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林原めぐみ- Key Person 第13回 –

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結局、何を作るにしても 大事なのは人間力

J-ROCK&POPの礎を築き、今なおシーンを牽引し続けているアーティストにスポットを当てる企画『Key Person』。第13回目は1991年の歌手デビューから今年で30周年を迎えた林原めぐみ。86年に『めぞん一刻』でアニメデビューし、声優・シンガー・ラジオDJなど、多岐にわたって活動してきた彼女の仕事の軸にある想いを訊いた。

最初は華々しいものではなく 今後の道筋もなかった

──林原さんは小学生の時に映画『さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち』(1978年公開)を観て、声優という職業を初めて意識するようになったそうですが、その当時はどんなお気持ちでしたか?

平たく言うとショックでした。アナライザーというロボットがいるんですけど、それが実際にしゃべってるんだと思っていたのに“人なの!?”って。アナライザーを演じられているのは緒方賢一さんで、今では共演も多く、大好きな大先輩ですけどね。当時は声優という職業がクローズアップされることは特にはなかったので、魔法少女アニメの最終回で“次はあなたの学校に転校してくるかもしれません”と言われたら、本気で来るのかと思ってしまうくらいピュアで(笑)。映画のパンフレットに声優さんの顔写真が載っていて、森 雪さんも古代 進くんも全員大人が声を当てているのがあまりに衝撃的すぎて、“私が今まで観ていたアニメって全部人だったの!?”と混乱するわけですよ。だんだんアニメ雑誌が刊行され始めると、“この声とこの声は同じ人なんだ”と知るようになって、そこからズブズブにハマっていき、アニメを観ていても声ばっかり気になっちゃってましたね。大人の女性が男の子の声をやっていることにも驚いたし、探究してました。

──ショックを受けてもアニメを嫌いになることはなかったんですか?

それは不思議となかったんです。別の角度というか、今まで観ていたアニメにもっと奥があったことが面白くて、アニメを観ながらどの声優さんなのか当てたりして、もう声優オタクの始まりですよね(笑)。もちろんその後も『ヤマトよ永遠に』(1980年)を観て涙しましたし、ストーリーとして観る能力も失ってはいないんですけど、エンドテロップも気になるようになりました。

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──そんな声優ファンだった林原さんですが、高校卒業後に声優養成オーディションを受けて特待生として合格し、急速に人生が変わっていったんですよね。

実際は養成所に入っても週に一回通うだけで、普段は学校に行っていたから最初はお稽古事の延長みたいな感じだったんです。特待生というものの、一期生だったから先輩もいなくて、今後どうなっていくかの道筋もありませんでした。一緒に養成所に入った人の中には、大学生やテーマパークのダンサーがいたりと、声優志望の方だけじゃなくいろんな人がいたんですよ。稽古場は畳でしたし、掃除している人が社長だったりして、そんな華々しいものではなかったので、そこで声優になれるという感覚は正直なかったですね。でも、講師に千葉 繁さんが入ってきてくださって、本物の声優さんと触れ合いながら心の作り方を学んでいくうちに“まだ人生で一度もやったことがないことをやっているんだ”という実感が湧いてきました。そういう訓練をし始めて、より“本当に声優になれたらいいのにな”っていう気持ちになっていきました。

──オーディションを受けた当初は勢いもあったそうですが、プロとしてやっていく自覚が芽生えたきっかけはありましたか?

養成所生の頃に富士急ハイランドのスケートリンクで、深夜DJをやったことがあるんですけね。みなさんのリクエストにお応えして園内で曲をかける仕事で、その時はまだ学生のアルバイトみたいな気持ちだったんです。仕事中に何かを間違えて注意をされて“でも、私たちプロじゃないし”って言ったらものすごく怒られて。“君たちが養成所の人間でプロじゃなくてもこっちは金払ってんだ! お金が発生した時点で君たちはプロなんだよ”と言われてから、意識改革のスイッチがパッーチンと入ったというか。プロじゃないっていうのは謙遜のつもりで言ったことだけど、“一人前じゃなくても現場に入ったらプロなんだ”って目が覚めました。

歌詞は台詞ではないけど、 表現に音符がついただけ

──その後、声優業に専念する中で歌手としてもシングル「虹色のSneaker」(1991年3月発表)をリリースされますが、“声優は裏方として声をあてる職業”という意識が強い林原さんにとって、歌手デビューには戸惑いもあったのではないでしょうか?

戸惑いだらけでしたね。歌うことは自分の目指したところではなかったし、ミーハーな感覚でレコーディングスタジオに行って、自分のために曲が作られていくのが社会科見学をしているようで、ずっと続くものとは思っていなかったんです。“そういうお仕事がきたから、今の私は全力でやるだけだ”という感覚で。でも、レコーディングで““青空……”の“ら”を歌い切ったら倒れてもいいくらいの気持ちで伸ばして”とか、“もっと青空は高いところにあるよ”“あなたの空はどの辺にあるの?”と言われて、歌うってこともちょっとお芝居に似ていたんですよ。歌詞は台詞ではないけど、表現に音符がついただけなんだって思うようになって、歌手デビューではなく“歌で何かを表現する”という扉が開いた感覚ですね。自分を卑下するわけではないけど、私は歌唱力が抜群にあるわけじゃないし、当時のプロデューサーの大月俊倫さんもそこを求めていたわけでもなくて。ものすごく練習して歌った時に“つまらない。上手に歌えても売りものにならない”って言われたことがあったんですよ。その時は“こんなに練習してきたのに!”って思ったんですけど、“歌がうまい人が歌手なら、音楽の先生はみんな歌手でしょう。あなたに求めているのはそんなことじゃないんだけど”と言われた時に、“じゃあ、何を求められているんだ?”と考えたんです。もっと歌詞の住民になって、悲しみを伝えたり、喜びを分かち合ったりすることが大切なのに、私は何で音符を読んでいたんだろうって気づいて、おぼろげながら“声優が歌うジャンルって、この先あってもいいのかも”と思いました。舞台俳優の方たちが歌を収録したCDを出して、その舞台を観た人が聴いて号泣するような。そしたらすでに大先輩の水島 裕さんや三ツ矢雄二さんもやってらしたので、自分はその継承であり、歌手として世に出るのではなく、声優として、歌というかたちで表現するという感覚になったんです。

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