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新田恵利 おニャン子全盛期に感じた“孤独”埋めたのは読書

女性自身

住んでいた場所は違っても、年齢が近ければ「そうそう! わかる」って盛り上がれるのが、青春時代にみんながこぞって読んでいた本の話。各界で活躍する同世代の女性と一緒に、“あのころ”を振り返ってみましょうーー。

「最近、何年かぶりに吉本ばななさんの『キッチン』(’88年出版)を読んでみて、若いころに感じていた繊細さがなくなっていることに気づかされ、つくづく“おばさんになったな”って思いました」

ちょっと自嘲気味に語るのは、タレントの新田恵利さん(53)。幼いころから読書が趣味だった。

「母親は、お菓子には厳しいけど、マンガを含め、本っていうとすんなり買ってくれました。今でも覚えているのは、自分の体より大きいくらいの『シンデレラ』の本を抱いていたこと。本屋さんも好きで、移動中に時間があれば中に入って、平積みになっている新刊は必ずチェック。『キッチン』を手にしたのも、芸能活動で忙しく、新幹線での移動も多かったころでした」

おニャン子クラブのエースとして人気が出れば出るほど、仲のよかった友人との距離を感じ、孤独感が強まった。時間に追われ、時にはやりたくない仕事もやらなければならなかった。そんなとき、現実を忘れさせ、寄り添ってくれたのが本だったのだーー。

「うちは両親が再婚同士。物心ついたとき、大正生まれの父はおじいちゃんみたいな年齢だったし、昔気質の大工さんということもあって、男尊女卑といいますか“昭和の男”って感じでした」

当然、1台しかないテレビは、父親の支配下。

「一家そろってプロ野球を仕方なく見ていました。でも、私が中学生くらいになると、だんだんと子どもたちの発言力も増してきて、『ザ・ベストテン』(’78〜’89年・TBS系)は見られるようになったんです」

年齢の離れたきょうだいの影響でアリスが好きだったが、学校ではたのきんの話題が主流。

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「中学っていちばんいじめが多い時期じゃないですか。話題についていく必要があったし、トシちゃんやマッチだと、友達とかぶってしまうので、学校ではヨッちゃんファンで通していました」

やがて高校生になり、最初はごく普通に過ごしていたが、3年生に進級するころ、大転機を迎えた。

「女子大生が出演していた『オールナイトフジ』の女子高生版に出演したんです。芸能界には興味なかったのですが、スタッフさんから『新しい番組が始まります。アシスタントをやりませんか』と誘われて。しかも日給5,000円!(笑) すぐに計算しましたよ。5,000円が週5で、2万5,000円。4週間なら10万円! 当時、アルバイトしていた不二家は時給400円弱で、どんなに頑張っても月に3万円ちょっとだったから、迷いはありませんでした」

その番組が『夕やけニャンニャン』(’85〜’87年放送・フジテレビ系)。アシスタントのつもりで参加したが、おニャン子クラブの会員番号4番を与えられ、アイドル活動を始めることに。

’86年には『冬のオペラグラス』でソロデビューを飾り、中学時代に夢中になって見ていた『ザ・ベストテン』にも出演した。

「生活は一変しました。昔って電話帳に名前も住所も載ってたじゃないですか。『新田』っていう名字は、そうそう多くないので、すぐ自宅が見つかっちゃったんです」

自宅近くの大きな駐車場にはファンが大挙し、傘や表札、自転車のサドルやベルが持ち去られた。人気が出て、ファンに囲まれれば囲まれるほど、逆に孤独になっていったという。

「移動中の電車も、話しかけられないようにウォークマンを聴いて、寝たふりをしていました。いちばんショックだったのが、中学で同級生だった男のコに駅でばったり会ったとき『俺のこと覚えてる?』って聞かれたこと。自分ではタレントをやっている意識もなかったので、同級生にそう言われるっていうのは、なんかすごく線を引かれたというか……」

急激に変化した環境になじめず“現実逃避”するために、眉村卓などのSF小説を好んだという。

「女性自身」2021年4月20日号 掲載

 
   

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