「成田まで20分」目指す京成 「世界最速」から66年の小田急 スカイライナーとロマンスカー“中の人”対談 速さに必要なものとは

「ロマンスカーミュージアム」で3回に渡って行われた「名鉄・西武・京成×小田急社員による車両開発トークショー」。各社の看板特急について、車両担当者が対談しました。最終回は小田急×京成です。

高速化への姿勢とは

「ロマンスカーミュージアム」(神奈川県海老名市)では2023年7月30日、8月5日、12日の3日間、小田急電鉄、名古屋鉄道、西武鉄道、京成電鉄の特急車両担当者によるトークショーが開催されました。各日ごとにテーマが設定され、それぞれ小田急電鉄とほか1社ずつが対談。3日目は「新しい速度領域への挑戦」をテーマに、京成電鉄と「新AE形スカイライナー×ロマンスカー・SE(3000形)」について語られました。

「ロマンスカーミュージアム」の高橋孝夫館長が司会を務め、小田急電鉄 運転車両部 車両担当課長代理の鈴木剛志氏と、京成電鉄 鉄道本部車両部 計画課長の廣瀬昌己氏が対談しました。

 今回登場する車両は、在来線最速の160km/h(2023年現在)を誇る京成電鉄の新AE形と、1957(昭和32)年に、当時の狭軌世界最速145km/hを記録した小田急電鉄3000形「SE」です。2車種を対比させ、高速域の速度技術について対談しました。

 なぜ速さが求められたのか、京成電鉄の廣瀬氏は次のように話します。

「世界の主要都市では、空港から都心部まで大体30分台で結ばれています。京成もそれを目指し、新AE形では日暮里~空港第2ビル間36分を実現しました。初代AE形がスカイライナーとして走り出したのは、1978(昭和53)年です。1991(平成3)年に現在の成田空港駅が開業し、それに合わせたのが、2代目スカイライナーのAE100形でした。この時点でスカイライナーは、空港と都心部を1時間で結んでいました。より時間短縮をすべく、成田スカイアクセス線を開通させたのです」

 成田スカイアクセス線とは、2010年7月に開業した、千葉ニュータウン経由の新路線です。廣瀬氏は続けます。

「そのために新AE形を開発しました。後ほど解説しますが、最高速度160km/hを実現すべく、様々な技術がつぎ込まれています」

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なぜ小田急は110km/hで京成は160km/h?

 続いて小田急電鉄の鈴木氏。「1950年代に小田急が速度を追求したのは、太平洋戦争後10年も経たない頃に、画期的な高速車両を作るという話です。当時は新幹線もありません。当時の国鉄では難しかった高速車両ですが、小回りが利く小田急では実現しやすかったのです。弊社の社風も今に至るまで『何か面白いことをやってやろう』ですから、合っていたのでしょう。3000形『SE』は、国鉄、研究所、メーカーの協力を得ながら、速度向上を目指したわけです」

 京成電鉄の廣瀬氏が続けて語ります。「都心から空港を30分台で結ぶためには、160km/h運転が必要ですが、それまでは110km/hでした。北越急行さんには、在来線特急で160km/h運転を行う特急『はくたか』が走っており、参考にさせて頂きました」

 小田急電鉄の鈴木氏もこう続けます。「『SE』が現役の頃は110km/hが最高でした。車両性能としては、1957年の高速試験時に145km/hを出しています。速度を上げると振動が増えますが、その振動周期と、加速の周期が一致すると、ブランコを力を入れて漕いだように大きく反動が付く。実験を繰り返して、高速域でどうなるのか確認しました」

 高橋館長が「京成は160km/h、小田急は110km/h、なぜ差があるのですか」と質問します。京成電鉄の廣瀬氏は「速度を出すこと自体は容易なのですが、難しいのはブレーキ。600m以内で止まれることが求められます。160km/hでは600mで止まれませんので、踏切がないことは大切になってきます。成田スカイアクセス線には踏切はないので、速度が出しやすくなっています」と語ります。

 続いて小田急電鉄の鈴木氏は「曲線通過速度や、下り勾配で速度が上がり過ぎないようにするのが難しいです。沿線に対するものも含めて、騒音・振動を抑える必要があります」と語りました。