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執筆AIの発展が開発者と作家にもたらした変化 『AI BunCho』大曽根宏幸と作家・葦沢かもめが語り合う”AI創作論”

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葦沢:はい。私は普段あまり人と話さなかったり、Twitterでも人に絡むのは苦手だったりするんです。けれど、言いたいこと、表現したいものは自分のなかに溜まっていきます。そうしたものをどこかにアウトプットしたい。今振り返ってみると、そう思っていたことが物語を書き始めたきっかけでした。自分が物語を書き続けている動機は、その時々で、自分に足りないものを埋めようとして書いているのかもしれません。たとえば、自分には友だちが少ないと感じる時には、友だちを描いたり、といったことが多いかもしれません。数年前くらいに書いた小説では、転校生と仲良くなるのですが、物語の世界に帰っていってしまう。その転校生を追いかけるために物語を書く、という作品でした。

ーーなるほど。

葦沢:とはいえ、自分の生きている間に埋めることはできないでしょう。なので、私の意志をコピーした意識のあるAIがいて、私の持っている穴を埋めようとして書き継いでくれるとしたら、もしかしたらその穴がすべて埋まるんじゃないかと思っています。死んだ後に埋めても仕方ないんじゃないかと思いますが……(笑)。

大曽根:足りないところを埋めていく……考えたこともありませんでした。たしかに、物語のいちばんおもしろいところは、トラウマやコンプレックスが自然と物語の中で表現されることかもしれない、とも思います。

葦沢:穴を埋めたいから書いていますが、まだまだ埋まらない。どんな小説が埋めてくれるんだろう、どんな物語が埋めてくれるんだろう、といつも思いながら書いています。いつかそんな物語をAIが書いてくれたら読んでみたいですね。

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ーー葦沢さんがAIに自分の願望を託すように、実際に私も『AI BunCho』を使っていると、自分の心が拡張していく感覚におもしろさを感じました。

大曽根:心が拡張されていく、という言葉はおもしろいですね。少し違う話かもしれませんが、私が執筆AIを作り始めた大きな理由は、「意識」の探求にあります。

ーーたしか、大曽根さんは「物語を紡げる機能があれば、それは意識なのだろうか」と問われていますね。これはどういう意味なのでしょうか?

大曽根:実際に物語を作るAIを作ることで、人間の心を理解してみたいと考えています。人間がどんなものに心揺さぶられるのか。人の心を動かすような物語を作れるAIが生まれたら、それはある種の意識をもった存在になるのではないか……? そう考えて研究を進めています。これまで、優れた物語を読むたび、どうやって作ったんだろうか、と疑問に思い、わかりませんでした。自分で作ってみることですこしずつわかっていきたい、というのが執筆AIを作っている動機ですね。現時点では、おもしろい物語には一定のパターンがあることが分かってきました。勧善懲悪的な構造であったり、古典でよくあるような勇者が悪者を退治するような物語類型が現代までアレンジされながら使われていると感じます。

葦沢:私も執筆の際には、物語の構造は意識していないわけではないですが、『AI BunCho』のプロットを見ると自分にはないアイデアだな、と感じることが多いので、『AI BunCho』の方がすでに私よりも物語に詳しいのかもしれないですね(笑)。

ーー『AI BunCho』にはすでに意識の萌芽があるのかもしれませんね……!

〈AI小説家に人は何を求めるのか?〉

ーー葦沢さんは『AI BunCho』を普段どんなふうに使われていますか?

葦沢:まず、展開につまったときには「AIリレー小説」機能を使いますね。これは、文章を入力すると、その続きを生成してくれる機能なのですが、思ってもみなかった方向に話が発展していってくれます。そこからまた物語を書き進めていくことが多いですね。興味深いことに、後から振り返ると、どこからが自分の文章で、どこからがAIに書いてもらった文章だったのか見分けがつかないことがあるんです。AIに選択肢を提示してもらってはいても、選んでいるのは自分なので、やはり自分の思っているものが反映されるのかもしれない、と感じています。

大曽根:実際に使っていただいている様子をお聞きすると感慨深いものがあります。たとえば、自分が考えていた物語の筋から逸れるアイデアを提示されたときに、葦沢さんはどう軌道修正しているのでしょうか?

葦沢:そうですね。あらすじを指定できるので、自分のプロットに沿った文章を出しやすくなっているのですが、思い通りにいかないときは、いくつかこの方向で進めたいと思う文章を入力してから自動生成してもらえるといいですね。

大曽根:プロットづくりのときには使いますか?

葦沢:はい。さいきん書いたものだと、新しく実装された「プロット生成」機能を使ってみていますね。12個の枠がありますが、最初の3、4個を入れてみると、自分の思ったようなプロットになってきます。実際、星新一賞に応募した作品を制作しているときは、使うたびに新しい発見があるな、と思い使っていました。意外な組み合わせが生まれるときに、AI執筆を行うおもしろさを感じますね。

ーーさっそく使ってみたくなりました。

葦沢:すごく具体的なTIPSをご紹介すると、キャラクターの人物名を「田中」「鈴木」といった、よくある名前にして書くとやりやすいですよ。特殊な名前を入れてしまうと人名として認識してくれないことがあります。

大曽根:自分の使い方だと、自分が考えた物語の各場面がつながらないときに、AIに場面がどうつながるのか、その理由を作ってもらうと、意外な流れが見つかったりします。自分で実際に本文を作ってもらったりして、どんな文章が生成されるのか見てみると楽しいと思います。

ーーAI執筆の話題になると、ときおり、「AIではなく、人間の書いた小説じゃないと嫌だ」という意見が見受けられます。こうした考えに対して、葦沢さんはどう感じますか?

葦沢:私は作者が誰か、どんな人なのかは気にしないタイプですね。この人が書いた作品だからおもしろみを感じるというよりは、作品それ自体の世界観、メッセージに面白みを感じます。たとえば、文章がなめらかで生々しさがある伊藤計劃さんの『虐殺器官』、ジュール・ヴェルヌの作品は『神秘の島』をはじめ、子ども心をくすぐられるような未来のヴィジョンに満ちた冒険譚に惹かれます。レイ・ブラッドベリは幻想的でホラー的な語り口の短編が魅力的ですし、バラードは終末の破滅へとひたひたと歩いている感じが『結晶世界』などにみられて好きですね。周囲の小説を書いている人は、「作家性」こそが小説の醍醐味だと言う人が多いのですが、そう述べる人が考えている作家性とは何か、気になっています。「村上春樹の作家性が好き」という人が好きなのは、文体なのか、展開なのか、調査してみたいです。

ーー葦沢さん自身は自分に作家性があると思いますか?

葦沢:例えば、私がAIを使って書いている、ということから、「葦沢さん自身がSF的な存在だ」といったご感想をいただくことがあります。しかし、私自身、作家性はそこにはないと考えています。あくまで、みんながAIを使って書いてくれたらおもしろいだろうな、と思いAI執筆の宣伝をしているんですね。

ーーAIで書いていることにアイデンティティを持っていない、と。

葦沢:はい。そうではなく、さきほどお話したように、自分の足りないところを書くために書いていること、そして、未来に実現しうるテクノロジーと世界を予言して書くことに自分の作家性を見出しています。実際、自身のSFの原体験は、到来するかもしれない未来の技術を描いたジュール・ヴェルヌでした。新しい技術の誕生とその技術が適用された世界を描く彼に憧れて作品を作っています。

ーーなるほど……。近年のSFでもっとも作家性を読み込まれるのは、大曽根さんもしばしば言及されている、34歳で夭折した伊藤計劃かもしれません。

大曽根:私は伊藤計劃さんに大きな影響を受けていて、いちばん衝撃を受けたのは『ハーモニー』でした。最初に読んだときは、単純に話のプロットがおもしろい、と感じていましたが、その後ブログを読んだりしているうちに、病床にいた伊藤計劃さんが、「自由意志がなくなることで人間は幸福になるのだろうか?」という問いを込めて物語を描いていた事実に心が動きました。そういう意味で、私は作家性に関心があるといえるかもしれません。

ーーもし伊藤計劃がAIを使って書いたということを聞いたとしたら、作品の印象は変わるでしょうか?

大曽根:うーん。AIを使うことで、自分の言葉では伝えられない部分を補おうとした、と考えると、執筆のどの段階で彼は執筆AIを使うのだろうか、と気になります。私にも想像がつかないような不思議な使い方を編み出しそうで、もしできるなら使っている姿を見たかったですね。

〈執筆AIに小説家の仕事は奪われるのか〉

ーーAIに仕事を奪われてしまう、という作家さんの危惧に対して、お二人はどんな答えを返しますか?

大曽根:Excelの登場で経理の人の仕事が無くなったわけではないように、執筆AIが普及しても、作家の仕事はなくならないんじゃないか、と考えています。もっとも重要なこととして、AIには「書きたいテーマ」というものがありません。誰かが書き出しを書いたり、選んだりしていく作業は、未来にも必要になるはずです。

ーー作家が物語を構想する、そのスタート地点はAIには奪われない、と。

大曽根:ええ。なので、未来の小説家の仕事は、現在の画像生成のように、書きたいものをまずAIに書かせてみて、生成されたものをレタッチしたりする、という仕事に変化していくかもしれません。それは誰にでもできる仕事ではなく、小説をこれまで書いてきて勘所が分かっている人でないとできないのだと思います。ちょうど、現在でも画像生成を使うのが上手い人は、イラストレーターの人だったりしますよね。それとは別に、執筆AIをパートナーとして、自分自身の一番好きだと思う物語、必ずしも多くの人が求めるわけではないけれど、特定の人々にはすごく求められるような、そんなニッチさを掘っていける人が生まれるのかもしれないと思っています。葦沢さんのお答えも聞いてみたいです。

葦沢:私は「作家と読者の境目がなくなっていく」と想定しています。画像生成AIでは、見たい人が欲しいものを作り、みんなに「いいのができたから見て!」と提示していく流れがすでにできています。こうした流れが小説にも普及していき、良い読み手がいいと思うものを生み出し、それが読み手のあいだで共有されていく。そんな世界を想像しています。

ーーファンダムエコノミー化する小説文化、ということですね。ファン同士で自分たちの好きな小説を生産・流通していく。すると、いつしか、執筆AI自体にも個性が生まれて、「AIファン」が生まれたりすると面白そうですね。『AI BunCho』派、だとか。

大曽根:なるほど! 現時点では、AI側に審美眼を設ける、というのはしていませんが、Midjourneyでイラストを生成すると、Midjourneyっぽい画像が出力されるように、段々と『AI BunCho』のプロットに『AI BunCho』らしさが見いだされるようになっていくとおもしろいかもしれませんね。

ーー『AI BunCho』にこれまでのインタビュー内容を入力してみたところ、次のような質問が生成されました。「どういう小説を書けたら良いと思いますか? 『私だったら、こういうふうにできたら』と思うことがあれば教えて下さい」

大曽根:まさかの質問です(笑)。そうですね、誰もが好きな物語を書いてもらうのはいちばんうれしい未来ですね。プロットの提案から始まり、短い物語なら創造できるようになり、そこから長編もつくれるようになる。そうすることで、誰かにとって大切な物語を作る手伝いができるようにしたいです。

葦沢:私自身は、自分のコピーを作って、そのコピーに自分の穴を埋めてくれる小説を書いて欲しいですね。もちろん、ほかの人は執筆AIを違う目的のために使うでしょう。それぞれの人がAIとのうまい付き合い方を見つけ出していけたら、いい未来が訪れるのだと思います。相棒のような関係性で、ともに歩んでいける関係を築いていけたら。逆に、AIを使って表現をしている人に対する誹謗中傷がなされたり、AIを使う人と使わない人のあいだで分裂してしまったとしたら、悲しいですね。まさにいま画像生成AIで起こっていることかもしれません。

ーーお二人ともありがとうございました。今日はいろいろなお話をお聞きできて、AIと創作の既に存在する未来を発見できました。

葦沢:こういう機会はなかなかなく、そうか、自分はそういうところに関心があるのか、と発見があったり、はじめてちゃんと大曽根さんとお話できてよかったです。ありがとうございました。

大曽根:葦沢さんがどういうふうに『AI BunCho』を使っているのか気になっていたので、お話をお聞きできて学びがありました。葦沢さんとお話していて、自分一人で考えているときは思いつかないアイデアに気づき、まさにAIと一緒に書いているときに起こる感覚があっておもしろかったです。最後に自分の作った『AI BunCho』から質問されておもしろかったです(笑)。どうもありがとうございました。

(取材・文=難波優輝)

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