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日本で大輪の桜を咲かせたリーチマイケル選手の軌跡とアジアラグビーにかける想いとは

パラサポWEB

2023年秋にフランスで開催されたラグビーワールドカップは日本で高視聴率をマークし、日本最高峰のラグビーリーグ「JAPAN RUGBY LEAGUE ONE(ジャパンラグビーリーグワン)」の昨シーズン総入場者数は前身のトップリーグ時代も含めて過去最多を大きく更新。さらに昨年12月に開幕したばかりの今季のリーグワンでは1試合の最多入場者数を更新する試合が早くも出てくるなど、日本におけるラグビー熱がますます高まっている。

そうしたラグビー人気の立役者の一人がリーチマイケル選手。日本代表キャプテンとして長くチームをけん引し、日本のレベルアップに大きく貢献してきた。ニュージーランド出身のリーチ選手はどのようなバックグラウンドで生まれ育ち、文化が全く異なる日本で成功に至ったのか。これまでの軌跡と、思い描くこれからの未来について話を聞いた。(取材日:2023年12月27日)

日本人学生の上手さに驚き、興味を持った少年時代

2023年12月9日に開幕したリーグワンの2023-24シーズン。昨季5位で惜しくもプレーオフ進出を逃した東芝ブレイブルーパス東京は無傷の3連勝で2024年を迎えることになった。いずれの白星も、静岡ブルーレヴズ、東京サントリーサンゴリアス、コベルコ神戸スティーラーズと強豪チームを破ってのものだ。

「すごく良いスタートになりましたね。3試合とも強い相手に勝ったので、自信がついてきています」

   

キャプテンとしてチームを引っ張るのはリーチマイケル選手だ。日本代表でも2015年、19年ワールドカップでキャプテンとしてチームをまとめ、大会での大躍進とラグビー人気に貢献してきたが、今季は所属する東芝ブレイブルーパス東京で10シーズンぶりにキャプテンに復帰。主将としての方針を尋ねると、「厳しく。無駄なことはしないように厳しくやっていきたいです」と、いたずらっぽい笑みで返してきた。

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今や“日本ラグビー界の顔”にまでなったリーチ選手が留学生として来日したのは15歳の時、今からちょうど20年前のことだった。ニュージーランド出身の彼にとってラグビーは国技。そして、同国代表のオールブラックスは5歳で競技を始めた時からの憧れ。それがなぜ、ラグビー“弱小国”だった遠い日本に行くことを決めたのか。

「中学生の時に日本の大学がニュージーランドに遠征に来ていて、自分は試合のボールボーイをやっていたんです。また、日本の留学生が僕の家でホームステイしていたこともあって、それで仲良くなったりもしました」

当時は日本が真剣にラグビーに取り組んでいるイメージはもっておらず、「テレビゲームで日本人選手を覚えた」程度。だが、留学や遠征でやってきた日本人学生の上手さにリーチ少年は驚いた。

「ニュージーランドに来る日本の学生はみんなすごく上手だった。それでちょっと日本に興味がわいて、いつか行きたいなと思っていたんです。そうしたら、ちょうど留学生が来ていた札幌山の手高校から『日本に留学したい子はいないか』という話があって、すぐに僕が手を挙げました。違う国に行ってみたい、ただそれだけ。このチャンスはもう二度と来ないと思ったから、そのチャンスをつかみました」

父、母の異なる文化の中で学んだ柔軟性

当時通っていた地元の高校と姉妹校提携していた札幌山の手高校との交換留学生第1号として2004年、親元を離れて単身で来日。当初は2、3年の留学と考えていたが、「あまりにも楽しくて」と、大学、社会人でも日本でプレーし続け、気が付けば20年になっていた。

 

「まず、僕はラグビーが大好きで、日本だと毎日できるのが良かった。ニュージーランドでは週2回しかできなくて、冬だけ。夏や秋は違うスポーツをやっていました。でも、日本では1年中ラグビーができるし、あとはご飯が美味しい(笑)」

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