1993年に1BOX車を除く乗用車(コモワゴンのみ2010年まで販売)、2002年にはSUVも国内販売をやめてしまったとはいえ、いすゞ自動車はかつて1960年代までトヨタ、日産と並ぶ「御三家」と言われていた時代もある老舗メーカー。
主力はあくまでトラックやバスで、個人向けの車は常に単独開発の余力が乏しかったものの、OEMを除く自社生産車の全てがそうだと言ってよいほど、個性的な車揃いでした。
「個性はオールスターズ」ないすゞ車の中から、特に個性的な3台を紹介します。
117クーペ(1968年)
いすゞ初の2ドアクーペとして登場、コードネーム117として開発されていた段階で、イタリアのカロッツェリア・ギアに送ってデザインを依頼し。117サルーン(後のフローリアン)とともに、117スポーツとして1966年に発表されました。
117サルーンと異なりカーデザイナーの巨匠 ジョルジェット・ジウジアーロが担当したデザインは非常に美しかった一方、当時のいすゞ生産ラインの能力では生産不可能だったため、初期型は職人が叩き出すハンドメイドボディで、非常に高価な事でも知られます。
後に量産可能となった時はデザインに手が加えられており、ラインで生産された中期型・後期型と初期型では価値が大幅に異なるのも特徴です。
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ピアッツァ(1981年)
117クーペ後継の開発時、いすゞが当然のごとく指名した巨匠ジウジアーロによってデザインされた2ドアクーペです。「アッソ・デ・フィオーレ」として公開された美しい車が、単なるコンセプトカーではなくピアッツァとして市販された事で、世界中を驚かせました。
側面デザインとボディカラーによってはソックリな「マヨネーズ」という異名や、車内の操作系をメーターパネル周りへ集中させたサテライトスイッチなど奇抜さも満載でしたが、中身は117クーペ末期型譲りのDOHCエンジンを搭載した保守的なFRクーペ。
新車販売当時の販売実績は不振だったものの、あまりの個性に今でもカルト的な人気と、ネタ満載で楽しませてくれる車です。