自衛隊の鉄道部隊「第101建設隊」が6年で終わったワケ "国鉄は信用ならん" 短命も大活躍

災害復旧で大活躍、しかし思わぬ”敵”により…

 実戦投入としては、設立間もない1963(昭和38)年と翌年、立て続けに新潟県へ災害派遣されています。

 前者はいわゆる「サンパチ豪雪」で、同年2月に信越本線の長岡駅付近に隊員63名が投入され、線路内に積もった大量の雪を人海戦術でかき出しました。

 一方後者は1964(昭和39)年6月16日に発生した新潟地震の災害派遣で、被災した新潟駅などの復旧のため44名が出動し、この時には前述のジープも派遣されました。

 こうして活躍が期待された第101建設隊ですが、誕生からわずか6年後の1966(昭和41)年4月1日をもって“解散”の憂き目にあってしまいます。

 急激なモータリゼーションがその理由です。1950年代後半から高度経済成長に突入した日本では、「高速自動車国道法」が制定されたり、1964年の東京五輪が決定したりすると、これを起爆剤に猛烈な勢いで高速道路が建設され、並行して鉄道も高速化。旧来の蒸気機関車は電気またはディーゼル機関車に交代していきました。

 時代が急激に変化する中で、陸自の“兵站”も高速道路を使ったトラック輸送の比率が上昇。「国道が悪路」「スト対策」という当初の存在理由は急速に薄れ、主力の蒸気機関車も陳腐化し「手間・暇・コスト」のかかる遺物と見られ始めました。

 そしてついに会計検査院から「鉄道が不通になってもトラックが十分代替できるためムダである」との烙印を押され、残念ながら解隊となってしまいました。

「鉄道」から「道路」、「石炭」から「石油」へと急変する時代の、まさに徒花(あだばな)だったと言えそうです。