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赤レンガの東京駅の雑踏にまぎれこんで 東京ステーションギャラリー開催の 「みちのく いとしい仏たち」に 会いにきませんか。

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1 「ホトケとカミ」
2 「山と村のカミ」
3 「笑みをたたえる」
4 「いのりのかたち 宝積寺六観音像」
5 「ブイブイいわせる」
6 「やさしくしかって」
7 「大工 右衛門四良(えもんしろう)」
8 「かわいくて かなしくて」

(1. ホトケとカミ「如来立像」平安時代 11世紀 天台寺・岩手県二戸市)

みなさんが会場に入ると、まずその雰囲気に包まれるのが、北東北が生んだやさしい「祈り」の「かたち」です。

東北では、現在でも天台宗や浄土宗や曹洞宗の寺が多くあります。
江戸時代には、寺の本堂の形状が均一化され、上方や江戸で造られた立派な仏像が日本各地の寺院にご本尊として祀られるようになりました。

いっぽうで、地方の村々では、多くの小さなお堂や祠などを拠り所として、素朴でユニークな神像や仏像が祀られてきました。

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これらの神像や仏像は、一般の生活者の手によって作られたものが多いのです。ですから、これらの「民間仏」は、端正な顔立ちや姿のご本尊と違って、煌びやかな装飾もしてありません。その彫りの拙さやプロポーションのぎこちなさを感ずる人もいるかもしれません。しかし、それは単にユニークだけでなく、東北の厳しい風土に生きる「みちのく」の人々の心情を映した祈りのかたちそのものといえます。

(2. 山と村のカミ「山犬像」明治時代 岩手県八幡平市某社蔵・岩手県八幡平)

「民間仏」とは、どのような「ほとけ」のことをいうのでしょうか。
幕府や諸藩によって、寺院が「本山(ほんざん)」とそれに属する「末寺(まつじ)」に整理されたのが、近世江戸時代でした。

それ以降、日本各地の寺院の本堂の形状や荘厳(仏壇の装飾など)は、宗派ごとに均一化され、同時に大阪・京都・江戸・鎌倉などの高い技術をもつ工房で制作された端正な仏像や神像が祀られるようになりました。

(3.笑みをたたえる「童子立像(聖徳太子像)」江戸時代 個人蔵・岩手県一関市)

いっぽう、地方の村々では十王堂(地蔵堂、閻魔堂)や観音堂や阿弥陀堂などの集会所を兼ねた場所が、人々の生活と祈りの拠り所でした。

こうした場所や民家の神棚に祀られた十王、地蔵、観音、大黒天・恵比須などの木像は、仏師ではなく、地元の大工や木地師らが彫ったものです。

このような木像を「民間仏」といいます。
粗末な素材を使い、簡略に表現されて作られた「民間仏」は、日常のささやかな祈りの対象として、今日まで大切にされてきたのです。

(4.いのりのかたち「六観音立像」江戸時代 宝積寺・岩手県葛巻町)

「みちのくの仏たち」は、ずっと村びとのそばにいたのですが、私たちはこれを見るとこれまで見たこともない造形の姿に困惑するかもしれません。というのは、地元のひとでさえほとんど気にもとめなかった「ほとけたち」なのです。

展示作品は、ほとんどの像が山村漁村でまつられて、とりわけ奥羽山脈・北上山地の村は環境そのものが宗教性をおびており、本展は村びとたちのご理解のもとにお借りしてきたものです。中央の権威や儀礼から離れていたことが、あたかも野の仏のような「ほとけたち」の仏像として、これほど魅力をもつ「民間仏」として、今日に伝えられてきました。

なぜ黒く煤けているのかな。

なぜ小さな像が多いのかな。

それは、生活の中から生まれ、生活と共にあった事実を語るものです。稚拙な表現と率直な信仰に根ざした村の造形感覚に徹し切ることで、村人の心が「これでいいのだ」と支えてきた心性によるものです。

(展覧会場の展示風景)

「ほとけたち」には、「稚拙」とはいうものの、ネガティブな感覚はどこにもありません。

それは、稚拙なものを拝み続けてきた日常の生活に本質があるからです。

村びとたちは、厳しい東北の生活の中で、そばにいてくれる仏像たちを古い霊験や功徳のあるお像として尊重してきました。

「民間仏」たちは、日常のつらさ、せつなさ、くやしさを抱えつつ、同じ空間、同じ時代、同じ価値観を共感できる、愚痴や祈りのささやかな宗教造形なのです。

環境も暮らしも厳しかった江戸時代の「みちのく」。

そうした生活の山谷の村人たちに、やさしく受け答えをしてくれるものがいる。ささやいてくれる「ホトケ」と「カミ」がいた。

だからこそ、やさしさとぬくもりの木彫りの像に求めた、村びとの心情が込められているのです。

(5.ブイブイいわせる「毘沙門天立像」江戸時代 個人蔵・青森県五戸町)

名もしれぬ作者の気持ちが込められた名もしれぬ宗教彫刻には、本来仏像や神像とは矛盾する図像学的な「かたち」もあります。

しかし、これらの「ほとけたち」は、本州の北の隅っこの、さらに山と川の村にありながら、国や時代を超えた普遍性をもつ民衆の心に寄り添ってきた「ほとけたち」なのです。

彫った人と拝んだ人と、そして今ここで見つめている人との強い共感が呼びおこされます。

(5.ブイブイいわせる「達磨像」江戸時代 個人蔵・青森県南部町)

これらの「ほとけたち」は、立派な「日本の仏像」であり、「江戸時代の美術」なのです。

江戸時代の仏像や近世美術として認められてこなかった事実があります。

(6.やさしくしかって「十王像」江戸時代 最勝院・青森県弘前市)

多くの「ほとけたち」は、黒く煤けていますが、虫が食わないので、今日まで保存されてきたのです。

「子安観音坐像」は、わずか18センチメートルの木彫りの仏像です。それは、民家の神棚にあったものが村の寺へ奉納されたものです。

十王像にしても、素人が掘った民間仏で、家の「お宮」や「祠」として民家の仏壇に飾られたものです。過酷な環境に耐えてきたものもあれば、そこで「仏」としての生涯を終えるものもありました。しかし、多くの村びとたちにとって、それらは日々の生活の祈りと共に存在していたものです。誠に残念なことですが、仏像の価値に気づいてこなかったのが実情です。

盛岡や京都の展覧会でも、それぞれ三万人もの方が、これらの「ほとけたち」にお会いして、その意義と魅力に対面してきています。そこに、新たなイメージとして、現代に蘇ってきた「民間仏」こそ、庶民の苦労と、庶民の願いと共にありつづけて今日にいたった歴史ある名もなき「ほとけたち」なのです。

(写真パネル「岩手山」)

村人と土地とのつながりが、これらの「ほとけたち」にとってなにより大切でした。

土地の暮らしぶりに寄り添ってきた「ほとけたち」。

集落は、寒い土地柄です。林業に従事するひとたちにとっては、仕事と山神様の存在は切っても切り離すことができない生活に密着している心があります。

(7.大工 右衛門四良「地蔵菩薩立像」右衛門四良作 江戸時代 18世紀後半 青岩寺・青森県七戸町)

これらの「ほとけたち」は、お坊さんの彫ったものではないのです。

仏師ではなく、僧侶でもなく、一般人の大工や木地師らの手によるこうした「民間仏」の特徴は、素朴でユニークな造形と表情をもっています。

また、テクニックを必要とする寄せ木ではなく、多くが一本造りによるおもしろさの造形がうかがえます。シンプルなものとドラマチックのものが地方の木造の「かたち」の両義性として浮かび上がります。

(像は、2.山と村のカミ「役行者倚像」恵光院・青森県南部町)

そこに、可愛い馬の木彫りの「ほとけ」がいる。

口を開けない仏が本来は多いのですが、この地方では口を開けているものもあります。

岩手や青森や秋田の神様や仏様が、無表情の神像や仏像となっているのを見るとき、みなさんはそれをこわいとおもわれますか、やさしいとうけとられますか。しかし、その表情を求める村びとの周囲に眼をやると、春夏秋冬の厳しい生活の反映をみることができるのです。

(8.かわいくて かなしくて「子安観音坐像」江戸時代 龍像院・秋田県大仙市)

村の集会場や家や裏庭や道端にまつられてきた「ほとけたち」は、次の世代に、村人たちの祈りとはなんであったか、先祖や動物や自然そのものへの供養をこれからどうするのかという現代的な問題を投げかけています。

これらの江戸時代の美術史にない「ほとけたち」は、江戸時代の研究者の間でも、仏教美術史の中にも、取り上げられていないものばかりです。円空仏や木喰仏のようには、まだ広く知られることがないのです。

(フォトスポット)

「民間仏」は、江戸時代の庶民と共に生活と祈りの世界を支えてきました。そこで、なんとか江戸時代の歴史や美術史のひとコマに登壇させたいというのが、先人の研究や収集や記録を継承しながら、何十年もかけて「民間仏」行脚をつづけてきた監修者の願いです。

会場には、村の生活とこれらの「ほとけたち」との関係を知ることのできる映像が上映されています。

(以上は、監修者のお話と当日のレジメを参考にさせていただき、作成しました。)

━━ 展覧会概要 ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━

展覧会名:みちのく いとしい仏たち

会期:2023年12月2日(土)〜2024年2月12日(月・振)

会場:東京ステーションギャラリー 住所:東京都千代田区丸の内1-9-1(JR東京駅 丸の内北口 改札前)

時間:10:00~18:00(金曜日~20:00) *入館は閉館30分前まで 休館日:月曜日(1/8、2/5、2/12は開館)、12/29(金)~1/1(月)、1/9(火)

入館料:一般1,400円、高校・大学生1,200円、中学生以下無料
*障がい者手帳等持参の方は100円引き(介添者1名は無料)

詳しい内容については、ホームページをご覧ください。

【東京ステーションギャラリー|公式サイト】
%%https://www.ejrcf.or.jp/gallery%%{blue}

岡本勝人記

詩人・文芸評論家。評論集に『海への巡礼』『1920年代の東京 高村光太郎、横光利一、堀辰雄』『「生きよ」という声 鮎川信夫のモダニズム』(ともに、左右社)のほか、『仏教者柳宗悦 浄土信仰と美』(佼成出版社)がある。また詩集に『都市の詩学』『古都巡礼のカルテット』『ナポリの春』(ともに、思潮社)などがある。各紙に書評などを執筆している。

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