30歳になった斎藤佑樹。あの頃と変わらない人間としての「強さ」。
30歳になった斎藤佑樹。あの頃と変わらない人間としての「強さ」。
 夏の足音が大きくなると、北海道日本ハムファイターズの広報部には多くの「便り」が届く。リクエストは1人に集中する。その数は、二アリーイコールで彼を求める世間の思いだと認識している。


昨シーズンは6試合で1勝3敗、防御率6.75。8年目を迎え30歳となった今シーズン、斎藤佑樹はここまで一軍で1試合に登板したのみだ。 (photograph by Kyodo News)

 夏の足音が大きくなると、北海道日本ハムファイターズの広報部には多くの「便り」が届く。リクエストは1人に集中する。その数は、二アリーイコールで彼を求める世間の思いだと認識している。

 この時季、夏の甲子園に関連した取材依頼がメディアから本格化するのである。必ず、上位に食い込んでくる名前がある。

 斎藤佑樹投手――。

 誕生日だった6月6日、30歳になった。

 ヤンキース田中将大投手がエースを張り、3連覇を目指した駒大苫小牧と2006年夏の甲子園決勝を戦った。延長15回引き分け再試合を経て、壮絶な死闘を制したのが斎藤投手だった。

 野球のファンの方々の記憶に、まだ新しいあの夏。あれから12年もの歳月を経た。夏の甲子園が100回大会を迎える今年。その歴史を鮮烈に彩ったヒーローは、入団8年目を迎えたのである。

斎藤佑樹、今季はまだ一軍登板1試合。

 三十路の記念日をファームで迎えたように、今シーズンは一軍登板1試合にとどまっている。そのマウンドは4月7日の千葉ロッテマリーンズ戦(東京ドーム)だった。先発して4回2死まで無安打も、8四死球と乱れて降板した。序盤から大量援護をもらったが、勝利投手の権利を得ることができなかったのである。

 前職のスポーツ紙、ファイターズの担当記者時代から接している。入団から、そのまま8年目の関わりになる。取材として経年で追いかけてきた。当時は迷惑を掛けたが、今も思い入れがある。

 広報としては舞台裏を明かすのは、ルール違反かもしれない。ただ斎藤投手が醸し出した初めてのムードに触れ、新鮮だったため記す。その今シーズン唯一となっている一戦での降板後の報道リリース用のコメントを、取得に行く時だった。いつものように丁寧だった。そして、いい意味で、ぶっきらぼうで荒々しかった。

投げやりではなく、怒気をはらんだ声。

 すれ違った時、こちらの業務を察してくれたのだろう。一言、声を掛けてきた。

「コメントしておきましょうか。その方がいいですね」

 断っておくが、トーンは決して投げやりではない。その後は穏やかに、冷静に言葉をつないでいった。ただ、シンプルに表現すれば怒気に満ちていた。

 その憤りのベクトルは窺いしれないが、パワーも充満していたのである。喜怒哀楽の中で「怒」と「哀」の感情をオープンにするケースはレアだが、その時には感じることができた。

 30歳となるシーズンの初登板。斎藤投手の秘めた覚悟、強い思いを、その一瞬で悟ることができた。必死に自分と、現実と向き合っていた。荒ぶっていた。うれしくもあり、なぜか安心した。隠そうとしない。隠そうとしても隠すことのできない執念を感じたからである。

いろいろな声が本人にも届く。

 追憶の12年前の夏、テレビ中継の画面越しに釘付けになった。私は当時、斎藤投手に接する前だった。田中投手へ果敢に立ち向かっていき、勝者となった。その記憶に残る姿が、少しフラッシュバックしたのである。

 闘い続けている。昨シーズンまで15勝23敗。肯定的、否定的も含めて、いろいろな声や意見は、広報の耳にも入る。SNSも隆盛の時代。否が応でも、斎藤投手にも届く。

 注目される立場であるがゆえに、結果の良し悪しに関わらずクローズアップされる。通常の選手であれば報道されないようなマイナス要素の敗戦等でもニュースになり、記事になる。それが宿命である。

 第三者から見れば、無情であり、辛らつな見解には非情だと感じることがある。ただ斎藤投手に接していると、私のような凡人の感性、感覚は通じないと再認識することがある。

大谷翔平にファンが一斉に群がった日の記憶。

 今でも思い出す。数年前の2月のことである。私はファイターズの広報へ転職前で、まだ記者だった。春季キャンプのことだった。現エンゼルス大谷翔平選手が、トップ選手へと駆け上がっていた。紛れもない、その年のファイターズの最注目選手だった。

 キャンプ地の沖縄・名護市営球場でもファンの方々、報道陣の耳目を一身に集めていたころのことである。

 小雨が降っていた1日だった。投手陣はメーン球場に隣接する室内練習場でウオーミングアップを終えると、屋外のブルペンへと徒歩移動をしていた。東シナ海を望む浜辺沿いが、その動線である。

 パラパラと2~3人ほどの集団に分かれてはいるが、投手陣は一団で動いていた。斎藤投手の目の前を歩いていたのが、大谷選手を含むグループ。そこへ、ファンの方々が一斉に群がっていったのである。

「僕も昔、あんな感じだったんですよね」

 少し遅れて、斎藤投手が続く。こちらの感覚では、適切な表現ではないが「斎藤佑樹」の存在は、ないがしろにされていた。その時、取材を兼ねて一緒に歩いていた時だった。ファンの方々にメディアを含めた大集団を引き連れている大谷選手に、目をやった。凜として、しかも明るいトーンで発した一言。今も脳裏に焼きついている。

「僕も昔、あんな感じだったんですよね。もう誰も、こなくなっちゃいました」

 活字だけで判断すれば、想像はできないだろう。そこにはジェラシーを、微塵も感じることができなかったのである。少し笑ってもいた。すがすがしいほど、達観していたことを鮮明に覚えている。

 その境地は、私には一生、理解することはできないだろう。思いを寄せることはできても、不可能であると強く認識するワンシーンだった。

 生きる伝説となった、あの夏と何も変わらないのだと思う。人間としての「斎藤佑樹」の強さは、今も不変であると。世間からの目も、声も依然、厳しいことは現実である。

 残している結果に対して、ドラフト1位で幸運にも指名できたファイターズも、斎藤投手本人も、もどかしいことは間違いない事実である。そんな現状と闘い、立ち向かって、打破できるのは斎藤投手本人のみである。

険しい取材も、あっさり引き受ける強さ。

 本来は社外秘ではあるかもしれないが、付け加えておきたい。現在の私の立場からも感じる、斎藤投手の強さがある。前述したように各種、取材の依頼が舞い込む。輝かしい過去を振り返り、対比して現在地を語るなど……。

 心情も含めて選手を尊重する部分も必要な広報としては気が引けるオファーが実際にある。その場合は、斎藤投手へ打診をして判断を仰ぐことが多々あるのだ。大半の場合は、あっさりと引き受ける。そんな時に、あらためて心の強さに感銘を受けるのである。

 これからペナントレースは、活況を呈する。通年で、選手間の競争によってもチーム力を高めていくファイターズ。ファームにも希望にあふれる戦力が待機している。その1人である。

「斎藤佑樹」

 みんなが思い出す、かつて甲子園を沸かせたスーパースターは、静かに年輪を刻んだ。若手のライバルたち、そして自分と不変の闘いを続けている。30歳の節目に達して迎える夏は、もうすぐである。

text by 高山通史
「ファイターズ広報、記す。」

(更新日:2018年6月12日)

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