悪路を行くなら“浮かせてしまえ”!? 実際あった「空飛ぶジープ」とは 最近またトレンドに?

大阪万博でも展示される「空飛ぶクルマ」。最近のトレンドかと思いきや、実は第2次世界大戦後にアメリカで試作されています。軽快に戦場を飛び回る空中騎兵を想定したようで、陸軍はVZ-8Pの名で呼びました。

どうにか浮揚したジャイロプレーン1号機

 一昔前、未来のクルマといえば車輪が無く、チューブのような道路の中を浮いて走るホバークラフトのようなものが思い描かれました。21世紀になって現れた未来のクルマとされるものは、複数のローターで飛翔するマルチコプターでした。

 ドローンなど最新機材のイメージがあるマルチコプターですが、人を載せられるものの歴史は古く1907(明治40)年に登場しています。フランスのブレゲー兄弟が製作した、40馬力エンジンで4つのローターを駆動させる「ジャイロプレーン1号機」です。ただ、何とか浮揚したものの操縦できる代物ではなく、正式な飛行とは認められませんでした。

 ライト兄弟が有人動力飛行をしたのが1903(明治36)年のことであり、ほぼ同時代に固定翼機とローターで飛行する回転翼機は開発されていたことになりますが、オーヴィル・ライトは1936(昭和11)年になっても回転翼機は実用的でないといっていたように、自由に操縦できる機体の開発は難航し、しばらく航空発達史から置いていかれることになります。回転翼機の技術的問題のひとつは、複数のローター回転数を制御して操縦しようとしたことであり、当時のピストンエンジンやトランスミッションでは細かい回転数制御は困難でした。

 その問題を解決したのが1939(昭和14)年にシコルスキーが開発した単ローター、尾部ローター付きという、今日の反トルク・テール・ローター形式ヘリコプターの基礎となったVS-300です。ローターをひとつにしたことで制御しやすくなりました。ただ航空機であってクルマではありません。

 ローターで飛翔する乗りものを、もっと小型化してクルマのように使えないかと着想したのがアメリカ陸軍です。1956(昭和31)年に「フライングジープ」の開発計画を立ち上げます。「空飛ぶクルマ」の直系の先祖といってよいでしょう。

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陸軍の要請を受け3社が試作

「ジープ」はアメリカが第2次世界大戦で大量に使用した小型四輪駆動車で、軽便で走破性が高く連合軍を勝利に導いた立役者のひとつと評価されていますが、このジープの走破性を限界まで上げ、それならばタイヤで地面を走るのではなく浮かせてしまえばよいという野心的なアイデアでした。軽快に戦場を飛び回る空中騎兵を思い描いたようです。

 陸軍の要請を受けて1957(昭和32)年、自動車メーカーであるクライスラーがVZ-6、航空機メーカーであるカーチスがVZ-7、ヘリコプター中心の航空機メーカーであるバイアセッキがVZ-8「エアジープ」と、計3種類のフライングジープを試作します。

 クライスラーのVZ-6は、500馬力エンジンで駆動する2基のダクテッドファンを前後に配置し、ホバークラフトのようなゴム製スカートが下部に付けられました。2機のVZ-6が納入され、1959(昭和34)年初頭に試験飛行が実施されましたが、重量1088kgでは重すぎる上にエンジンのパワーが不足し、横方向の安定性に問題があったため、試験は非常に悪い結果となりました。

 カーチス・ライトのVZ-7は、4基のダクテッドファンローターが正方形のパターンで取り付けられ、乗員をタンデム(2人乗り)に配置。ローターはむき出しで、推進方向制御は各ローターの回転数を変えることで行いました。試験飛行ではホバリング能力と比較的安定した前進飛行が可能でしたが、陸軍の要求する高度や速度を満たすことはできませんでした。

 パイアセッキのVZ-8「エアジープ」は2基の3枚羽根ダクトローターを装備し、2基の180馬力ライカム・ピストンエンジンを、ひとつの中央ギアボックスで連結。片方のエンジンが故障しても空中に留まれるようにしました。操縦系統はヘリコプターに似ており、ローターダクトの下に取り付けられたヒンジ式のベーンによって方向安定性を確保。3候補の中では最も優れていましたが、採用されませんでした。