レプリカがトヨタ博物館に展示されているトヨダAA型

愛知県長久手市にある「トヨタ博物館」には、トヨタ車に限らずさまざまな国・メーカーの自動車が展示されており、戦前に作られたトヨタの乗用車第1号、「トヨダAA型」も…と言いたいところですが、これはあいにく後年作られた精巧なレプリカです。
肝心の本物は戦後も国内に残存していたそうですが、歴史的評価を考えて残存車両を探し始めた頃には現存車両がなく、戦中戦後のドサクサで旧ソ連、現在のロシアはウラジオストクで見つかった変わり果てた姿のAA方がたった1台の現存車両と言われています。
諸事情により、発見当時の姿のままな現存車両はオランダの博物館で展示されているため国内にありませんが、頑張って作ったおかげで「本物」より素晴らしい作りになったと言われるトヨタ博物館のレプリカを見ながら、トヨダAA型を振り返ってみましょう。
(広告の後にも続きます)
当初から「乗用車」を志向したトヨタ

1933年9月に豊田自動織機製作所の自動車製作部門として発足したトヨタは、それ以前からの調査・研究の実績を活かして自動車の試作を始めますが、当初目指したのはトラックではなく乗用車で、まずはアメリカ車を分解調査するリバースエンジニアリングからスタート。
技術的蓄積がなかったのはもちろん、関東大震災(1923年)以降、日本での現地生産を始めて急速に普及していたフォードやシボレーの乗用車用部品を使って、ユーザーが修理・整備する利便性まで考えてのことでした。
実際、最初に作ったA型試作エンジンはシボレーのコピーなうえに、クランクシャフトなど重要な基幹部品はまだ内製できずにシボレーの輸入部品を使っています。
それでいていざ組み立てるとオリジナルの馬力が出せず、独自改良したシリンダーヘッドを載せたら今度はオリジナル以上の馬力が出たり、ボディの方も金型を作るのに時間がかかるからと、初期には職人がハンマーで板金加工した手作りで製作。
こうして1935年5月にトヨタ初の乗用車、「A1型」が完成しますが、この時点でもまだシボレーの純正部品が数多く使われていました。
一方、途中で商工省(現在の経済産業省)と陸軍からトラックやバスの製作以来があり、こちらにもA型エンジンを載せたG1トラックが1935年8月に完成、同年12月に発売しますが、当初は走れば壊れるの連続で、マトモに走るクルマを作るのはなかなか大変です。
それでも1936年には、純粋に国防上の観点から国内自動車産業の育成と、外国メーカーの締め出しを狙った「自動車製造事業法」によって、日産とともに自動車製造許可会社に指定され(※)、自動車メーカーとしての第一歩を踏み出しました。
(※後にいすゞ自動車の前身企業も指定。なお、ダットサンやオオタなど小型4輪車や、ダイハツ、マツダなど小型3輪トラックは自動車製造事業法の対象外で、あくまで大型乗用車やトラック、バスが対象。)