「ほかの船がいるのが面白くねぇな・・・」と船長はつぶやいた。

加平丸は西へと進む。

東京湾を横断するかたちで神奈川県側に寄ると、猿島を遠くに望む第三海堡跡から南寄りのポイントで釣りが始まった。

マダイ船がいくらか集まっている。

山田船長自らも操船しながら手バネでテンヤを送り込む。

蒼一郎はタイラバ、オレはSLJだ。

「30ピロだな」との山田船長の言葉どおり、おおむね45mほどで着底した。

「ヒロ」ではなくて「ピロ」。

渋い。

だいたい、実際に声に出して読んでほしいのだが、「さんじゅっひろ」より「さんじゅっぴろ」のほうがはるかに歯切れがよくて言いやすい。

 

83年間も水深を発声し続けているのだ。

少しでも言いやすい言い方になるに決まっている。

山田船長は生まれたときから船上で水深を申し述べていた計算になるが、いいのいいの。

と、テキトーなことを考えていると、いきなり蒼一郎の竿が曲がった。

「お~」と言いながら山田船長がタモを構え準備しようとしてくれる。

その心意気が温かい。

朝イチから早くも1種目クリアか、と思ったが、すんなりと上がってきたのは、おお、まさかのアジだった。

タイラバでアジ!ほんのりと聞いたことはあったが、実際に釣れたのを見るのは初めてだ。

これをもってオレのタイラバ理論は確実なものとなった。

それはつまり、タイラバのキモはネクタイ&スカートにあり、ということだ。

タイラバ愛好家の皆さんにとっては「今さらそんなこと言ってんのかよ~」という話だと思うが、まぁ聞いてくださいよ。

オレの目にはタイラバは「ヘッド+ネクタイ+スカート」でワンパッケージに映っていた。

丸くてデカい頭にヒラヒラが付いてる珍妙な生き物、である。

だがそんな生き物は海中にはいない。

だから、そうそう魚がタイラバに食ってくるはずはない。

釣れるのは何かの間違いか奇跡か出会い頭の事故のようなものだ、と思っていたのだ。

つまり、タイラバをあまり信用していなかったのである。

だが、蒼一郎が釣ったアジを見て、考え方がついに変わった。

アジの口よりはるかにデカいヘッドを、わざわざ食おうとするわけがない(たぶん)。

明らかにネクタイ+スカートに狙いを定めているのだ。

ネクタイの紳士+スカートの淑女を狙う魚たち、か。LGBTQに対してどんどんオープンになっているのは、どうも陸上だけの動きではないようだ・・・。

などとまたしてもテキトーなことを考えていると、オレのジグにもアジが食ってきた。

今日のアジはなかなかやる気である。

なんにしても魚が食ってくるのはよき知らせだ。

これはイケるかと思ったものの、それきり海は沈黙した。

山田船長のテンヤにも、蒼一郎のタイラバにも、そしてオレのジグにも、何も食ってこない。

「潮が黒いんだよな・・・」と山田船長が言った。

濁っているのはいい。

だが、その色が気に入らないと山田船長は言うのだ。

そして「ほかの船がいるのが面白くねぇ」とつぶやいた。

重くて軽い!なんて重くて軽い言葉なんだろう。

「潮が黒い」にもシビレたが、「ほかの船がいるのが面白くねぇな」である。

若いではないか。

釣れている所に釣り人あり。

釣りの鉄則は、「釣り人がいる場所を狙え」である。

だが一方で、さんざん人に叩かれているポイントでの釣りは、確かに面白くはない。

「絶対に釣る」というつもりなら、ほかの釣り人もいるポイントに居座るのが得策だ。

だが、いかにも保守的ではある。

人がいない所で釣ってみたい、自分の力で苦境を切り開きたいという若々しい攻めの気持ちを、山田選手は持ち合わせていた。

ああ、思わず間違えて「選手」と打ってしまったが(本当)、釣りのスポーツとしての側面、そして遊び心を持ち合わせている山田船長は、まさに選手と呼ぶにふさわしいフレッシュさで83年間海に向き合ってきたのだ(赤ちゃんのときから船に乗っている計算)。

(上)どうやって釣るのよ?と言っている先から、ジグに掛かってきたのは・・・。(中)大きなアジ。宙層で頻繁にアタってきた。(左下)点で攻めるテンヤ、線で探るタイラバ。今日はタイラバのほうがアタリが多いのでは?と読む。(右下)蒼一郎はタイラバでマダイをロックオン。

気温が上がると房総半島がモヤの上にくっきりと浮かび上がった。

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マダイが繋いだ「三世代のバトン」と 「今日」という日の美しさ

釣り開始から1時間半ほどたった午前9時、山田船長はそれまでのポイントを見限り、一気に久里浜沖まで南下した。

ほかに遊漁船の姿はほとんど見当たらない静かな海だ。

「ここのほうが面白ぇや」と山田船長は言った。

「間違いねぇや」とオレは心の中で思った。

釣り始めてほどなく、蒼一郎は黙ってタイラバでマダイを釣った。

勝手に「三世代のバトン」が完成したように感じた。

昼過ぎ、潮止まりから上げ潮に変わった海は、なんとなくざわつき始めた。

オレのジグにはアマダイやサワラが食ってきたが、マダイは黙ったままだ。

蒼一郎のタイラバには何度もアタリがあったのに、弾かれてしまったようだった。

残り30分。

山田船長は諦めない。

船を疾走させてポイントを変える。

最後までテンヤを落とし続けている。

つくづく、若い魂を持った人だ。

それでも海は応えない。

本命のマダイは1枚きりだった。

オレたちは空がきれいな内房に加平丸で戻る。

なんの文句もない。

今日という日は、もうでき上がっている。

「潮が全然だもんなぁ」と山田船長はぼやいた。

口調はまったく暗くない。

ボソッと付け加えた。

「またいい日があるよ」と。

グッときた。

涙をこらえた。

83年の長きにわたって海で生きてきた男は、悪いときやいいときをへて、今ここに生きている。

その言葉を生で聞けただけで、とても幸せだ。

父は空の向こうに消え、目の前には山田船長と蒼一郎がいた。

サワラを釣ったのは、我われ親子の釣り史上初めてだった。

いつもどおり淡々と、初めてじゃないかのように手慣れた様子で蒼一郎がさばき、胸に迫るお造りと炙り寿司にしてくれた。

蒼一郎には後日、タイラバ専用竿をリクエストされた。

アタリが何度もあったのに釣れなかったのが悔しかったようだ。

海は最高だ。

あ、沖藤ニャン集長の厳命はひとつしかクリアしてねえや。

またいい日があるよ。