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【あの頃のロマンポルノ】第8回 神代辰巳監督の「赫い髪の女」

キネマ旬報WEB

2021年に、日活ロマンポルノは生誕50年の節目の年をむかえました。それを記念して、ロマンポルノの魅力を様々な角度から掘り下げる定期連載記事を、キネマ旬報WEBとロマンポルノ公式サイトにて同時配信いたします。キネマ旬報」に過去掲載された、よりすぐりの記事を「キネマ旬報WEB」にて連載していく特別企画「あの頃のロマンポルノ」。

今回は、ロマンポルノ作品として1979年第53回「キネマ旬報ベスト・テン」の日本映画第4位に選ばれた神代辰巳監督の『赫い髪の女』をピックアップ。1979年4月下旬号より、斎藤正治氏による映画評を転載いたします。

1919年に創刊され100年以上の歴史を持つ「キネマ旬報」の過去の記事を読める貴重なこの機会をお見逃しなく!

人間の存在を問う試み

 「赫い髪の女」で、またしても“束の間の共同体”を描いて、人間の存在とはなにか、を問う試みを展開、みごとに形象化してみせてくれた。

 またしても、というのは「櫛の火」で、それを見ているからだ。巨大なブルトーザーに追いかけられる「櫛の火」の男のトップシーンは、ダンプカーをやりすごして歩く女宮下順子に対応する。「櫛の火」の主人公も、「赫い髪の女」の男石橋蓮司も、子供の三輪車をこいでいた。強い女の性に、幼児化しようとする男の意識下の願望が両方の作品にひょんと出ていた。さらになにより草刈正雄・ジャネット八田の一対の男女がくりひろげる体位のバリエーションが、石橋蓮司・宮下順子の家庭にも、たっぷり展開されていた。そういう相似点を含めて、神代は、束の間の共同体に託して、再び性的存在として人間をテーマにした。

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 「櫛の火」は小市民的な知識階層の人物たちだったため、その虚飾性をはぎとる手続きも描く過程もあったが、「赫い髪の女」は、もうはぎとり虚飾のなにもない肉体労働者の男女に設定を下降させての世界である。そこで神代は、内実を崩壊させたまま、形骸だけが生き残っている現代の家庭に対して、それとは逆に形すらもさだかでない“家庭”をとりあえずつくりあげて、その生活の中での人間とは何だろうかを、試みているのだ。草刈・ジャネットや、石橋・宮下がつくった“家庭”を、私は(清水潤の云い方を借りて)当時“束の間の共同体”と名付けた。

 トップシーンで「憂歌団」のやりきれなくけだるい調子の「どてらい女といわれても/せめてあんたといる時にゃ/弱い女でいたかった」という歌が流れるが(神代は音楽の挿入が実にうまい)「赫い髪」の宮下順子を、形容してぴったりだ。ということは彼女も、神代が一貫して描き続けてきた”強いがやさしい女”だからだ。ついでにいえば、登場する女たちは亜湖も和服行商の絵沢萠子もアル中乞食を養う山口美也子も、みんな“強くて”、男に尽くしてやさしい。

 二対の男女、宮下・石橋組と若い亜湖・阿藤海カップルで、女に共通しているのは性を女から仕かけていくことだ。宮下の体は常に石橋の上にあったし、若い二人は亜湖の方が行動の主導権を握っている。このような関係は、性だけが確実に、共同体の出会いや行末を保証していて、その紐帯が切れたら、これらのカップルは崩壊するしかないとおそれているように、女上位である。神代の描いた女上位はしかし、いまはやりの自立などというレベルを超えて、女が男を組敷く体位だけが、自分の存在しているあかしであるといっている。はじめに、人間の存在を問う試みをしている作品だ、と書いた理由である。

 女が転がり込んで過ごす“束の間”の日日は、雨ばかり降っていて、物みなかびてしまうガタピシのアパート。下着や靴下の匂いがムンムンとし、女はスーパーのラーメンや卵の安さに異常にこだわっている。まさに生活的な女といえそうだが、そういう設定にしながら神代は彼女に、普通の生活感覚を背負わせない。日常のなかで、「一日中やっていようよ」とやりまくらせ、孤独と実体がさだかでない不安から通れようとあがき、そうすることでますます内部崩壊を加速していく女を描いた。宮下順子の泣きべそと笑いの往還する表情に、現代の家庭といって適当でなければ、人と人のつながりのありようを見る神代の目は、深くエロチックであり、狂暴でありながらさめている。「櫛の火」とのつながりでいえぽ、性に耽溺し、それを内部から自分を食い破る営為としたことで、いっそう深く、存在としてのいまの女を描き出した。神代の中に沈潜する無常感を、女の性のさらに深部で表現したともいえる。神代特有の意識・心象の映像による形象化を、いっそう進めたところでなしとげた作品として、私はおののきながら見た。高い“性の存在論”ともいえる神代の作品に、宮下順子、石橋蓮司、それに亜湖がすぐれた演技で応えている。

文・斎藤正治
「キネマ旬報」1979年4月下旬号より転載

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