なぜ住宅街に? 羽田近郊の知られざる「航空の安全を願う」施設とは  始まりは"御巣鷹"より遥か前

羽田空港がある東京都大田区には、過去の経験から“空の安全を確保する”という強靭な意志を示す施設があります。ただ、その一方で、実は航空会社関係の施設ではないものもあります。その背景には、どのようなことがあったのでしょうか。

日航&全日空ともに“残骸保存”で安全を誓う

 東京・羽田空港の近辺には訓練センターや格納庫などが多くあり、なかには、過去の凄絶な経験から“空の安全を確保する”という強靭な意志を示す教育・啓発施設があります。一方、空港のある大田区内には、航空会社関係の施設ではないところにも、航空事故の犠牲者を弔う施設がひっそりと建っています。それぞれ、施設が建つ理由となった出来事があるはずですので、それは何なのでしょうか。

 まず、航空会社関係の安全啓発施設の現状から見ていきます。おもに羽田空港周辺で取り上げられるものはふたつ。ANA(全日空)グループの訓練施設内(大田区羽田旭町)にある安全教育センター、そして羽田空港の敷地内にあるJAL(日本航空)の安全啓発センターです。各々の施設には、事故機の破片が展示されています。

 ANAの施設に、のちにつながっていくことになった事故は、1966年2月4日に起きた、全日空のボーイング727-100(JA8302)の東京湾への墜落事故です。日本にもジェット化の波が訪れた時代。乗客乗員133人が亡くなり、この犠牲者数は当時、1機として世界航空史上で最大と言われました。

 他方、JALの施設は1985年8月12日に起きた「御巣鷹事故」を教訓としたものです。日本航空運航機であった「ジャンボジェット」ことボーイング747SR(JA8119)が、群馬県上野村の御巣鷹の尾根へ墜落し、520人が亡くなりました。現在にいたるまで1機あたりの事故としては最も多くの犠牲者を出し、「世界最大の航空機事故」ともいわれています、

 これらの施設では、犠牲になった方々や遺族の悲しみが間近に迫るような事故機の一部や部品などが展示されています。事故の恐ろしさが否応なく伝わるとともに、それをセンターに展示し後世に言い伝えることにより安全確保への決意と実践を示す、航空会社の意志が伝わってきます。

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大田区にあるもうひとつの「安全祈願施設」とは?

 その一方、前出した「航空会社関係の施設ではないところ」の慰霊施設は、大田区の住宅街にあり、ANAやJALの施設とは打って変わって、ひっそりとしています。

 その施設は全日空のセンターから約1.3km北、大田区大森南の法浄院にあります。ここでは、戦前の空中衝突事故で地上に墜ちた機体に巻き込まれて亡くなった人たちを祀っています。

 1938年8月24日午前9時頃、当時の東京市蒲田区の東京羽田飛行場を離陸した日本航空輸送会社のフォッカー旅客機と日本飛行学校のアンリオ練習機が空中で衝突し爆発炎上。大森区大森に墜落しました。

 一周忌を伝えた当時の新聞によると、搭乗者を含めて161人が死傷。航空機事故の歴史を調べる専門家によると、この事故の死者数も当時、世界最大だったとのことです。法浄院の由来板には、もともとあった観音堂へ、事故に巻き込まれた85人の慰霊のため地蔵尊や位牌を安置したと記されています。

 現在、法浄院の周囲は住宅は密集しており、80年以上前に事故があったことは想像できません。院の建つ姿もひっそりとしています。

 どんな大きな出来事も時が経つにつれ、人々の記憶から薄れていきます。いまや旅客機は「世界でもっとも安全な乗りもの」とも評されますが、必ずしも“順風満帆”に実現したものではなく、こういった事故を踏まえ、各所が安全に対し血の滲むような努力を注いだ結果である――というのも、忘れてはならないでしょう。

※誤字を修正しました(8月12日8時55分)。