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倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙

cinefil

世田谷美術館において「倉俣史朗のデザイン―記憶のなかの小宇宙」が2024年1月28日まで開催されています。

倉俣史朗(1934-1991、1978年以降は世田谷区在住)は、1960年代以降のデザイン界において、世界的に高い評価を受けたデザイナーです。特に1970年代以降、アクリル、ガラス、建材用のアルミなど、それまでの家具やインテリアデザインの世界では用いられなかった工業素材に注目して、独自の詩情豊かな作品をつくり、世界的に注目されました。

展示構成は、まずプロローグとして、独立前の三愛所属時代の仕事を紹介します。その後、年代を4パートに区切り、倉俣の仕事をテーマごとに見せます。途中には「倉俣史朗の私空間」として、愛蔵の書籍とレコードが並ぶ一角が用意されています。エピローグでは、イメージ・スケッチと今まであまり公開されてこなかった夢日記や言葉をまとめて紹介し、倉俣史朗のデザインのその先を検証しています。

展示風景:《ハウ・ハイ・ザ・ムーン》 1986 株式会社イシマル蔵 © Kuramata Design Office
photo©︎saitomoichi

展示風景:《ハウ・ハイ・ザ・ムーン》 1986 株式会社イシマル蔵 © Kuramata Design Office
photo©︎saitomoichi

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展示風景:第1章「視覚より少し奥へ 1965-1968」 左:《プラスチックのワゴン》 1968 クラマタデザイン事務所蔵 © Kuramata Design Office、右:《プラスチックの家具 洋服ダンス》 1968 大阪中之島美術館蔵 © Kuramata Design Office
photo©︎saitomoichi

展覧会の見どころが三つ挙げられています。

「今、倉俣史朗を振り返る」
バブル経済の絶頂期の1991年に、56歳という若さで突然亡くなった伝説のデザイナー倉俣史朗。その後、磯崎新や三宅一生といった同時代に仕事をした世界的デザイナーがたびたび言及するも、その業績を目の当たりにする機会は多くありませんでした。没後30年を超えた今回の回顧展では、いままであまり公開されてこなかった資料も含め、倉俣史朗の業績を回顧します。

「海外での評価の高さ」
香港に強大な美術館M+が誕生しました。そこに倉俣史朗がインテリアデザインを手掛けた新橋の寿司店「きよ友」がまるごと移設されたことはニュースになりました。店舗を丸ごと美術館に移設するというのも例がないのではないでしょうか。倉俣史朗の家具も海外の家具メーカーによって復刻・販売されています。造花の薔薇をアクリルに閉じ込めた《ミス・ブランチ》だけではない、倉俣史朗のデザインに対する世界的評価を再確認する機会です。

「誰も知らない倉俣史朗」
そのようにそのデザインの先駆性が今でも高く評価される倉俣史朗ですが、なにを考えてデザインをしていたのでしょう。今回の展覧会では、独立前に三愛で手がけていた仕事から、デザインという形にはならずに断片的に書き留められたままのスケッチや夢日記を紹介することで、その創作の源泉と秘密に迫ります。また、倉俣自身の言葉を多数紹介することで、伝説というヴェールを剥がして、本人に迫ります。

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