絡先メールアドレス
5、記事を読んでみたい映画監督、俳優名、アーティスト名
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重要文化財 鶴下絵三十六歌仙和歌巻 本阿弥光悦筆 俵屋宗達絵 江戸時代・17世紀 京都国立博物館蔵
写真は特記以外は撮影:藤原敏史、主催者の特別な許可により展覧会紹介のため撮影・転載厳禁
Photos: ©2024, Toshi Fujiwara, Canon EOS RP, RF50mmf1.2L, RF85mmf1.2L, RF35mmf1.8

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