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渡辺いっけい、「嫌われ役者」の価値観を三谷幸喜が変えてくれた

SmartFLASH

 もうかれこれ、30年ぐらいになるのかな。冷たいカフェオレを飲みながら、疲れたときはいろいろな話をしちゃってますね。甘いものが好きなので、ケーキを一緒に食べます」

 

 舞台にドラマにと、多くの作品で活躍する渡辺だが、子供のころの夢は漫画家だった。

 

「小学生のときに好きだったのは永井豪さん。『ハレンチ学園』とか『あばしり一家』とかちょっとエッチな漫画でね。

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 テストのときに答えを早く書き終わると、裏に永井豪さんを真似たエッチな漫画を描いたりして、親が呼び出されたこともありました(笑)」

 

 黒インクやケント紙を準備して漫画に夢中になった。好きなことが仕事になる喜びを味わったのが、小学校の壁新聞係を担当したときだった。

 

「自分たちの漫画をみんなに読んでもらいたくて壁新聞係になったんですが、それまで自分たちのお小遣いで買っていた道具を学校が用意してくれるんですよ。

 

 自分の価値観がひっくり返るというか、大袈裟な言い方をすると、好きでやっていたことが仕事になった瞬間でしたね。このときの感覚をすごく覚えています。

 

 それと壁新聞を張り出すときの高揚感。クラスのみんながワクワクしながら張り出されるのを待っているんですよ。

 

 これがエンタメの原体験じゃないけど、本当に自分が好きなことをやって、みんなに見てもらって楽しんでもらうことの喜びを、ここで覚えちゃった感じはありますね」

 

■文化祭の舞台から客席を見た瞬間…

 

 漫画家を目指していた渡辺は本名の「一惠」を音読みして「渡辺いっけい」というペンネームまで考えていたが、高校で衝撃を受けるほどの才能を持った2人に出会い、夢を断念。

 

 その後はサブカル系雑誌の投稿コーナーに夢中になった時期もあり、何かおもしろいことを仕事にできないかとぼんやり考えていた、まさにそのときだった。

 

「文化祭って体育館が劇場になったりして、学びの場がエンタメの場にひっくり返りますよね。それがすごく楽しくってね。

 

 自分もひやかしで舞台に出たんですが、出番の直前、舞台の袖からわっと沸いているお客さんを見たときに鳥肌が立ったんですよ。

 

 これを職業にしてる人がいるんだって、役者になったらこれを365日できるんだって気がついた。早速翌日から役者を目指すにはどうしたらいいか、進学先を考えました」

 

 こうして大阪芸術大学に入学した渡辺だったが、またも入学直後に挫折を味わう。

 

「演劇コースで体力テストを兼ねて山登りの授業がありました。僕は途中でへばって頂上まで行けず、助けてもらった先生に『スタッフという手もあるから』と、最初の授業で駄目出しを食らって、もうがっくり。演技ではなく体力への駄目出しですよ(笑)」

 

1991年の舞台『デジャ・ヴュ』出演時

 

 ここで諦めかけた渡辺に、大きなチャンスが巡ってくる。たまたま代役を務めた学内の舞台を「劇団☆新感線」のいのうえひでのりが観ていた。

 

「気持ち悪い演技をする」と彼の目に留まり、「劇団☆新感線」の一員となる。

 

「のちに僕が勧誘しますが、3つ下に古田新太が、京都の小劇団『劇団そとばこまち』には生瀬勝久さんがいて。僕が大学時代に見て抜群にうまいと思ったのはこの2人。

 

 何十年もたった今でも、このときにすごいと思った人がしっかりと売れているのはまさに実力の世界だなと実感します」

 

「劇団☆新感線」を経て東京に進出した渡辺は、「状況劇場」に入団。2年で解散した後はプロデュース公演をおこなっている劇団を渡り歩く。

 

「24〜26歳ぐらいで、このころの僕は本当にひどかった。とにかく目立たないといけないと思って、自己アピールばかり考えて舞台に立ってました。

 

 自分が客席を沸かすから、それまではつまらない話になってればいいと思ってたぐらいで、共演者から嫌われている役者だった。

 

 文学座のベテランの方から『いっけいちゃん、芝居っていうのはみんなで作るものなんだよ』と飲み屋で静かに言われたこともありましたが、その言葉すら右から左へ流してました」

 

■三谷作品に感動し、考え方が大きく変わる

 

 そんなときに観に行った芝居が三谷幸喜氏が主宰していた「東京サンシャインボーイズ」の『ショウ・マスト・ゴー・オン 幕を降ろすな』だった。

 

「どの役者がおもしろいかと、まずは査定から始めます。でも、いつの間にか物語に引き込まれて、気がつくと拍手をしていてね。

 

 その日は楽日で、鳴りやまない拍手っていうのを初めて経験しました。このときにやっと気がつくんです、芝居は役者の品評会じゃないんだって。

 

 物語を楽しむものなんだって。このことに気がついたのが僕にとっては本当に大きかったんです」

 

 それから渡辺は変わった。NHKの朝の連続テレビ小説『ひらり』に出演したことも大きかった。30歳のときだ。

 

「NHKのディレクターが、映像の場合は演技はこうしたほうがいいとか、本当に細かく教えてくれました。

 

『ひらり』放送後に出演した『クロレッツ』のCMも大きかった。亡くなられた市川準監督が僕の横顔がおもしろいと撮ってくださったんですが、この映像の2作品は僕にとって本当に大きい仕事でした」

 

 渡辺はいま58歳。活躍の場は多いが、舞台だけは絶対に続けたいと言う。

 

「生の舞台は体力的にも、やり直しがきかないという意味でもしんどい。でもお客さんにさらされ続けないといけないんじゃないかなって思うんです。

 

 僕の中で目指したい役者さんが何人かいて、伊東四朗さんはそのお一人。『ひらり』でご一緒したときに台本を外してリハーサルをされていて、僕も見習ってそうしてきました。

 

 先日観た舞台では、肩の力が抜けた本当に素晴らしい芝居だった。今でもリハーサルでは台本を外していらっしゃると聞き、ただただカッコいいなと思いましたね」

 

 NHK大河ドラマ『青天を衝け』では藤田東湖を熱演し、映画版『バイプレイヤーズ』にも出演。

 

「『状況劇場』の先輩もいて、それこそカオスで楽しかったです。僕はものを作り込んでいく作業が好き。これからも自分が入り込める役をやっていきたいと思っています」。

 

わたなべいっけい
1962年10月27日生まれ愛知県出身 1983年、大阪芸術大学在学中に学生劇団「劇団☆新感線」に参加。1985年、大学卒業後に上京し、「状況劇場」に入団(1988年に退団)。1992年、NHK連続テレビ小説『ひらり』で好演して以後、多くのテレビドラマでも活躍。NHK大河ドラマ『青天を衝け』では徳川斉昭の側近・藤田東湖を演じた

 

【カフェ カナン】
・住所/東京都世田谷区北沢2-7-6 テクノプラザ下北沢102(京王井の頭線・小田急線「下北沢駅」より徒歩2分)
・営業時間/10:30〜19:00(カフェ)、19:00〜5:00(バー
・休み/不定休
※緊急事態宣言下のため要確認

 

写真・野澤亘伸
ヘアメイク・園部タミ子

 

(週刊FLASH 2021年3月30日・4月6日号)

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