top_line

【 最新ニュースをアプリでサクサク読むなら! 】

「ユー・アー・ウーマン!」屈辱をこらえた巨人のジョンソン、最下位からの優勝の原動力に【プロ野球はみだし録】

週刊ベースボールONLINE

“ジョン損”とまで揶揄されて……



巨人・ジョンソン

 ここ最近、「いま一番ダメなこと」という言説を聞くことが多い。ダメなことは時代を問わずダメなわけではなく、時代によってセーフがアウトに、アウトがセーフになるものらしい。1975年から76年、V9という空前絶後の黄金時代が終わり、栄枯盛衰の物語を紡いだ巨人で起きた“事件”、これは現在の感覚では間違いなくアウトだろう。率いていたのは伝説的な引退セレモニーを経て75年に就任したばかりの長嶋茂雄監督。自身の穴を埋めるべくメジャーから補強したのがジョンソンだった。

 73年に二塁手として当時のメジャー最多43本塁打を放ったジョンソンが巨人で任されたのは、長嶋がいた三塁。これで歯車が狂い始める。慣れない三塁守備は打撃にも影を落とし、来日1年目の75年は打率.197と低迷、巨人も長い歴史で初めて最下位に沈む屈辱。その“戦犯”とされたのがジョンソンで、さらには“ジョン損”とまで揶揄された。これもアウトかもしれないが、まだ序の口。翌76年は本職の二塁で再起を図るも、開幕して早々、死球で右手の親指を負傷して、6月に帰国して治療することに。試合を終えてシャワーを浴び、バスタオルを腰に巻いただけのジョンソンに“事件”が起きる。

 長嶋監督が近づき、そのバスタオルをはぎとると、「ユー・アー・ウーマン!」と叫んだという。このとき股間を指さしたとも伝わる。現在ならアウトだ。ただ、ここからが振るっている。屈辱に震えたジョンソンだが、治療して復帰すると、打率.275、26本塁打、74打点と、前年の倍ほどの活躍。巨人も最下位から一気にリーグ優勝へ駆け上がった。

 当時、いわゆる“お騒がせ外国人”が各チームで騒動を起こすことが続き、長嶋監督もジョンソンが治療を言い訳に復帰しないと思ったのだという。だが、復帰したジョンソンを使い続けたのが長嶋監督だったことも見落としてはならない。ただ、これが21世紀の現在に起きたことなら、ジョンソン退団、長嶋監督は更迭などというシナリオも想像できる。最下位からリーグ優勝というドラマもなかっただろう。ダメなものはダメだが、ジョンソンも長嶋監督も、ダメなものをダメだからと終わらせず、それぞれの忍耐と反省を経て結果を呼んだことは確かだ。

文=犬企画マンホール 写真=BBM

TOPICS

ランキング(スポーツ)

ジャンル