ハリアー奮戦で「スキージャンプ+VTOL機」英国式が世界標準に! 40年前の“戦訓”

今から40年前の1982年、南大西洋の小島を巡ってイギリスとアルゼンチンが戦いました。そのとき、イギリスが送り込んだのが軽空母「インヴィンシブル」。同艦が戦果を上げ、世界から注目されるようになった経緯をひも解きます。

正規空母を持てなくなったイギリスの決断

 2022年はイギリスとアルゼンチンが南大西洋にある小島の領有権を巡って戦ったフォークランド紛争からちょうど40年の節目の年です。1982(昭和57)年、フォークランド諸島(アルゼンチン名はマルビナス諸島)の領有権争いが引き金となり、ともに親米の西側国家同士が激突した戦いとして、様々な戦訓を後世に遺しました。

 その戦訓には、当初、芳しくない下馬評もあったなかでそれを覆し、真価を発揮した1隻の軍艦もありました。その名は「インヴィンシブル」。イギリス海軍の軽空母です。いったいどんなバックストーリーがあったのか見てみましょう。

 第2次世界大戦の終結後、イギリスの経済は低迷を続けていました。経済の低迷は国家財政にも影響を与え、それは国防予算にも影を落とします。その結果、維持と運用に莫大なコストがかかる正規空母、いわゆる艦隊空母の保有が難しくなります。かつて「七つの海の覇者」としてその名を世界に轟かせ、「空母発祥の国」としての足跡を軍事史に刻んできた同国海軍の衰退は、まさしく栄枯盛衰のひとコマといえるものでした。

 しかし海洋立国のイギリスにとって、シー・レーンの防衛と維持は国家存亡にかかわる重大事項でした。そこで、建造費、維持費、運用費のこれら全てが高コストの艦隊空母に代わる、低コストの軽空母の建造を計画します。

 とはいえ、カタパルトの装備が困難なうえ飛行甲板が狭い軽空母ではCTOL(通常離着陸)機の運用は難しく、垂直離着陸が可能なヘリコプターを運用するヘリ空母にしかなりません。そうなると、対潜任務や揚陸任務などには対応できたとしても、アメリカやフランスの正規空母が行うような艦隊や輸送船団の防空には使えないものになってしまいます。

 ところが、イギリスには切り札がありました。それは、世界で初めて実用機として成功したSTOVL(短距離離陸/垂直着陸)機、「ハリアー」シリーズです。

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スキージャンプを備えるメリットとは?

「ハリアー」は、イギリスが総力を結集して誕生させた革新的な航空機で、長大な滑走路を必要としないのが特徴です。ヘリコプターが離着陸できる場所であれば同じように運用可能なため、自軍だけでなく着上陸作戦時にダイレクトで航空支援が必要なアメリカ海兵隊も注目し、導入していました。

 この「ハリアー」の派生型といえるのが、海軍向けの「シーハリアー」です。軽空母は搭載機数が少ないので、艦隊空母のような大規模航空作戦は実施できないものの、「シーハリアー」が誕生したおかげで、艦隊防空を担うことが可能になりました。これにより、ヘリコプターによる対潜哨戒と合わせて、イギリス海軍のニーズを満たせるようになったのです。

 こうして、イギリス海軍は軽空母「インヴィンシブル」を生み出しますが、設計に際して、きわめて優れたアイデアを盛り込みました。それが飛行甲板への「スキージャンプ台」の設置でした。

 STOVL(短距離離陸/垂直着陸)機である「シーハリアー」は、エンジンの推力だけで垂直に離陸する際には、持ち上げられる重量の都合で燃料や兵装の搭載量が制限されてしまいます。しかし滑走しながら先端へ進むにしたがって上反角が強くなるスキージャンプ式発艦甲板を使うと、エンジン推力だけでなく翼による揚力も得られるので、搭載可能な重量がより大きくなるのです。

 かくして、世界で初めてスキージャンプ式発艦甲板を備え、STOVL機のシーハリアーを艦上機の主力とする、軽空母「インヴィンシブル」は完成・就役します。しかし従来型の艦隊空母とCTOL機の組み合わせが絶対だと考える人たちにとっては、「インヴィンシブル」など中途半端な戦闘艦でしかありませんでした。

「インヴィンシブル」は1977(昭和52)年5月3日に進水し、1980(昭和55)年7月11日に就役しますが、前出したように戦力として通用するかは不透明な状況でした。そのため、一時はオーストラリアへの売却すら検討されたほどです。

 しかし、そのような見方は就役から2年後の1982(昭和57)年に起きたフォークランド紛争で一変します。