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中畑清の口グセが「絶好調!」になった理由/プロ野球仰天伝説179

週刊ベースボールONLINE

長いプロ野球の歴史の中で、数えきれない伝説が紡がれた。その一つひとつが、野球という国民的スポーツの面白さを倍増させたのは間違いない。野球ファンを“仰天”させた伝説。その数々を紹介していこう。

長嶋監督に「調子はどうだ?」と聞かれて



巨人・中畑清

 現役時代、中畑清ほど“ジャイアンツ愛”に燃えていた男はいない。1976年、駒大からドラフト3位で巨人入団。層の厚い巨人野手陣のなかで、なかなか一軍出場のチャンスに恵まれず、3年間で12試合の出場にとどまった。

 しかし、78年オフ、レッズとの日米野球でソトから2ラン本塁打。実はクラウンとのトレードがほぼ決まっていたのだが、この一発で“ジャイアンツ中畑”はクビの皮一枚つながった。

 このころからの口グセが「絶好調!」だ。長嶋茂雄監督に「調子はどうだ?」と聞かれた際、「まあまあです」と答えたら、土井正三コーチに「そんなんじゃ、使ってもらえんぞ。いつも元気よく『絶好調です!』と答えろ」と言われたのがきっかけだったという。

 翌79年には高田繁のケガもあって三塁の定位置をつかみ、陽気な言動と闘志あふれるプレーで、たちまち人気者となった。そのオフ、「伊東キャンプ」で徹底的に鍛えられ、80年は初の規定打席に到達。しかし同年限りで、プロ入り前からあこがれ続けた恩師・長嶋監督が無念の思いでユニフォームを脱いだ。

 81年、大学No.1三塁手と言われた原辰徳が入団。それでも藤田元司新監督は中畑の三塁は動かさず、原をセカンドに回すが、開幕1カ月で中畑自身がケガ。復帰後は一塁に回り、三塁には原が座った。それでも同年の打率は.322。原の代わりにセカンドに入った篠塚利夫の好調もあって、ジャイアンツはリーグ優勝&日本一となっている。

 その後、一塁のポジションを守り、四番にも何度も入った。レジー・スミスの加入、駒田徳広の成長で外野転向の話が出たこともあるが、そのたびにはねのけ、82年から88年までは一塁でダイヤモンドグラブに輝いている。三塁に再コンバートされた89年はケガもあって出番が激減。それでもくさることなくベンチで声を出し、チームを鼓舞し続けた。

 引退を決意し、最後の試合は日本一を決めた近鉄との日本シリーズ第7戦だ。6回表に代打で登場し、ホームラン。笑顔でベンチに戻った中畑だが、その後、ベンチ裏に駆け込み、号泣した。

写真=BBM

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