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ブラインドフットボール日本代表、世界選手権5位が引き寄せた“自力でパリパラリンピック”

パラサポWEB

「パリの出場権獲得の可能性を残したっていうと、ちょっと薄い気がするし。全力尽くして『ほぼ確定』って感じかな」(平林太一)

「パラリンピック出場圏内に入れた、っていうのかな。とにかく心から嬉しいです」(園部優月

8月の世界選手権で5位になって喜ぶ平林ら日本代表選手たち

ようやくつかんだ自力出場権

3ヵ月前、イギリス・バーミンガムの地で開催された「IBSAブラインドフットボール男子世界選手権2023」。パリ2024パラリンピック予選を兼ねた大会だ。5位という過去最高の順位で戦いを終えた日本代表戦士たちは、どこかすっきりしないながらに喜びの第一声を上げた。

グループリーグ2位から決勝トーナメントに進出した日本代表は、準々決勝の中国戦で惜敗。その後の順位決定トーナメントで2つ勝った。同大会準優勝の中国に敗れることは想定内であり、できることはすべてやり切った結果だ。パリパラリンピックのラストチャンスを手に入れるには、その出場権を保持していない国のなかで上位3チームに入ることが条件だった。

黒田はパリの出場権を得ている中国との準々決勝で途中出場。ゴールは割れず0-1で敗れた

そもそもパラリンピックは狭き門であり、8ヵ国しか出場できない。8月の世界選手権までにすでに出場権を保持していたのは、大陸別予選で優勝したトルコ、モロッコ、中国、パリ大会開催国のフランス。世界選手権では大陸別予選がまだ終わっていない南米のアルゼンチン、ブラジル、コロンビアがベスト4に入ったため、5位の日本代表の出場権獲得は、11月のパラパンアメリカンまで持ち越されることになったのである。

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振り返れば、2022年11月、優勝すればパリ大会出場権を獲得できるアジア・オセアニア選手権(インド・コチ)で準決勝敗退。大会を通して失点ゼロながらPK戦で敗れ、どん底を味わった。「負けてもグランドから離れれば切り替えることができる。長い歴史の中で先輩たちが教えてくれたことです」と中川英治監督。その後も決してあきらめず進化を遂げた日本代表に届いた南米からの吉報だった。

世界選手権の準々決勝敗退後、客席に挨拶をする川村。このあとすぐに前を向いて次戦に備えた

長い歴史――。それは、パラリンピックの自力出場をかなえられずに苦しんだ月日のことだ。

日本のブラインドサッカーの20年間はパラリンピック出場を追いかけた歴史と言っていい。この競技がパラリンピックデビューした2004年アテネ大会を目指した日本は、2003年の第1回アジア視覚障害者サッカー大会優勝国だが、その大会は結果として公式国際大会に認定されず、パラリンピック予選にも認定されなかった。続く北京大会の予選は4ヵ国中4位に。ロンドン大会の出場権をかけたアジア選手権は、初めての日本開催。真冬のスタジアムにニッポンコールが響いたが、「引き分けでもパラリンピック」のイラン戦で後半に2得点を許して涙をのんだ。パラリンピックの自国開催が決まった後に行われたリオ予選。初戦で格上の中国に敗れ、2戦目で宿敵のイランに引き分けた日本は、大会終盤に両者が“無気力試合”で引き分けたことも影響し、上位2ヵ国に与えられるパラリンピック出場権を逃した。時代は移り変わり、視覚障害者サッカーからブラインドサッカーに呼び名は変わっても、日本代表の悲願はなかなか達成されなかった。

メダル獲得に向けてすでにスタート

2021年に開催された東京パラリンピックは5位と健闘。念願の舞台に立ったものの、強豪国のブラジルと中国には全く歯が立たなかった。

東京大会で3得点を記録した黒田智成は言う。
「初めてパラリンピックの舞台に立ち、強いチームは持っている力以上のパフォーマンスを出してくることを肌で感じました。パラリンピックは出るだけでは意味がないと知り、メダル獲得という新たな目標に向けてスタートしました」

東京大会は無観客だった。エッフェル塔スタジアムで実施されるパリでは「たくさんの観客の中でプレーできるのを楽しみにしています」(川村)

その思いは、キャプテンの川村怜も同じだった。
11月23日。川村は、パラパンアメリカンの経過を「緊張もせず、ソワソワすることもなく」受け止め、朝起きてから早朝に届いていたパリ出場権決定のニュースをグループLINEで知った。感情が大きく揺れ動くことはなく、2日後の代表合宿でも、パリの出場権が決まったからといって、キャプテンとして特別な発信もしなかったという。

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