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俺の恩師、古葉竹識さんのしびれる言葉/川口和久Webコラム03

週刊ベースボールONLINE

「一言でいえば、選手を大事にする監督」



古葉さんがいなきゃ139勝なんてできなかった

 今回は俺の恩師の話を書こう。

 古葉竹識監督、広島で黄金時代を築いた名将で、俺の入団時の監督でもあった。俺は、この人がいなかったら、とても139勝もできなかった。こんなノーコンピッチャーをよく我慢して使ってくれたと思う。

 一言でいえば、選手を大事にする監督だった。体の不調を訴えると「しっかり治してきなさい」と言われた。理由は優しいだけじゃない。

「選手は、いい状態でやってもらわないとチームの力にならない。ケガを軽く見て無理をすると、ケガが重くなり、本来3日で治るものが10日かかるかもしれない。そうなると、さらにチームに迷惑をかけることになる」

 まあ、俺が投手でまだひょろひょろだったかもしれない。馬力のある選手、特に野手には違うことを言ったんじゃないかな。高橋慶彦さんには手や足が出たらしいからね。

 俺はなぜか最初からかわいがってもらった。入団するときもドラフト外と聞いていたら、古葉さんの一声でドラフト1位が決まったという。まあ、原辰徳さんの外れ1位だけどね。広島の人たちは「川口って誰? どこの馬の骨だ」ってなったらしい。

 2年目の1982年は誕生日の7月8日に一軍に上がって4勝5敗だったけど、防御率は1.94で内容はよかった。ただ、その中で広島市民球場での先発し、0対4くらいで負けていた試合があった。例のごとく、得意の四球連発。頭が真っ白になってた。それで4回くらいだったと思うけど、ベンチに帰ってきたとき、古葉さんがズカズカと近づいてきた。

 ああ、交代か、怒られるんだろうなと思ったら、

「この試合はお前にやるから好きなようにやれ」

 ハッとわれに返った。そこからしっかり投げて打線も打ってくれて、確か逆転勝ちしたと思う。

「ほかの監督なら干されていたかも」


 それで次の年、83年に俺は15勝したんだけど、最初はやっぱりつまずきかけた。

 開幕2戦目、阪神戦で先発。4月12日で広島市民の開幕戦だった。大した実績のなかった俺には大きなチャンスだったけど、緊張してストライクが入らない。初回は何とか3者凡退だったけど、2回は先頭打者から4人連続四球で押し出しになって交代。とぼとぼとベンチに戻ったときだった。

 やっぱり古葉さんがズカズカ近づいてきて、ニヤッとすると、 
「川口、もう膿は全部出ただろ。次は頑張れよ」
 
 そのとき俺は「あ、次にまだ、チャンスをもらえるんだ」と思った。

 あの言葉があったから、俺はあの年、15勝できたんだと思う。たぶん、古葉さんは、俺の性格が分かっていたんだろう。強く言われたら反発したり、いじけたりしていたかもしれないからね。でも、この試合の4連続四球だけじゃなく、あのころは四球が出だすと止まらなかった。ほかの監督なら干されていたかもしれないね。

 古葉さんからは「お前は巨人戦、阪神戦を中心で投げさせる。ほかはあまりやる気を感じんからな」と言われたこともある。マウンドでも、ついつい感情に左右されるところがあったのは確か。相手が強かったり、お客さんが多いほうが燃えるというかね。 
 おかげで、俺はこの注目度の高い2チームからかなり勝って「巨人キラー」「阪神キラー」と呼ばれ、名を売ることができた。川口和久という投手の持ち味を引き出してくれた人だったと感謝してる。

 あと、古葉さんを見ていて思ったのは、裏方をすごく大事にするな、ということ。選手に監督賞を出す人は多いけど、古葉さんは節目節目で、裏方さんにも渡していた。それだけじゃない。打撃投手やブルペン捕手からの選手の情報を大事にしいてた。実際そうなんだ。バッターの調子を一番よく知っているのは、コーチでも本人でもなく、打撃投手、投手はブルペン捕手だと思うよ。打撃投手なら1日何十球か、その選手に打たせようと思って投げてるわけだから、変化にも敏感だしね。その辺は俺もコーチになったとき参考にさせてもらった。

●古葉竹識(こば・たけし)
1936年4月22日生まれ。熊本県出身。済々黌高から専大を中退、日鉄二瀬を経て58年に広島入団。1年目の開幕戦から遊撃のスタメンに。2年目の59年からは正遊撃手として低迷期のチームを支えた。63年までの登録名は「古葉毅」。64年に57盗塁で盗塁王、翌65年からは二塁手となり、68年に39盗塁で2度目の盗塁王に輝いている。70年に南海移籍、翌71年に現役を引退して72年からコーチに。74年に古巣の広島に守備コーチとして復帰し、翌75年途中に監督就任、チームを初優勝に導き、広島黄金時代を築いた。85年に勇退。87年から89年までは大洋の監督も務めた。99年野球殿堂入り。

写真=BBM

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