日本の戦闘機採用で起きた「奇跡の大逆転劇」 米の推薦機を退けた空自トップの言葉とは

2022年のサッカーW杯カタール大会の第1戦で、強敵ドイツに鮮やかな逆転勝利を収めた日本。同じような大逆転の採用劇が60年以上前、航空自衛隊の次期戦闘機選定でもあったとか。大どんでん返しはどう進んだのか振り返ります。

空自が初めて独自に機種選定した第1次F-X

 2022年11月23日、サッカーのワールドカップ カタール大会において日本は強敵ドイツに対して勝利しました。前半、ドイツが先制点を挙げたときは、まさか日本がそのあと、続けてゴールを決めると予想した人は少なかったのではないでしょうか。点を取れないまま後半を迎えた日本代表は、終盤に入ってから立て続けに2点をとり、鮮やかな逆転勝利を収めました。

 実は似たような形で、ほぼ決まっていたものを土壇場でひっくり返して採用された戦闘機があります。それが行われたのは、60年以上前の日本、航空自衛隊の第1次F-X計画(次期主力戦闘機導入計画)でのことでした。

 1950年代の日本は、アメリカから与えられたF-86F「旭光(空自独自の愛称)」やF-86D「月光(同)」といった、いわゆる戦後第1世代ジェット戦闘機を更新するための新型機を導入しようとしていました。そこで航空自衛隊は1957年、選定するための下調べとしてアメリカへ調査団を送ります。

 当時、アメリカ海軍はグラマン製のF11F-1(後にF-11Aへと改称)「タイガー」艦上戦闘機を導入していました。同機は空母への離着艦性能や運動性、操縦性に優れていたものの、いかんせん機体重量に比べて搭載するJ65エンジンがアンダーパワー気味であったことから、最大速度はマッハ1を超える程度しか出ず、加えてペイロードも過少で全天候性能にも欠ける機体でした。

 一方、アメリカ空軍の最新鋭機は、配備が始まる直前のロッキード製F-104「スターファイター」でした。機体重量に比べて搭載するJ79エンジンは十分なパワーを発揮するもので、手が切れるほどの薄いエッジを持つ小さな主翼とも相まってマッハ2.2の高速性を誇っていました。また、機体重量に比べて大きなエンジン出力のおかげで、F-104は最大速度だけでなく、加速性や上昇性能にも優れていました。ただ、その代わりに旋回半径が大きいという弱点もありました。

(広告の後にも続きます)

米国防総省の横やりが元凶?

 航空自衛隊の調査団は、高度約1万6000mまで約8分前後で上昇し、最大上昇限度は約1万8000mで、最大速度はマッハ2以上、戦闘行動半径は約350km以上という数値を次期戦闘機のひとつの性能指針として打ち出していました。

 これに該当するのは、前出のF-104「スターファイター」以外に、ノースアメリカンF-100「スーパーセイバー」、ノースロップN-156F(後のF-5)、コンベアF-102「デルタダガー」の4機種。本来ならこの中から選定されるものですが、なんとアメリカ国防総省からの紹介で、審査対象外だったF11Fの改良発展型であるグラマンG-98J-11が急遽、審査対象に含まれることになったのです。

 その結果、1958年4月に選定されたのは、アメリカ国防総省が推したグラマンG-98J-11でした。理由は、配備直後だったアメリカ空軍のF-104に事故や小さなトラブルが頻発したことや、同機は滑走距離が長く3000m級の滑走路を必要としたことなどでした。

 こうして一度はグラマンG-98J-11に決まりますが、同年8月の衆議院決算委員会で、採用に際して不正があったのではと問題提起され、1959年に再調査することが決定。選定は先延ばしされることになります。

 結局、「黒い霧」が解明されることはありませんでしたが、これを受けて航空自衛隊トップで、太平洋戦争前にはアクロバット飛行の妙技から「源田サーカス」として知られた源田 実航空幕僚長(当時)を団長とする調査団が再びアメリカへ足を運び、改めて調査にあたりました。このとき、彼が発した「乗ってみなければわからない」という一言は、パイロットとしての長いキャリアと実績を重ねてきたベテランにしか言えない、含蓄深い言葉とされています。

 こうして再調査の結果、グラマン社側が「日本の要望に合わせた内容を盛り込める」と豪語していた「設計図だけの幽霊戦闘機」ことG-98J-11は退けられ、改めてF-104「スターファイター」の採用が決まりました。