ミニ空母でも戦える! 疑念晴らした革新的戦闘機「シーハリアー」23機撃墜の金字塔

「妥協?」or「創意工夫?」英国的軽空母の誕生

 そもそも、イギリスは第2次世界大戦の戦勝国にもかかわらず、戦後その影響を大きく受けて経済的疲弊が著しかったため、「空母発祥の国」にもかかわらず、厳しい財政事情により正規空母の維持と建造を断念していました。その代わりに採用したのが、コストの安い軽空母でした。

 ただ軽空母は、当然ながら正規空母よりも船体が小さいうえに飛行甲板も狭小で、動力の都合もあってカタパルトの装備が難しく、通常の離着陸(CTOL)機を運用するのは困難でした。とくに空母艦載機が大型化し続けていた1970年代には、せいぜいヘリコプター母艦としてしか使用することができない状況にありました。ところが、前述したような経緯で生まれた「シーハリアー」のおかげで、軽空母は、小さいながらも艦隊防空にも対応可能な「まともな空母」に昇格したのです。

 しかし、実績がある従来型の艦隊空母と通常離着陸機の組み合わせを信奉する守旧派は、まだその能力が未知数の軽空母と「ハリアー」の組み合わせを、「はたして使い物になるのか」と疑っているような状況でした。

 ところが、1982(昭和57)年3月に勃発したフォークランド紛争で、この疑念は一掃されました。現地に派遣されたイギリス空母機動部隊では空母2隻が艦隊の中心を担っていましたが、その片割れである軽空母「インヴィンシブル」とその艦上機「シーハリアー」の組み合わせが、当のイギリス海軍すら驚くほどの戦果を挙げたのです。

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VTOL機の有用性立証で世界中が次々採用へ

 この紛争には、最終的に艦上機仕様の「シーハリアーFRS.1」28機、同機の不足を補うため応援として派遣された空軍仕様「ハリアーGR.3」10機、計38機が投入されています。なお、停戦までに前者が6機、後者が4機失われたものの、いずれも地対空ミサイルや対空砲火、事故によるもので、空戦で撃墜された機体は1機もありませんでした。

「シーハリアー」は、マッハ1(約1225km/h)前後しか出せないにもかかわらず、空戦でアルゼンチンの「ミラージュIII」や「ダガー」といったマッハ2(約2450km/h)級の機体を含む、各種軍用機23機を撃墜(ヘリコプター含む)しています。

 ちなみに、空軍の「ハリアー」は敵機撃墜を記録していません。というのも、空軍の「ハリアー」は海軍の「シーハリアー」と比べ空戦装備が劣っていたので、対地攻撃メインで用いられたからです。

「ハリアー」シリーズは実戦投入される前は、VTOL機特有の推力偏向を用いた空戦技に期待が寄せられていました。結局、フォークランド紛争では、そのようなテクニックは使われなかったものの、旋回性能向上のため飛行中にジェット・ノズルを動かした事例はあったといわれています。

 こうして「シーハリアー」が高い空戦性能を見せつけたことで、フォークランド紛争が終わると、空軍仕様も含め「ハリアー」シリーズを採用する国が続々と出るようになりました。やがて、各国でVTOL機の運用に関して研究が進んだことで、その利便性が広く認知されるようになり、VTOL機について懐疑的な意見をいう関係者はほぼいなくなっています。

 その結果、今日では「ハリアー」シリーズの後継として、より高性能のF-35B「ライトニングII」戦闘機が開発され、イギリス海軍でも運用されています。