日本初の超音速戦闘機「三菱F-1」初飛行-1975.6.3 空自の洋上阻止任務を開拓 その意志はF-2へ

対艦攻撃任務は職人芸? 

 複数の兵装を搭載可能なF-1でしたが、支援戦闘機としての任務を達成するための飛行は非常に過酷なものであり、ある種の職人芸ともいえるものでした。

 対艦攻撃任務を行う場合、F-1は敵艦艇からの探知と迎撃を避けるために高度30~60mという海面スレスレの高度を、約650~740km/hの高速で飛行。なお、敵艦のレーダー探知範囲から攻撃可能距離まで接近するため、このような低空高速飛行は瞬間的なものではなく、任務中は継続して行われたそうです。

 その機体特性からF-1は、低空飛行時の安定性は同時期に航空自衛隊が運用していたF-4EJ「ファントムII」やF-15J「イーグル」といったアメリカ製戦闘機よりも優れていたといいます。しかし、低空飛行用のオートパイロットや操縦補助装置などはなく、すべて人力での制御。そのため、パイロットはこのような低空飛行を行うための高い技量と、それを持続できるだけの強靭な精神力が必要とされました。

 なお、F-1は対艦・対地兵装の他に、対空兵装として赤外線誘導の短距離空対空ミサイルも搭載でき、戦闘機相手の空中戦も可能でした。そのため、平時には他国の航空機に対する「対領空侵犯措置」任務、いわゆるスクランブルにもF-15JやF-4EJとともに就いていました。

 しかし、エンジン推力や運動性能などは、その2機種よりも明らかに劣っており、空中戦に関してはあくまでも自機を守るための自衛レベルでしかありませんでした。ゆえに、訓練においても航空自衛隊や在日米空軍の戦闘機(F-16「ファイティングファルコン」やF-15「イーグル」)と対峙したときには、相手の隙を突いた戦術によって少数を撃墜するのがせいぜいで、基本的には劣勢だったそうです。

 F-1は77機が生産され、全国で3つの飛行隊に配備されました。それら飛行隊は順次、後継のF-2戦闘機に更新されたため、旧式化したF-1は2006年に航空自衛隊から完全退役しています。

 ただ、F-1が切り拓いた対艦、対地、対空とマルチに使える能力はF-2に受け継がれており、新型の国産空対艦ミサイルの開発も途切れることなく進められています。